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<Souvenir de Vincent van Gogh はジャーナリストとの対談をまとめたもので Adeline が書いたものではない。1956年とあるが、対談の日時は明記されていない。ゴッホに関する証言や批評をまとめた Van Gogh --A Retrospective, edited by Susan Alyson Stein に収録されている。なおソフトの制約のため彼女の証言をブログでは3分割した。>
ヴァンサン・ヴァン・ゴーグがわが家にやってきたのは1890年の5月の末頃です。それ以上詳しくは記憶していません。オーヴェール(Auvers)に到着当初はしばらくオテル・サン・トバン(Hotel Saint Aubin)に宿泊していたという話がありますが、私は今まで聞いたことはありませんでした。
<註:ガッシェ医師(Dr. Gachet)はヴァン・ゴーグを他の宿に連れて行ったが、高かったので、アルチュール・ギュスターブ・ラブー(Arthur Gustav Ravoux)の宿に移った。宿屋の娘アデリーヌ( Adeline。1877-1965)が13歳のときに、ヴァン・ゴーグの6月の肖像画「青い服を着た女」のモデルになった。>
二階へ階段を上ってすぐ前に、小部屋がありますが、ここに彼は寝泊まりしていました。昨年五月7日にオーヴェールに出かけたときに、今の経営者に言って、一階の部屋に関する例の間違いを正して来ました。ここはヴァンサンの部屋ではありません。この部屋は(ここで彼は絵を描いていたので、わが家では「アトリエ」と言っていました)通路を広げるために小さくなっていましたが、まだありました。私のオーヴェール紀行は1954年8月12日の Les Nouvelle Litteraires に出ています。
<註:これは様々な証言の不一致の一つである。ガッシェ医師の息子の証言((Paul Gachet, Souvenirs de Cezannes et de Van Gogh--Auvers, 1873-1910, 1953)によれば、ヴァン・ゴーグ は一階の部屋に泊まっていた。しかしながら、Anton Hirschig は二階の部屋にいたこと確認している。>
彼は体格がいいほうでした。肩は怪我をした耳の方に下がっていました。彼は明るく 柔和で、物静かで、人付き合いの悪い人には見えませんでした。フランス語を正確に話し、言葉に詰まることは滅多にありませんでした。彼はお酒をけっして飲みませんでした。私はこの点を強調しておきたいと思います。自殺の日、他の人も同意していますが、一滴も飲んではいませんでした。ずっと後になって、彼が南フランスの精神病院に収容されていたことを知りびっくりしました。オーヴェールでは物静かだったからです。わたしたちは「ムッシュー・ヴァンサン」と親しく呼びかけていました。彼はカフェの常連客と交わることはありませんでした。
彼は宿泊客と一緒に食事をしました。トミー・ヒルシク(Tommy Hirshig:私たちはトムと呼んでいました)とマルティネス・デバルディビエルセ(Martinez de Valdivielse)です。トミー・ヒルシクはオランダの画家、年齢は23か4に見えました。ヒルシクはヴァンサンより少し後にうちの宿にやってきました。彼はフランス語をほとんど知らず、下手なフランス語をしゃべり、言葉の間違いのせいで、みながこらえきれずに爆笑しました。彼は軽い人で、真面目な人ではなく、絵よりもかわいい女の子に熱心でした。ヴァンサンとの関係も上辺だけだったように見受けました。それにオランダ語で会話しますから、理解は出来ませんでした。ヴァンサンは彼とそれほど真面目に付き合っているようには見受けられませんでした。トミー・ヒルシクはヴァンサンの死後まもなくオーヴェールの宿を出て行きました。私としては、ヴァン・ゴーグに魅力的だったのは、宿泊代が3フラン50サンティームと安かったからにちがいありません。いずれにしても、彼を連れてきた来たのがガッシェ先生(Dr. Gachet)でないことは確かです。わたしたちはこのお医者さんとは面識がなく、ヴァンサンの死ぬ前までわが家で一度も会ったことはありません。
<訳注:アデリーヌのいう Tommy Hirschig は Anton Hirschig のことである。なぜアデリーヌがトムと呼んだか分からないが、ここではアデリーヌにしたがうことにする。彼はラブーの宿で自殺を図ったゴーグの目撃者である。1934年の日付の手紙でゴーグを一度も笑ったことのない暗い男と証言している。>
マルティネス・デバルディビエルセはスペインの銅版画家で、カルロス主義者でフランスに亡命してきたのです。家族から多額の送金を受け取り、オーヴェールに家を持っており、食事をしにうちに来ていました。彼は大柄で、ハンサムで、灰色がかった茶色のひげを長くのばしており、貨幣の肖像にしてもよい風采でした。彼は神経質そうに宿の隅々まで調べてまわりました。彼はフランス語を自由にしゃべることが出来、彼が買っているお父さんとは楽しそうに話していました。彼がヴァンサン・ゴーグのキャンバスを初めて見たとき、いつもの激しい口調で叫びました。「いったいどこの馬の骨がこんなことをしてるんだ?」ヴァンサンはイーゼルから立ち上がり、いつものように冷静に「私です」と答えました。こうして二人は知り合いになりました。
