ヘ短調作品34

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音楽

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トマシーニ記者のオペラはこれで4つ目になるので一段落であろうか。記事を送らなくてもよければ、こんな旅行をしてみたいものである。トマシーニ記者も疲れたのであろうか。「フィガロの結婚」の演出と指揮には憮然たる記事を書いている。今日のニューヨーク・タイムスには彼の新しい記事はなかった。私もホットした。彼も夏の休暇を取られることを願うものである。



ザルツブルク音楽祭、ニコラウス・アーノンクール指揮の「フィガロ」

アンソニー・トマシーニ記者

ニューヨーク・タイムス 8月8日

ザルツブルク 8月7日 ― ザルツブルク音楽祭のふれこみである、舞台では、きら星のように輝く配役とピットにはウィーン・フィルハーモニックという組み合わせの新演出のモーツアルト「フィガロの結婚」である。これだけの陣容で、テンポばかり気にしてしまう羽目に陥るとは思いもしなかった。

事実、上演前のインタビューで、この高名な指揮者ニコラウス・アーノンクールは、自分のテンポが議論を呼ぶことになるだろうと予告していた。この作品は日曜日の夜に、小音楽祭ホールを改築した印象的な新しいハウス・フュア・モーツアルトで上演された。アーノンクール氏のテンポはたしかにこの作品の通常のものとは違っていた。

総じて遅く、とくに普通速く演奏される部分ではそれが顕著であった。活発な序曲で始まるが、明瞭で明るいが、妙にのんびりしていた。古楽運動の先駆者のテンポがゆっくりしているのはとりわけ興味深い。古楽の専門家は素早く、威勢のいいテンポを唱道する傾向があるからである。

さらにアーノンクール氏の指揮は一般化を拒むものであった。たしかに、激しい、カリスマ的なフィガロを演じる、頑健な声のバス・バリトンのイルデブランド・ダルカンジェロのアリア「踊りたければ」は抑制しているのが目立っている。結婚の夜の幸せなロマンスを期待してスザンナが歌うアリア、「遅れないで来て」は普通よりも速い。このアリアをつやのあるトーンでリリカルに歌うのは感嘆すべきソプラノ歌手アンナ・ネトレブコであり、彼女の歌唱はこのたくましく機知にとんだ役をよく表現している。

インタビューで述べたアーノンクール氏の意図は、テンポでバランスを取ることによりこの音楽の有機的構造を投影することである。実際これが意味することは極端の回避である。彼の接近は面白く、啓示的である。しかしいらいらする時もある。彼がテンポの選び方やフレージングの正しさを示そうとするからである。歌手たちは少し間をおいて息をしたいようであるし、セリフを楽しむ余裕をほしがっているように見える。一方もう少し速く歌いたいと思っているようにも見受けた。


このテンポの選択はアーノンクール氏の劇的効果を生むためにペースを止める好みに比べればそれほど気になるものではない。たとえば「ディング、ディング」と「ドング、ドング」というベルの音で、フィガロとスザンナが伯爵と伯爵夫人の従者と召使いという立場をフィガロに思い出させる場面である。このような説明的なアイディアはいかにも先生といった印象を与えるものである。ものういテンポはクラウス・グートの現代服演出でさらに誇張される。彼の演出は暗くて、憂鬱で、不気味である。舞台と衣装はクリスティアン・シュミットである。物語は最初から最後まで、白いペンキを塗りたくなるような伯爵のボロ宮殿の巨大な階段の広い踊り場で演じられる。フィガロがロマンティックな欲望と混乱と暴虐のコメディであるとするならば、グート氏はコメディの大部分を省略したことになる。

舞台の暗さはお粗末になる場合がある。大抵の演出では、のんびりしたアリア「もう飛ぶまいぞ」で浮き浮きしたフィガロがケルビーノに軍隊で彼を待っている栄光について語る。

ここで事は醜悪になり始める。嫉妬したフィガロはいらいらしていき、怒ってケルビーノを痛めつける。ケルビーノ役は小柄で聡明な感じのクリスティーヌ・シュレーファーであり、子供っぽいが、色気の出始めた思春期の男の子の役を演じている。フィガロは床屋のハサミを取り出し、ケルビーノの巻き毛を切り取る。そしてケルビーノの白い腕に傷を付け、血を少年の顔に塗りつける。一緒になってケルビーノを痛めつけるのが伯爵である。今回はバリトンのボー・スコヴスで、ハスキーな声を使いこなして歌い、伯爵の好色で落ち着きのなさを、そわそわとした動き方にも表現している。

