ヘ短調作品34

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無原罪の御宿り

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9月8日の投稿で、聖マリアが9月8日に誕生したことになったことを述べた。その時にあらかたしゃべってしまったが、聖マリアの母の聖アンナが受胎したのは12月8日という計算になる。それはそれでいいし、精神的な結びつきだけで受胎したのも了解するとして、ここにギリシャ哲学以来の伝統であろうか、「無原罪の御宿り」に関して難しい論争がおきた。

キリストはアダムとイブのおかした原罪、人類が背負った罪を贖い、救済するために登場した神の子である。そのキリストを生んだ聖マリアもその原罪を背負い、救済されなければならなかったというのは庶民には受け入れがたい。このどうでもいいような問題、中世の代表的な神学者間で論争され、勉強してみたが、凡俗で鈍才の私にはついていけなかった。最終的には、聖アンナの受胎と同時に聖マリアの魂も生じ、同時にマリアは原罪からは無縁の存在になったということで19世紀に決着が付いた。カトリック教徒たるものこのドグマは無条件に受け入れなければいけない。

注意しなければいけないのは、3月25日の聖マリアの受胎とは違い、今日は聖アンナの受胎の日である。カトリック信者ですら、「無原罪の御宿り」をマリアの処女受胎と取り違えているそうである。そもそもマリアの処女性を信じているカトリック信者が少なくなっている現状ではなおさらである。

今日は、「無原罪の御宿り」で有名になったスペインの画家ムリリョの絵を紹介する。これは絵にするのに難しいテーマである。哺乳類の胎児はみな似たり寄ったりで、不気味であるから、聖なるテーマの素材にはなりえない。お婆さんのアンナを主役にしたのもどうかなということで、結局未来の乙女マリアの画像を描くことになる。この絵を見ていると処女マリアの祝福された受胎と勘違いするのも当然であろう。混乱の原因のいったんはムリリョの人気のあるこの絵にある。

またムリリョ自身、マリアの「被昇天」でそっくりの絵を描いているのでややこしい。下をクリックするとムリリョの「被昇天」が出てくる。マリアは伝説によれば14歳でヨゼフと婚約し、聖霊により妊娠したということだが、ムリリョのマリアは天に召されたときも、「無原罪の御宿り」と同じように若い乙女なので、この web museum 正しいのかなと思ってしまう。永遠の処女は受け入れるとしても、永遠の若さを保ったということになるとはてと思う。普通は気品のある中年の婦人として描かれるからである。

仮に「無原罪の御宿り」か「被昇天」というクイズがあったとしよう。ムリリョに限るが、私としてはもし絵の中に「三日月」、「百合」、「薔薇」があった場合は「無原罪の御宿り」に賭けるであろう。もっとも「三日月」のない「無原罪の御宿り」もあるので的中率はどの程度か。多くのマリアを描いたムリリョの識別法があったら教えて欲しいものである。

http://sunsite.icm.edu.pl/cjackson/murillo/p-murillo4.htm

ムリリョはヨーロッパの田舎、スペインの画家としてはじめて国際的な人気を獲得した作家であるが、もやもやとした背景と気品のある女性像は、イギリスのアカデミーの肖像画家であるレーノルズや風景画家ターナーに影響を与えたそうである。また観光客相手に偽物が多数出回ったことでも知られている。かわいらしいケルビンもその人気に貢献しているのだろう。

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December

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今月のベリー公の時祷書の暦は再びランブール兄弟によるものである。クリスマス・イブの料理に供するためのイノシシ狩りである。ベリー公は10月30日にこの背景にある城で生まれている。

Edith Holden の日記によれば、99年前の Warwickshire の12月1日は北西の冷たい風が吹き、晴朗であった。今月の彼女のお気に入りの詩は R. Southey の Winter である。


Winter

A wrinkled crabbed man they picture thee,
Old Winter, with a rugged beard as grey
As the long moss upon the apple-tree;
Blue-lipt, an icedrop at thy sharp blue nose,
Close muffled up, and on thy dreary way
Plodding alone through sleet and drifting snows.
They should have drawn thee by the high-heapt hearth,
Old Winter! seated in thy great armed chair,
Watching the children at their Christmas mirth;
Or circled by them as thy lips declare
Some merry jest, or tale of murder dire,
Or troubled spirit that disturbs the night,
Pausing at times to rouse the mouldering fire,
Or taste the old October brown and bright.

