ヘ短調作品34

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音楽

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パバロッティに膵臓ガン

テノールのサヨナラ公演は手術後に延期

ティム・ページ
ワシントン・ポスト紙2月8日

ルティアーノ・パバロッティは膵臓癌にかかっており、今年中のコンサートはすべてキャンセルされることになったと、マネージャーは発表した。

世界でもっとも有名なオペラ歌手であるテノールのパバロッティは、医師団が「悪性の膵臓の塊」とされるものを発見して、先週ニューヨークのある病院(病院名は明らかにされていない)で手術を受けた。「幸いにもその塊はすべて手術で除去された」とマネージャーのテリ・ロブスンは彼女のロンドン事務所で述べた。「パバロッティ氏は順調に回復しており、医師団は患者の肉体的・精神的快復力にホットしている。」

現在70歳になるパバロッティは2005−06年のシーズンを「世界引退公演」とすることを決めていたが、「背中の手術からくる合併症」から、四月の8公演、六月の5公演のキャンセルを余儀なくされた。(6月21日にはワシントンのヴェリゾン・センターで歌う予定であった。)この引退公演の最後には、イギリスに渡り、9月にはフィンランド、ノールウェイ、オーストリア、スイス、ポルトガルで歌う予定であった。

膵臓癌は普通は回復不能であり、発見後5年以内の生存率は4パーセントである。膵臓癌と診断された患者は最初の一年の死亡率は80パーセントにも及ぶ。それでもロブスンは引退公演は2007年の早い時期に再開されると楽観的見通しを述べた。

パバロッティの仲間で、ときにライバルでもあるテノールのプラシド・ドミンゴ、彼はワシントン・ナショナル・オペラの総監督であるが、「わが友ルチアーノの迅速かつ完全な回復を心から願い、祈るものです」との声明を昨日発表した。

「私はこの5月に彼に会いましたが、そのとき彼は背中の病気から回復しつつあった。彼の生来の頑健さで病気を克服したように見えた。同様の不屈の精神力で現状を克服できると信じています。」

ドミンゴとパバロッティは三大テノールのうちの二人であり、1990年にホセ・カレーラスとともにすばらしい結束で成功を収めてきた。彼らの最初のアルバム − ワールド・カップを祝うライブ公演 − 2000万枚を売り、追随を許さないクラシック・レコードの史上最大の売り上げとなった。その他にもコンサートやレコーディングがあり、彼らの最近の公演は2003年のイギリスのバースで行われた。

スタジアム・コンサートがこれらのテノール歌手として最高のできであったという音楽関係者はほとんどいない。ドミンゴが茶目っ気たっぷりの笑いを浮かべて言ったように、三大テノールは「それぞれの理由で各自のプロジェクト」に邁進する道を選んだ。別に理由を詮索する必要はない。三大テノールのコンサートごとに各自100万ドル以上の収入を得ている。

実際、二人のパバロッティがいた。一人は偉大なる芸術家である。言葉で表せないリリックなテノール、この声は世界の太陽と甘美さを連想させるものであった。もう一人のパバロッティは仰々しいメディアのアトラクションである。彼はフットボール・スタディアムですごいアンプをつかって歌い、コンサートのレコーディングに口あわせしていたし、低俗な流行歌を歌っては舞台を徘徊していたし、クラシック音楽の歴史上最高の報酬にたいして、曲目によっては出来る限り手を抜いてきた。

「第二」のパバロッティの批判は多くのファンを狼狽させることになる。彼らは他のクラシック音楽家にはない熱狂ぶりで彼を崇拝するのみならず、彼の巧みに洗練された普通の人というパーソナリティを好んだのである。オペラファンや評論家が商品としてのパバロッティに厳しかったのは、彼らが芸術家としてのパバロッティを知り、敬っていたからである。

