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この寒いのに、旅行が趣味の友人が仲間とポーランドに出かけ、帰国後に会食した。土産話だけではなく、土産としてポーランドの誇りである芸術家ウィスピアンスキのカレンダーを頂戴した。私は大変気に入ったが、初耳の画家である。調べてみると彼は絵画、舞台装置、家具のみならず、脚本、詩を書いた才人である。以下はドイツ・ウィキペディアの記事である。 スタニスワフ・ウィスピアンスキ Stanisław Wyspiański((1869 ー1907 )は芸術家で「若きポーランド」運動のメンバーであった。クラカウで誕生し、同地で没した。 パリに遊学中アール・ヌーヴォに影響を受け、ポール・ゴーギャンのサークルと知り合った。同時におそらくはエドワルト・ムンクの絵を知ったと思われる。 絵画、挿絵を手がけ、室内装飾、舞台装置、ステンドグラスをデザインした。ステンドグラスの例としてはクラカウのフランチェスコ教会の窓ガラスがある。さらに舞台劇の脚本を書いているが、神話や伝説さらにはポーランドの歴史を題材にしたものである。よく知られた作品としては1901年の„Wesele“「結婚式」がある。この話は彼の友人であるルシアン・リデル Lucjan Rydel がクラコウ近郊の百姓の娘と結婚した実話を基にしており、初演でスキャンダルを巻き起こしたものである。1973年にアンジェイ・ワイダが映画化している。 ウィスピアンスキの作品はポーランドの各地の美術館に展示されているが、クラコウにはウィスピアンスキ美術館がある。 以上 作品に興味のある方はウィスピアンスキをどうぞ。
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美術
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最後にドレフュス事件での態度表明がはっきりしている人物がいる。ピサロである。ピサロの両親はユダヤ系のフランス人であり、両親が当時デンマーク領であったサン・ドニ島に移り住んで商売をはじめ、そこで生まれた。 |
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<font size="3">さて今日はドレフュス事件態度がはっきりしている印象派の画家の中で、女流画家メアリー・カサットを取り上げる。印象派の時代に注目すべき現象は自立した女流画家が登場したことである。一番新しい女流画家はカサットの親友ベルテ・モリソであるが、彼女はドレフュス事件が本格化する以前に死亡している。 |
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` <ハンブルクのフリーダ・カーロ展は期間を延長 ハンブルク <ハンブルクのブセリウス・クンストフォルムで開催中のメキシコの女流画家フリーダ・カーロ(1907−1854)の展覧会は今まで前例のないことばかりである。約14万人が個人所有の34点の画、素描、アクリル画の展覧会を入場した。 そこで一週間期間を延長し9月24日まで開催される。期間中土曜日と日曜日は夜10時まで開館時間は延長される。メキシコの祝日である9月16日にはホルへ・カストロ・ヴァッレ駐独メキシコ大使が会場を訪ずれる。> フリーダ・カーロ崇拝者の方はルフト・ハンザでハンブルクまでどうぞ。都合のつかない方は展覧会のサイトを訪問されると展示品の"Selbstbildnis mit ??ffchen"をかいま見られます。小猿と一緒の自画像とでも訳しましょうか。彼女は猿も愛していたのですね。 |
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しばらくお休みをいただいた『印象派とドレフュス』、今日はドガについて話すことにしよう。あいかわらず要領をえないが勘弁願いたい。事実関係だけで理論的な話は出来ない。 |

桜と日本人ですね。なぜか、三島由紀夫を思...