R.Southey




年老いた冬よ、汝の像は、リンゴの木のこけのように
白髪交じりの長い髭を生やした
しわだらけの気むずかしい老人だ。
頭をすっぽり覆い、唇は血の気がなく、
とがった鼻にはつららがたれ、ミゾレまじりの吹きつもった雪を
とぼとぼと一人わびしく歩んでいく。
大勢が集まった暖炉に呼ばれたのだろう、
おお冬よ!汝は大きな肘掛け椅子に腰を下ろし、
クリスマスではしゃぐ子供達を見つめている。
子供達に取り囲まれ、汝の口からは陽気な冗談
や怖いお話や夜を騒がすさまよう幽霊の話が出てくる。
時々話を止め、消えかかった火を掻き起こし、
10月に出来たきれいな茶色のビールに口をつける。

R.サウジー

November

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今日から11月である。なお今月のベリー公の暦の絵であるが、どの暦でも11月の絵は豚が登場するそうである。農作業は豚にドングリを食わせることである。常夏の国の豚ならともかく、冬のヨーロッパでは大食いの豚に食わせる餌がない。そこでこの季節にドングリの実を落とし、食わせて太らせたところで殺して保存する訳である。冬の存在がソーセージ文化を生み出したのである。

また絵の作者のスタイルが変わっていることに注目してもらおう。実は今までの9月の作者も一部だけスタイルが変わっていたのだが、今回の絵は完全に一人の作者である。人物像は全体にずんぐりむっくりしたかんじである。作者は以前はランブール兄弟であったのが、ジャン・コロンである。

ベリー公の贅をつくした時祷書のプロジェクトは1416年で突如中断される。作者のランブール三兄弟、三人とも墓碑銘に1416年死亡とされているので三人とも悪疫の犠牲者になったのだろうと推測されている。そして70年後にサボイ公家によって継がれることになるが、絵描きも絵の具も変わってきている。サボイ家も名門であるが、ベリー公ほどの金持ちではなかったのだろう。絵の具は地味である。その話についてはまた改めて語ることにしよう。

さてエディス・ホールデンの絵日記によれば、99年前のウォーリックシャーの天気は「絶え間ない小雨、11月のいつもの天気」だったそうである。彼女の今月のお選びの詩はシェリーの秋の詩である。エディス・ホールデンはシェリーの詩のはじめと終わりだけを日記帳に書いている。長い詩だからであろう。これにしたがわなければいけない理由は何もないが、彼女同様しんどいのと、私には難しい詩である。ここは彼女にしたがっておくのが好都合である。自信のあるのは「冬来たりなば、春遠からじ」だが、他がその句と合っている自信はないので、訳は追々修正していくつもりである。



Ode to the West Wind



O WILD West Wind, thou breath of Autumn's being
Thou from whose unseen presence the leaves dead
Are driven like ghosts from an enchanter fleeing,

Yellow, and black, and pale, and hectic red,
Pestilence-stricken multitudes! O thou
Who chariotest to their dark wintry bed

The winged seeds, where they lie cold and low,
Each like a corpse within its grave, until
Thine azure sister of the Spring shall blow

Her clarion o'er the dreaming earth, and fill
(Driving sweet buds like flocks to feed in air)
With living hues and odours plain and hill;

Wild Spirit, which art moving everywhere;
Destroyer and preserver; hear, O hear!



Make me thy lyre, even as the forest is:
What if my leaves are falling like its own?
The tumult of thy mighty harmonies

Will take from both a deep autumnal tone,
Sweet though in sadness. Be thou, Spirit fierce,
My spirit! Be thou me, impetuous one!

Drive my dead thoughts over the universe,
Like wither'd leaves, to quicken a new birth;
And, by the incantation of this verse,

Scatter, as from an unextinguish'd hearth
Ashes and sparks, my words among mankind!
Be through my lips to unawaken'd earth

The trumpet of a prophecy! O Wind,
If Winter comes, can Spring be far behind?