豪華キャストのメンバーは演出家にすべてを託し、演出家は信頼を獲得し、羞恥心をも捨てさせた。第二幕、スザンナと伯爵夫人はケルビーノに女の子の服を着せようとする。この遊びは収拾がつかなくなる。二人の女はケルビーノを男の子の人形のようにもてあそび、三人は毛皮のコートの上で浮かれる始末。

いつものように、今回の音楽祭は栄光のウィーン・フィルハーモニックから金に見合うだけのものを得てきた。この楽団は毎晩のようにオペラを演奏する。日曜日には音楽祭大ホールでモーツアルト・プログラムで演奏した。これ以外の作品としては、ロジャー・ノリントンが演奏会用アリア(魅力的な暗いトーンのラトビアのソプラノ、エリーナ・ガランカが出演)、それに元気あふれる交響曲プラハを生き生きと指揮した。これからコンサートはモーツアルトと現代曲の演奏が始まる。



ザルツブルク音楽祭8月31日まで続く。音楽祭のサイトは

www.salzburgfestival.at.

である。

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今年のザルツブルク音楽祭で「モーツアルト22」のうち2曲のオペラをいっぺんに聴いてしまう方法があるようである。モーツアルトが12歳で作曲したジングシュピールともう一つのジングシュピールとを合体させたものである。両者ともに会話の部分が多いから可能だったのであろうか。さらに彼の最後のオペラ作品「魔笛」も厳密にはジングシュピールだそうであるから、今回の記事はジングシュピールで始まり、ジングシュピールで終わった彼のオペラ作曲活動を、ザルツブルクで生で聴いたトマシーニ記者が報告している。

もともとモーツアルトをほとんど聴いていない私には、いくつか自信がない箇所があった。記者の記事は明快であるが、私には誤訳の可能性の高いある記事である。お気づきの方のご指摘を頂戴できれば幸いである。



モーツアルトのジングシュピールとザルツブルク音楽祭の「魔笛」

アンソニー・トマシーニ

ニューヨーク・タイムス 8月7日発行


ザルツブルク、8月6日 ― 35歳で死亡した作曲家を晩年をむかえていたと考えるのはこじつけであるように思える。「モーツアルト22」、ザルツブルク音楽祭のモーツアルトのオペラ全曲の演奏の目的の一つは、最初の作品と最後の作品を書くまでの23年間にオペラ作曲家としてどれだけ進歩してきたかを示すことである。

たしかに23年間である。モーツアルトは最初のオペラを12歳のときに書いた。そのうちの一つを土曜日の夜音楽祭で聴いた。すなわち「バスティアンとバスティアンヌ」というドイツのジングシュピールで、会話を音楽と結びつけたコミックなジャンルである。ザルツブルク創作人形劇場で上演された。普通は劇を演じる操り人形の伴奏は録音でしているが、今回は歌手とオーケストラで上演した。

その前の晩に、新演出の「魔笛」を観ている。モーツアルトが死んだ月に書かれたもので、厳密に言えばこれもジングシュピールであるが、この霊感あふれる作品で、ジングシュピールのジャンルを超えて、深い精神性がありながらも滑稽なオペラ作品を創作したのである。ザルツブルクのピエール・オーディによる魅力的な新演出は、リッカルド・ムーティ指揮のウィーン・フィルハーモニックと豪華な配役をそろえた。しかしモーツアルトの思春期前のジングシュピールから語ろう。

ザルツブルク創作人形劇場は「バスティアン」を1913年に初演している。だから一座はこの作品を助演する資格はある。演出家のトマス・ライヒェルトは大胆にも「バスティアンとバスティアンヌ」を モーツアルトが「フィガロの結婚」を書いた1786年に作曲した「興行主」“Der Schauspieldirektor”という変わったジングシュピールと統合した。この作品は、争っている二人の女性歌手と交渉しなければいけない興行主の物語である。楽譜にはほんのちょっぴり最上級のモーツアルトのアリアと合奏があるが、複雑な会話がかなりの部分を占めるものである。