二人は仲良くなり、長い時間議論していました。話題はほとんどは絵と二人の知り合いの画家のことであり、一人は熱烈に、もう一人は冷静に話していました。私はマルティネス・デバルディビエルセがヴァンサン・ヴァン・ゴーグの絵をそれほど評価していたとは思えません。それに、ヴァンサンは手紙で、少なくとも最近出版されたヴァンサン・ヴァン・ゴーグの書簡では、彼のことにはふれていません。ヴァンサン・ヴァン・ゴーグの書簡で交友関係について述べてあるのは、ガッシェ先生だけです。でも私は、ヴァンサンが毎週日曜日と月曜日にはガッシェ先生のお宅でご飯を食べていたと言っている「お話」はおそらく間違っていると確信しています。あるいは誇張していると思います。ムッシュー・ヴァンサンはいつもわが家で食事をとり、度々食事を取らなかったという記憶はありません。
<註:テオへの手紙(書簡638)では、ヴァンサンは「毎週日曜と月曜」に、ガッシェ医師の家に食事によばれていたが、彼には苦痛であった。ガッシェと食事をしたのがたまにであるとしても、彼が週にニ、三日は彼の家にいたことは確かである。>
お医者さんとヴァンサンの関係は親密ではなかったと信じています。これは学者さんに研究してほしい問題です。
<註:ガッシェ医師のヴァン・ゴーグとの親身の友情がぎくしゃくしたのは最後のほんの数週間である。>
メニューは当時のレストランで出てくる一般的なもので、肉、野菜、サラダ、デザートでした。ムッシュー・ヴァンサンの好きな食事を覚えていませんが、お皿を突っ返したことはありません。むつかしいお客さんではありませんでした。
信仰上の問題はわが家では起こりませんでした。ヴァンサン・ヴァン・ゴーグを教会でも、神父さんと一緒にいるのも一度も見かけたことはありません。オーヴェールにはたしてプロテスタントがいたかどうかも知りませんが。それに、私が知る限り、村の誰の家にも出かけたことはありません。わたしたちと会話を交わしたこともありません。お父さんはヴァンサンがやってくる数ヶ月前にようやくオーヴェールに根を下ろしたばかりで、当時43歳で、彼と芸術論をかわす人ではありませんでした。もっぱら、現実的な話をしました。でもヴァンサンは、私の妹のジェルメーヌ(Germaine、Madame Gouilloux、現在は私と同居しています) が大好きでした。彼女はまだ二歳の赤ちゃんでした。彼は夜食事が終わると彼女を膝にのせて、石板に馬車に乗った「砂男(marchand de sable)」が砂をひとつかみ投げる絵を描きました。そうすると、彼女はみなとキスをして二階にねんねしに行きました。
<訳注:砂男は夜いつまでも目を開けている子供の目に砂をまいて子供を眠らせるというおとぎ話の人物>
ヴァンサンは私の肖像を描くまで、私とは日常の挨拶をする程度で話をしたことはありませんでした。ある日、「君の絵を描きたいんだけれど、いやかい」とたずねました。彼は大まじめで言っているようでした。私はいいですと答えると、両親の許可を求めました。私は13歳でしたが、16歳ぐらいに見られていました。彼はある日の午後、私の肖像を描きましたが、ポーズをとったのは一回だけでした。ポーズをとっているとき、彼はなにも話しかけませんでした。彼はずっとパイプをくゆらしていたからです。
私がお行儀よく、よくじっとしていたねと褒めてくれました。私は疲れなかったし、彼の絵を描くのながめているのは楽しく、得意になってポーズを取っていました。私は青い服を着て椅子にすわりました。髪の毛を青いリボンで結び、青い目でしたから、彼は背景を青にしたので、青のシンフォニーになりました。ムッシュー・ヴァンサンは四角いキャンバスにもう一枚描いて、弟さんに送ったようです。手紙でそういっていますから。この絵を仕上げるのを見たことはありません。3枚目の肖像画もあるようですが、この最後の絵については何も知りません。はっきり断定できるのは、私がポーズを取ったのは一枚だけです。
<http://www.vincent.nl/?/gallery/paintings/jh2035.htm>
<註:52cm×52cmのレプリカは The Cleveland Museum of Art に、三枚目の肖像画は個人蔵である。>
<http://www.vggallery.com/painting/p_0786.htm>
<http://www.art.com/asp/sp-asp/_/pd--10273643/Adeline_Ravoux.htm>
正直いって、私にはまずまずの満足というところでした。というか、実物に似ていないように見えて、ちょっとばかりがっかりでした。でも昨年、ヴァンサン・ヴァン・ゴーグ のことでインタビューにある人がやってきました。この人は私に会うのは初めてですが、ヴァンサンの絵からすぐに、私と分かりました。彼が言うには、「ヴァンサンは若いときの女の子を描くというよりは、将来のあなたを予言して描いたのですよ。」両親もまったく感心しませんでしたし、これを見た人でほめる人はいませんでした。当時ヴァンサン・ヴァン・ゴーグの絵を理解する人はほとんどいなかったのです。
<註:マクシミリアン・ゴーチェ(Maximilien Gauthier)の1953年4月16日の Les Nouvelle Litteraires の記事のことである。彼はこの絵の複製を見て、長い年月を経た実物の彼女にそっくりだと述べている。>
この絵とお父さんがヴァンサンからもらった、オーヴェールの町役場を描いた絵は、確か1905年まで家にありました。話はもどりますが、私は、カフェの前の通りで ヴァンサンが町役場の絵を描いているのを見ております。7月14日のことでした。役場は旗で飾られ、木には花飾りの提灯がつるしてありました。
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