P.B. Shelley



西風に寄せる詩


おお荒き西風よ。汝、秋の息吹よ
目には見えずとも、汝はいる。枯れ葉は
魔術師から逃れんとする霊のごとくに追い払われる。

黄ばみ、黒ずみ、青ざめ、高熱で赤い顔をした
病人の群れ。おお汝は
羽の生えた種を暗く凍てついた床へと運ぶ。

そこで種は凍えながらじっと墓場の死体のように
横たわっている。
やがて汝の妹、紺碧の春が

(羊たちに草をはませ、愛らしき蕾を外気に触れさせようと)
眠れる大地にラッパを吹き鳴らし
色と香りで平原と山をみたすまで。

荒き魂よ、汝は至る所に来たる、
破壊者にして保護者だ。聞け、聞け!


我を林のごとくに汝の竪琴にせよ。
自らの葉が落ちようともかまわない。
汝の力強き不協和音は

悲哀に満ちた甘き、深き秋の調べとなるであろう。
汝猛々しき魂よ、我が魂となれ!
汝、苛立てる我となれ。

我が死せる思想を宇宙に広めよ、
枯れ葉が新たなる誕生をはやめるがごとくに、
そしてこの詩を歌い、

まだ消えざりし炉床の
灰と火種のごとく我が言葉を人類にまき散らせ!
我が唇を通して大地を目覚ます

予言のラッパとなれ!おお風よ、
冬来たりなば、春遠からじ。

October

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Edith Holden の絵日記によれば、99年前の10月1日、ウォリックシャーは warm, bright であったそうである。彼女が次の詩を好んだのは分からなくはない。彼女はレディーであり、放浪者ではないが、こよなく自然を愛し、鳥の声を聞き、花を眺め、木の実を採るために好んで野を歩いた。この10数年後には、栗の花をとろうとしてテムズ川に落ち、溺死している。

「宝島」の作者がこんな詩を書いたのか。知らなかった。彼は病気療養のため諸国を転地しているが、秋も冬もおそれぬ放浪者の健康には恵まれなかったようである。この詩の素性はまだ分かっていないが、おそらくイギリスで愛読された詩集があったのだろう。シューベルトの歌曲によせてとあるが、一体どの曲を聴いたのであろうか。彼がコンサートによく出かけたらしいことは承知していた。恥ずかしい話だが、私は「冬の旅」もろくに知らない。このブログが冬の季節を迎えるまでに解説ぐらいは読んでおこう。ドイツの歌手がロンドンでコンサートを開くとしたら、おそらく曲目は「冬の旅」あたりに限定されるのではないか。

それにしても英詩の和訳は日本人である私には結構やっかいである。日本語の詩には自由度はあり、直し始めたらきりがない。英語の語彙と表現能力には限界があるから一定のところであきらめがついて次に進むことが出来る。



THE VAGABOND (To an air of Schubert)


GIVE to me the life I love,
Let the lave go by me,
Give the jolly heaven above
And the byway nigh me.
Bed in the bush with stars to see, -
Bread I dip in the river -
There's the life for a man like me,
There's the life for ever.

Let the blow fall soon or late,
Let what will be o'er me;
Give the face of earth around
And the road before me.
Wealth I seek not, hope nor love,
Nor a friend to know me;
All I seek, the heaven above
And the road below me.

Or let autumn fall on me
Where afield I linger,
Silencing the bird on tree,
Biting the blue finger.
White as meal the frosty field -
Warm the fireside haven -
Not to autumn will I yield,
Not to winter even!

Let the blow fall soon or late,
Let what will be o'er me;
Give the face of earth around,
And the road before me.
Wealth I ask not, hope nor love,
Nor a friend to know me;
All I ask, the heaven above
And the road below me.