ライヒェルト氏は「興行主」のセリフを新しい会話でかなり置き換え「バスティアン」の枠組みにしている。どうしていけないの?このバージョンでは、一座の団長は「バスティアンとバスティアンヌ」の配役を決めようとしているがバスティエンヌの役を二人の歌手のいずれにしようか決めかねている。団長は二人とも採用し、二人にその役をやらせ、どちらがいいか決着を付けることにした。

エリザベス・フックスが指揮する、このモーツアルトの子供時代の作品は、軽いが、魅力的なお話である。羊飼いの娘バスティアンヌはだまされ、彼女の愛するバスティアンに捨てられたと思いこんだ。この悶着をおこしたのが、ずるがしこい、野心のある魔法使いコーラス(ラドゥ・ソジョカリュウ)である。この歌手は舞台上の人形と歌い、同時に興行主にいいようにされている助手のブッフを歌う。

音楽は独創的ではないかもしれない。幼いモーツアルトが従来の様式を習得しようとしたもので、新しい様式を生み出そうとしたわけではない。だが曲には叙情的で優雅なタッチがあり、それでいて茶目っ気がある。バスティアンヌの粋なアリアを聴いていて、モーツアルトは12歳にして「ドン・ジョバンニ」のチェルリーナを書いたように私には思われた。

「興業主」のシーンでは、アルフレッド・クラインアインツの演じる興業主のフランクが「バスティアンとバスティアンヌ」の人形たちをオーディションする。人形たち ― 顔も、髪もなく、衣装も付けないマネキンのような ― 手を広げ、準備体操をし、オーディションをされ、はねられていくのは、面白い見物である。

「バスティアン」の上演が始まると、舞台と衣装は、現代服のザルツブルク音楽祭の演出を思い起こさせる。信じられないが、電気の街灯が山道を一列に照らしている。

二人のバスティアンヌ役を争う女性歌手(エヴモルフィア・メタカキとアレクサンドラ・ザモイスカ)とバスティアン(ベルンハルト・ベルヒトルト)は舞台上の人形の代役に上手に敬意を表している。ユンゲ・フィルハーモニック・ザルツブルクの演奏家は優雅かつ情熱的に演奏している。


音楽祭大ホールでの「魔笛」の新演出では、カレル・アッペルが舞台、ジョルジュ・ジャラが衣装を担当し、私が長年見てきたおとぎ話と子供じみた他愛のないイメージをうまく利用していた。王子タミーノが大蛇に追われて迷いこんだごつごつした岩山は紙の張り子のようだが、不思議なことに舞台上を出入りする。

大蛇はパッチワークの素材からできたかわいらしい怪物で、頭が大きく、目はまばゆいサーチライトである。「夜の女王」に仕える「三人の侍女」は、緑のそろいのユニホームを着たオーストリアの登山者として登場する。鳥刺しパパゲーノは森の中をカラフルなヴァンにのせてもらう。ヴァンを押すのは、インコの友達で、これは衣装をつけたダンサーで飛んだりする。

からくりが多すぎて大変である。でも手の込んだ舞台効果(試練の場では、水と火が同時に床全面にまき散る)にもかかわらず、アウディ氏の演出には一貫したスタイルがあり、上品な色合いで、これ見よがしの感じがない。メトロポリタン・オペラのジュリー・テイモアの超多忙で人目をひくことだけ考えている演出とはちがう。配役に弱点がない。ポール・グローブスは声は男性的で、動きは敏捷なタミーノである。メッツの新しいボス、ピーター・ゲルブは、若くてきれいなソプラノ、すてきなパミーナ役のゲニア・クーマイヤーを招いてはどうか。目の覚めるようなコロラチューラ・ソプラノ、ディアナ・ダムラウは大胆で冷たい「夜の女王」である。偉大なバス、ルネ・パープからはザラストロの権威がにじみ出ていた。バリトンのクリスティアン・ゲルハーヘルは混乱したパパゲーノであった。ムーティー氏はこの崇高な音楽を落ち着き、上品に指揮した。

中東の戦闘報告が相次ぐさなか、金曜日の夜、モーツアルトのおとぎ話風のオペラの演出は核心をついたものになった。アウディ氏はレバノンのベイルート生まれである。この事実が、このオペラの人種、派閥紛争、共通点の模索の探求に対する彼の鋭い演出を説明していないだろうか?たとえば、知恵の寺院でザラストロが異人種の共同生活の実験を行っている。ここに明白に示されている。内なる悪魔と闘うムーア人、モノスタトス(快活なテノール、ブルクハルト・ウルリッヒ)は同じ人種の仲間とザラストロのために働いている。パープ氏のザラストロは慈悲深いが、恩着せがましい。この演出では寺院での民族的緊張は長続きしない。