60歳の誕生日をとっくに過ぎてなお、彼は1960年に死亡したユッシ・ビョルリンク以来もっとも美しいテノールを維持してきた。―― そして彼が全身全霊をその役に打ち込み、すべての音を知りつくし、その音楽をよく考え、リハーサルには皆出席し、仲間と親密に共感を持って仕事をし、彼の天から授かったものを長いこといたわっていたら、 ―― 彼のような音楽家はいなかった。パバロッティだけがあの声を持っていた。 ―― 甘く、光り輝く、忘れられぬ声を持っていた。

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この小父さん作曲家ではない。モルガン金融財閥のJ.P.モルガンである。アメリカきっての大金融財閥のボスである。豪華なヨットを持ち、大統領も招待し、膝をつき合わせて話のできた財界の大立て者である。あるとき彼は、ヨットはどのくらい金がかかるのかと聞かれたとき、それを訊くようではヨットを持つ資格はないと答えたそうである。彼には他にも金額に頓着しない道楽があった。大金持ちの道楽といえば、古来コレクションである。アンドリュー・メロンは美術品にのめり込んでいったが、彼は作曲家の手書き原稿のコレクションで有名である。今回はモルガンの数あるコレクションの中で作曲家の手書き原稿にとくに興味を持つアンソニー・トマシーニの寄稿文を一部省略して紹介しよう。

2年間の改装工事の後、この4月に新装なり開館したモルガン・ライブラリであるが、皮肉にも今後手書きという作業が完全になくなる時代でのライブラリの再出発である。寄稿者は、モルガン・ライブラリの再開を祝いながらも、コンピュータによって消え去る運命にある、手で書くという人間的な作業の運命に哀悼の意を表している。

なおこの文章の最初の部分は省略してある。なお自筆原稿あるいは写譜とも訳される manuscripts はMSで省略させて頂いた。

アンソニー・トマシーニ
ニューヨーク・タイムズ紙6月24日

モルガン図書館は2年間の拡張工事の後この四月に新装開館した。建築家レンゾ・ピアノ設計による新館は小コンサート・ホールがあるだけではなく、2層の書庫ができた。湿気調節されており、モルガンのかけがえのない所蔵品、すなわち、素描、印刷物、書簡、文学作品の原稿、稀覯本、印章、そしてもちろん音楽の原稿を収納するためのものである。

モルガンの書庫にあるMSや下書き、原稿や草稿の書庫、約1700点あるが、世界的に有名である。バッハのカンタータ、ベートーベンの三重奏曲「幽霊」、ブラームスの交響曲第一と第二、マーラーの「大地の歌」、シューベルトの「冬の旅」、モーツアルトの交響曲「ハフナー」、 ―― 35年間も当コレクションで学芸員として勤務してきたJ.リグビー・ターナーによれば、 ―― ジルバートとサリバンの他に例のない完璧なコレクションがある。

図書館には価値あるMSや文書を維持するには両立困難な問題がある。最優先課題は文書を維持・保護することである。一般の閲覧はどうなるのか。宝を手にして研究できるのは誰か?

ターナー学芸員は音楽のMSに関する判断をまかされている。当然主観的判断が入る。学部学生から嘆願されてもほとんど考慮しないが、この元資料を閲覧しなければならないやむを得ざる理由を提示する学者や音楽家からの閲覧要求を認めている。

閲覧許可の判定基準はまず、「他の資料を調べ尽くしたか?」、「ファクシミリや複製本は?」「元資料を見なければ研究できないという理由があるのか?」

MSの閲覧を許された人は、指定された時間に、当図書館のシャーマン・エアチャイルド閲覧室で個人的に見ることができる。新館の最上階にあるこの魅力的な部屋は多くの仕事部屋があるのと、透明な天井からの自然光がある。

稀覯本や手書き文書のコレクションを維持するには専門的知識や多額の費用がかかる。二月には、ジュリアード音楽院はMSと注釈付きの初版本を139点寄贈された。バッハ、パーセル、シューマン、ワグナー、ストラビンスキー、シュニットケ等々。利用者の多い音楽院は大変高価なMSを保存し、閲覧希望を管理するという要求に応じなければならない。これは大変費用がかかり、労働集約的である。

