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ベリー公の四月のカレンダーはシャルル・ドルレアンとボンヌ・ダルマニャックを描いたものであるとしよう。
まことにうるわしい光景であり、このフランスきっての家柄と教養のある貴公子と大金持ちのお祖父さんを持つ貴婦人は結ばれ、
Et ils vécurent toujours heureux.
となるはずであったが、そうはならなかった。時代はジャンヌ・ダルクが登場する前のフランスで、まさに危機的な状況にあった。結婚5年後に、ボンヌは死に、シャルルは悲嘆にくれる。またシャルルらが率いるフランスの騎士団は敵国イギリスの弓兵にアザンクールの戦でさんざんに打ち負かされた。
シェークスピアがこの惨めな敗北の様子を「ヘンリー五世」で再現した。テレビで見ただけだが、当然イギリス人に受けるように書かれてある。たしか、敗戦国フランスの女たちが「フランスの男たちはダメだけど、イギリスの男性はみな素敵だわ」といっていた場面があったような記憶がある。
捕虜にすれば金銭的には大変な価値がある人物であるが、ドルレアンもたしかフランスのダメ男として登場したように記憶する。
侵入してくるイギリス軍はまるで、外国で開催されるサッカーの試合に出かけるフーリガンよろしく気合が入っており、それなりに統制が取れていたようである。
徴兵制のない時代、兵隊たちには愛国心などはさらさらなく、好き好んで危険な戦争に行く連中の目的は、まずは他国の人々を痛めつける快感を味わうためである。
あわよくば立派な甲冑を身につけた騎士を捕虜にして、家族から莫大な身代金を巻き上げることである。身代金目当ての誘拐志願者が「愛国心」の御旗の下にゾロゾロとフランスに出かけたのである。
ドルレアンも捕虜の一人になった。上の絵で、白百合(fleur de lys)の模様の入ったコートを着た騎士がイギリスの兵士に連行されているが、ひょっとするとシャルル・ドルレアンかもしれない。
イギリス王ヘンリー五世はそんな連中の頭目である。
ドルレアンは敗北後捕虜としてイギリスに25年も過ごすことになった。政治権力から遠ざけられた25年の歳月は詩作への没頭を可能にした。英語も堪能になり、英語とフランス語で詩を書き、後世の英仏両国の文化に貢献したのであるが、こと二人の結婚に関しては、
Mais ils ne vécurent pas toujours heureux.
このフランス語は自信がない。多分いいフランス語ではないと思うし、間違っているのかもしれない。
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