単純なパパゲーノでさえ、モノスタトスを怖がった自分を責めている。パパゲーノはムーア人を見たことがなく、モノスタトスと出くわしたときである。「黒い鳥がいる」とパパゲーノはいう。「黒い人間がいて何がおかしいのだ?」

ザラストロは真理を求めるが、彼はセクシストである。女は生まれつき傲慢であり、男が女を導かなくてはいけないといつも言っている。モーツアルトは物語のこの要素をパミーナを感受性のある役柄にすることで帳消しにしている。彼女はタミーノの水と火の試練に加わる。アウディ氏の演出では、その平等性を示すにふさわしい冠と衣を身につけて、寺院の新しい指導者として一緒に出てくる。

刺激的な調子で、敗北した「夜の女王」は最後の歓喜の場面で寺院のまわりに潜んでいる。彼女はザラストロと合意に達するのか、時が来ればまたあらたな攻撃を謀っているのか? 私はモーツアルト晩年のジングシュピール、彼の一番哲学的な作品と思えるが、この最後の場面の曖昧な表現について考えつづけた。これはすべて彼が12歳の時から出発している。面白い。

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トマシーニ記者はザルツブルク市中の見聞のシリーズを締めくくるに当たって、モーツアルト誕生の家に入場料を払っていくべきではないと忠告している。観光都市でくつろいだ観光を楽しむのは困難であるが、ここザルツブルクでも同様である。モーツアルトゆかりのこの家も蝋人形館みたいのようだ。大ガッカリの観光スポット。

ザルツブルク巡礼

8月7日

アンソニー・トマシーニ

ザルツブルク市中からの報告の最後に、いつかモーツアルトの生まれ故郷に巡礼の旅を計画していらっしゃるモーツアルト愛好家の皆さんに強く忠告しておきたい。ゲトライデガッセのモーツアルト誕生の家だけは行かない方がよい。ミュージアムと称しているが、あれはサギである。

ではなぜお前はいったのかって?得るところがなかったのかって?

私はずっと行っていなかった。私があそこに行ってからすっかり変わってしまった。私は1979年にオーストリアに行ったとき、この家にはすっかり魅せられた。その当時は、大きな陳列ケースがあり、手紙、記念物、家具、楽器が収まっていた。モーツアルトの父レオポルドが自分の子供に対位法を教えた手書きの音楽教本に感動した記憶がある。天才少年モーツアルトを超人的な子供とお考えかもしれない。それが礼服を着て、粉をまいたカツラをかぶった小さい頃の肖像画からの印象である。

しかしこの対位法の練習帳で、この有名な天才少年もやはり子供だったのだと思う。レベルの高い対位法を学んでいたのだけれど、他の子同様、書くのは難しかったのである。音符を書くとき、円や点を間隔内に納めるのに苦労している。難しいのは対位法ではなかった。

現在この練習帳は、私が記憶している、大半の文書、手書きの楽譜、手紙とともに消えてしまっている。現在では、ロバート・ウィルソンの設計が売り物になっているこのミュージアムでは、ルートに沿って進行方向の印が付いており、観光客を立ち止まらせないためであり、人の流れはたしかに良くなっている。

このミュージアムの中心展示室にはかっては陳列ケースがあったものだが、今ではペンキを塗った壁があり、のぞき窓からモーツアルトが子供の頃練習したちっちゃなバイオリンをちらっとみる仕組みになっている。居間にはまだ家具があり、モーツアルトの時代の衛生観念を説明するものもある。すなわち、水は肌を通過し、内蔵を弱くするから、皮膚はこすったとか。モーツアルトの最初の作曲であるピアノのためのメヌエットの馬鹿げたファクシミリのところでは観光客に押し流されないように。

モーツアルト250周年中、バスで押しかける観光客は、各国語で「立ち止まらないでください」という警備員によって押し出される。土曜日には、30人ぐらいの日本人学生はぐるっと回って15分で街に戻っていった。

入場料6ユーロ(7ドル50セント)を払ってモーツアルトが生まれた家に行くくらいなら、ハゲナウアー・プラッツの戸外のカフェでコーヒーとケーキを注文した方がいい。そこでコーヒーをすすって、この家をながめ、少年モーツアルトが練習し、3階の窓から流れてくる音を想像したほうがましである。