ジュリアード音楽院の院長であるジョゼフ・W・ポリシはこの挑戦に応じることを誓った。ジュリアードがこの誓いを守るためには、ポリシ院長は図書館員や教授会の構成員をモルガンに派遣すべきである。

モルガンの設備が新しくなり、閲覧の方法が変わった。それ以前では、音楽関係のMSはターナー氏が管理する小さな書庫に保存されていた。数年前のことであるが、指揮者クルト・マスールは書架から取り出すMSを調べるために書庫に数時間いたが、その間リグビー氏が付き添っていたのである。

新館ではモルガンのMSはすべて同じ場所に集められる。学芸員のみが入ることを許される。マスールはモルガンで手書き原稿を調べることができるが、前もってリグビー氏に閲覧要求し、読書室でのみ研究が可能という仕組みになった。

テノールのイアン・ボストリッジも数年前にモルガン図書館に来ている。シューベルトの「冬の旅」のレコーディングの準備のためである。彼は数時間MSを見ていたが、同時にモルガンが保有するシューベルトの宝であり、彼の死後に編集された「白鳥の歌」も見ている。(コレクションの内容は図書館のウェッブ・サイト, www.morganlibrary.org に一覧があるが、オンラインでカタログをナビゲイトするのは忍耐がいる)。

一般の人はゆったりとした新展示室での回転式の展示をみることができる。現在の展示は「モルガンの傑作集」であり、9月3日まで開かれている。モーツアルトの交響曲「ハフナー」、ベートーベンのト調バイオリン・ソナタ(作品96)、ブラームスの第一交響曲、シューベルトの「冬の旅」、ショパンの超人気の変イ調のポロネーズ(作品53)、マーラーの第五交響曲(有名なアダージェットの冒頭部分が開かれてある)。

展示会で私が一番好きなのは、大編成のオーケストラと合唱と独唱者のためにかかれたシェーンベルクの「グレの歌」のすざまじい総譜である。全楽器と声楽部分を特大の楽譜に詰め込むために、シェーンベルクは小さい五線譜と記号をつかわなければならなかった。総譜はまるで大会戦用の作戦地図であり、そのつもりになればシェーンベルクの肝をつぶすような作品を解説できる。

MSを作曲家の最初の意図に光を当てるために不可欠との評価は過大視されてきた。作曲家は曲が演奏され、演奏者からの反応を聞いて修正するのが普通である。作曲家の改訂により作品は良くなっている。音楽史家が最初のMSを発掘することは、後に作曲家が欠陥を見出した版を発見することである。しかしながら、MSを通して出てくるものは作曲家の人間性である。大作曲家の自筆原稿を見る価値は、自筆原稿が的確に曲の創造者の人間性を明らかにするからである。記憶すべきは、偉大な人物は懸命に、ときには気も狂わんばかりに作業して、想像力を現実化し、期限に間に合わせようと葛藤した人たちである。

シューベルトのピアノ即興曲のMSを私がモルガンで調べた中から取りだして語ることにしよう。シューベルトの経済的困難や絶望のなかでの苦しい生活について数々の話があるにもかかわらず、彼の表記は確信に充ち、徹底した職業への誇りを感じさせる。たしかに、くり返しを表記する記号がいっぱいあり、装飾部が繰り返されてはいるのだけど。

一方でブラームスの交響曲第一番のMSは、歴史が物語っているように、この作品で苦悩したことを示している。彼の表記は神経質であり、きれいではない。くねった表記と修正で混乱している。しかし、グリークの物思いに沈む愛らしい5つの歌(作品70)のMSにあるのはすべて平安と光である。グリークは寛大な人物であり、親しみやすい作曲家である。その性格は彼の原稿に現れており、読みやすく、率直で、飾り気がない。

ストラビンスキーのメロドラマ「ペルセフォネ」の原稿は演奏したときの音のように見た目にも美しい。ページの5線符は旧式の5本先のペンとまっすぐな物差しをつかって手で書いたものである。

モルガンのMSをみて、私ははっとした。文字を書く技術とともに、手書きで原稿を書くという技術は消え去ってしまった。現在、ほとんどの作曲家はコンピュータ・プログラムを使っている。効率の点では偉大な進歩であるが、後世の人には損失である。コンピュータで書かれた作曲の最初のプリントアウトをわざわざ保有する図書館なんて考えられない。だからこそモルガン・コレクションの価値はいっそう高まるものである。

ワルプルギスの夜

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Walpurgisnacht

Liebe Mutter, heut' Nacht heulte Regen und Wind.
«Ist heute der erste Mai, liebes Kind.»