R.L.Stevenson



放浪者(シューベルトの歌曲によせて)


俺はきままな人生を送りたい、
残リ物を持っていけばいい、
上に陽気な空があり、
近くに小道があればいい。
茂みを床とし、星を眺め、
パンを川の水にひたす。
俺のような男には俺の生き方があり、
いつまでもこの生き方でいい。

そのうち強い風が来るだろう、
なんでも来るがいい;
あたりに地面があり、
行く手に道があればいい。
俺は財も希望も愛も求めない、
身近な友も同様だ;
ただ欲しいのは上の空
下の道だけだ。

また秋もやって来るだろう、
野をさまようときは
木にとまる鳥は沈黙し、
血の気の失せた指をかめ、
霜が下りた野原は粉のように白くなるが、
俺はたき火で暖をとる。
俺は秋にまけないし、
冬にもまけない。

そのうち強い風が来るだろう、
なんでも来るがいい;
あたりに地面があり、
行く手に道があればいい。
俺は財も希望も愛も求めない、
身近な友も同様だ;
ただ欲しいのは上の空
下の道だけだ。

スティーブンソン

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昨日はいささか不道徳な詩を紹介したが今日は神聖な話題でいこう。今日9月8日は聖母マリアの誕生日である。キリストの誕生日すら聖書に書いてないのに、マリアの誕生日など書いてあるわけがない。キリスト教会がこれを定めたのである。一般にキリスト教がヨーロッパの宗教になっていく過程で、主要な祝日は在来の無知な異教徒どもの太陽崇拝の宗教行事の日、春分、夏至、秋分、冬至にかぶせるように決めた。

ただ新約聖書ではっきりしていることがある。ルカ伝によれば、マリアが受胎して直ちにいとこのエリザベトを訪問しているが、エリザベトは妊娠6ヶ月であり、やがて洗礼者ヨハネを出産する。聖書にはヨハネがキリストの6ヶ月先輩であるという以外に何の情報もない。

まず冬至に(この日太陽は赤ちゃんである)キリストが生まれたことにした。となると女性の妊娠期間から逆算して、マリアは春分の日に受胎告知を受けたことになる。さらにルカ伝からイエスとの時差6ヶ月ということで、聖ヨハネは夏至の日に誕生したことになる。この三つには整合性があるし、いずれも人気のある聖母マリアが関係しているのも好都合である。

のこる秋分の日に誰を持ってくるかであるが、大天使ミカエルが大物と言うことでミカエルの日にした。9月だけがちょっと違う感じである。だが9月は1年を4等分する節目の月である。大衆の絶大なるマリア人気に押されてか、教会は彼女の誕生日を9月8日と決めた。秋分の日にマリアが誕生したとすると、受胎が冬至になってしまい、教会も忙しい。

誕生したからには親がいなくてはならない。そこでヤコブの原福音書なる聖書外典がひょっこり登場することになる。外典は正典よりも面白いが、大衆の好奇心を満足させるために創作されている可能性が高い。そのヤコブの原福音書によれば、父親はヨアキムで母親はアンナである。二人には長く子供がなく、高齢になった。処女マリアは神の母になるべく誕生した女性である。彼女を若い夫婦の性愛の結実とするわけにはいかない。それではあまりに人間的である。

神の恩寵と両親の精神的な結合を強調するために、信心深い両親は高齢であったという話になった。旧約にそっくりの話があり、その話を真似たのであろう。子供をすっかりあきらめ、羊飼いのヨアキムは4ヶ月も家にいなかった。戻ってきて妻と抱き合いキスしただけで、大昔の健全なハリウッド映画みたいに、アンナは妊娠し、今日9月8日に聖母マリアが誕生したのである。精神的に結ばれて、神様が二人の信仰心を認めてくれさえすれば、肉体的結合はなくとも妊娠はあり得るというお話である。まさに処女懐胎のマリアの両親にふさわしい二人である。

さらに彼女の婚約者ヨゼフも宗教画ではお爺さんとして描かれることが多い。これも彼女の処女性を強調するためである。よくよくお爺さんに縁のある女性である。

上の絵は母子ともに健やかなアンナとマリアである。ただ私は聖アンナが高齢出産の女性の守護聖人になっているかどうかはまだ調べていないが、アンナの絵を朝夕拝めば安産の御利益はあると思う。こんな婆でないって?そんなことをいったら罰が当たり安産は期待できないですよ。

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