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トマシーニ記者の今日の話題は、資本主義国ロシアの石油に次ぐ主要輸出産品である女の子から始まる。ウィンブルドンだけではなく、ザルツブルクでもファッション・モデルをかねるロシアの女の子が今年も活躍するようである。音楽には興味はなくてもロシアの若い女の子に興味がある方はこちらにどうぞ。

http://www.annanetrebko.com/

この女性オーストリアの市民権を得たようであるから、ロシアから輸出されたことは間違いない。

アンソニー・トマシーニ

ニューヨーク・タイムス 8月6日

今日は一つの話題にしぼるのではなく、ザルツブルク音楽祭の雑多な話題を提供しよう。

ロシアの魅力的なソプラノ、アンナ・ネトレブコ、彼女のスザンナを日曜日のモーツアルトの「フィガロの結婚」で聴く予定である。彼女は当地に衝撃を与えてきた。彼女のポスターが至るところにある。非常に繁盛しているカフェ・トマセリに近いアルテル・マルクトには、ファンシー・ドレスの店エスカーダがある。店の三面の窓は白いシークイン・ガウンを着た扇情的なミズ・ネトレブコのポスターで埋め尽くされている。このガウンは展示され、買うことができる。

ミズ・ネトレブコ関連のファンシーな物件はそれだけではない。昨年の夏の音楽祭で、現代服の演出による、ヴェルディの「トラヴィアタ」で彼女はヴィオレッタ役で、アルフレッド役のアロンゾ・ヴィラゾンと共演して聴衆を魅了した。オペラ開幕直後のパーティでは、ミズ・ネトレブコは流行の先端を行く魅惑の桃色がかった赤いドレスを着て、ヴィオレッタのサロンの赤い革の寝椅子に立って乾杯をした。さて音楽祭はこの演出のオリジナルの寝椅子をオークションに出した。言い値は1万ユーロ、約1万3千ドルである。8月12日で締め切られるまでにお値段を申し出られてはいかがだろう。

少しまじめな話をしよう。音楽祭の理事会は困っているという噂である。提携関係にあるthe American Friends of the Salzburg Festival がイギリスの映画製作者トミー・パーマーによる「ザルツブルク音楽祭:小史“The Salzburg Festival: A Brief History”」を映画館で上映したのである。パーマー氏は上映の前にカラス、ワグナー、ストラビンスキー等の音楽芸術関係の人物の映画で以前物議を呼んだことがある。

小史といっても3時間以上もするドキュメンタリは、歴史的演奏やザルツブルクで仕事をした人物とのインタビューの場面がある。1933年から1944年までの間、この音楽祭の議論の余地のないナチとの結びつきを調べている。歴史家やよく知った評論家のなかにはこの映画の事実認識の過ちを指摘している人もいる。上映は時折であるので、DVD版を手にした。いずれ報告することにしよう。

さて衣装に戻ろう。バイロイトの衣装のしきたりについて述べたからには、ザルツブルクについても述べておくことにしよう。むしろザルツブルクの方が、優雅でフォーマルな服装で登場する人の割合が多い。レーダーホーゼン一式を着てやってくるオーストリアの家族もいるが、スーツやスポーツウェアで通過するものもいる。

ティケット価格はバイロイトも顔負けである。大がかりな演出で大劇場でモーツアルトの人気のあるオペラの入場券は、バイロイトの最高が250ドルであるのに、360ユーロ、約430ドルはする。しかし、ピアノ・リサイタルでは6ドル50セントで入れて、国に帰ってから、かの有名なザルツブルク音楽祭のコンサートに行って来たよと友人に自慢できる。

音楽祭会場の案内係は男が多いが、洗練された制服を着て、健全な感じのいい若い男女である。「サウンド・オブ・ミュージック」のリメイクのトラップ・ファミリーの一員のような感じである。ちゃかすつもりはない。彼らは魅力的かつ有能である。

バイロイトでは見かけず、ザルツブルクだけで見かけるものがある。泉。ザルツブルクでは皆が高価な飲み物をだけを飲むことを期待されている。私はある晩トイレの蛇口の下で手で水をすくいながら愉快ではなかった。

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今年のザルツブルクは雨が多いそうである。雨の日、トマシーニ記者はモーツアルト一族の墓をもうでることにした。

モーツアルト一族の墓所

アンソニー・トマシーニ

ニューヨーク・タイムス  8月5日 ザルツブルク


ザルツブルクでは雨の日が多く、がっかりである。ザルツブルクではカフェや広場や戸外の市場で過ごすことが多いからである。雨がやむと肌寒い。はい、はい。暑さで悩むニューヨーク人には肌寒いという言葉も気持ちよく響くものね。

昨日は雨の日の理想的な過ごし方を思いついた。二カ所の教会墓地を訪れてモーツアルト一族の行方を調べることである。誰と誰が最終的に皮肉な組み合わせで一緒になるのは、ある意味では妥当なことなのである。

モーツアルトの父レオポルドは音楽家としては幅が広く、先生としては優れた人物であったが、威張り散らす頑固な家長であった。ヴォルフガングが成人してヨーロッパの音楽都市でちゃんとしたポストを確保すべき年頃になったが、レオポルドが息子に厳禁したことがある。ウィーンでフリーランサーとして運を試すこと、マンハイム出身の歌手で写譜職人である人物の四人の娘のいずれとも結婚することである。父に背いてヴォルフガングは二つともやってしまった。

レオポルドは齢とともに多少丸くなったが、モーツアルトの妻の選択だけは断固許せなかった。彼は1787年に死亡して、リンツェルガッセの大通りの右にあるきれいなバロック教会、聖セバスティアン教会の墓地に葬られた。レオポルドはしゅうとめと一緒になった。

そして55年後になるが、この一族の墓所でレオポルドと永遠に一緒になったのは誰だと思う。コンスタンツェである。彼女の墓碑は、金の文字が彫り込んだ粗い大理石であるが、簡素なものである。それでも墓所では立派なものであり、レオポルドの墓石よりはるかに高い石である。

コンスタンツェはデンマークで生涯を終える可能性もあった。ヴォルフガングが1791年に死んだとき、彼女には養育すべき二人の男の子がいた。最終的に彼女はデンマークの外交官で大変上品なゲオルク・ニッセンと再婚した。彼は母と子供二人を1810年にコペンハーゲンに連れていった。10年後に退職して、モーツアルトの伝記を書き始め、家族はザルツブルクに移住した。こうしてコンスタンツェは結婚に反対したお舅さんと隣り合わせで葬られたわけである。

16歳で死んだときコンスタンツェの姪のイエネットの墓も混ざっている。イエネットの母親はモーツアルトの姉ナンネルである。それに結婚により二歳年下だが彼女の叔母にあたるゲノヴェーヴァ・ウェーバーも一緒である。墓碑銘に書かれたところによれば、ゲノヴェーヴァは作曲家カール・マリア・フォン・ウェーバーの母親である。世間は狭いですね?

旧市街の左手、音楽祭会場にきわめて近いところに、見事なバロック教会聖ペーター教会があり、その印象的な墓地は市と接してそそり立つ山メンクスベルクにすり寄っている。ここでナンネルが手の込んだ墓に眠っている。ナンネルが一族の中で一番印象的な安息の場を持つことになったのは、思いやりのあることである。

彼女も素晴らしい天才少女であったが、成人に達する前にレオポルドが音楽の道に進むのを断念させた。33歳の時、やもめの父と暮らすのに疲れ果て、彼女はデンマークの外交官と結婚した。彼は彼女をコペンハーゲンに連れて行き、そこで5人の気難しい子供の継母になり、二人の子供を産んだ。旦那さんが死んだ後、彼女はザルツブルクに戻った。彼女は、兄ヨーゼフの陰に隠れてはいるが、素晴らしい音楽家ミハエル・ハイドンと同じ墓地に眠ることになった。これは幸せというものだった。

気の毒にモーツアルトの母、マリア・アンナの遺体はパリの墓地でおそらく見つけられた。彼女はヴォルフガングが21歳のとき演奏旅行の途中でパリで死んだ。われわれの知るところでは、ヴォルフガングはウィーン郊外の聖マルクスの共同墓地のどこかに眠っているものと思われる。彼が貧民同様に葬られたというのは作り話である。彼の葬儀は大聖堂でしかるべき儀式にのっとり行われたが、皇帝ヨゼフ二世の葬儀にかんする奇妙な勅令により、棺なしで市外に葬られたのである。

ヴォルフガングは子供の頃の音楽仲間の姉が一番すてきな場所に埋められているのを喜んでいると私は思う。


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