Liebe Mutter, es donnerte auf dem Brocken droben.
«Liebes Kind, es waren die Hexen oben.»

Liebe Mutter, ich möcht keine Hexen sehn.
«Liebes Kind, es ist wohl schon oft geschehn.»

Liebe Mutter, ob wohl im Dorf Hexen sind?
«Sie sind dir wohl näher, mein liebes Kind.»

Liebe Mutter, worauf fliegen die Hexen zum Berg?
«Liebes Kind, auf dem Rauche von heissem Werg.»

Liebe Mutter, worauf reiten die Hexen zum Spiel?
«Liebes Kind, sie reiten auf'nem Besenstiel.»

Liebe Mutter, ich sah gestern im Dorf viel Besen.
«Es sind auch viel Hexen auf'm Brocken gewesen.»

Liebe Mutter, 's hat gestern im Schornstein geraucht.
«Liebes Kind, es hat Einer das Werg gebraucht.»

Liebe Mutter, in der Nacht war dein Besen nicht zu Haus.
«Liebes Kind, so war er zum Blocksberg hinaus.»

Liebe Mutter, dein Bett war leer in der Nacht.
«Deine Mutter hat oben auf dem Blocksberg gewacht.»

Willibald Alexis


ワルプルギスの夜


ねえお母さん、今夜は雨と風の音がすごいね。
今日は5月一日だからね、娘や。

ねえお母さん、ブロッケンの山では雷が鳴っているわ。
娘や、魔女達があそこにいるのさ。

ねえお母さん、私は魔女には会いたくないわ。
娘や、いつも魔女に会っているよ。

ねえお母さん、村にも魔女はいるの?
もっと近くにいるわね、娘や。

ねえお母さん、どうやって魔女は山に飛んでいくの?
娘や、麻の煙と一緒に登って行くのさ。

ねえお母さん、魔女は何に乗って行くの?
娘や、ほうきに乗っていくのさ。

ねえお母さん、きのう村にはほうきがいっぱいあったわ。
ブロッケンにおうせい魔女がいるのさ。

ねえお母さん、きのう煙突から煙がでていたわ。
娘や、だれかが麻を燃やしたのだろうよ。

ねえお母さん、夜にほうきがなかったわ。
娘や、ブロッケンの山にあったのさ。

ねえお母さん、お母さんは夜ベッドにいなかったわ。
お母さんはブロッケンの山で目をさましたのさ。

ヴィリバルト・アレクシス


4月30日の夜にブロッケンの山に魔女が集まるという民間伝承がある。これを取り上げたものとしては、ゲーテの『ファウスト』のワルプルギスが一番有名である。ヴィリバルト・アレクシスもこれをグリム的な詩に完成させた。

この詩はブラームスにより女声二重唱として作曲された。CDもあるようだが、私は持っていない。私はブラームス歌曲集を持っているが、この曲は入っていないであろう。この曲についての私の唯一の情報は、ブラームスの女友達のエリーザベト・フォン・ヘルツォーゲンベルクからブラームスあての1878年3月1日の手紙である。

≪ 親愛なる友へ
 ご存じのように、(ライプチッヒ)フンボルト・シュトラーセのわたしたちは、あなたの仕事場から出てくるものならどんなものでも、歓声を上げて喜んでおります。さらにわたしたちを喜ばせたのはこのゾクゾクする魔女のデュエットです。これは絶え間なくあふれ出る霊感です。このすてきな、古びた写本用の紙もこの曲に合っています。歌詞は血も凍るようですが、この歌詞を先日貸して上げた進歩的な教授には腹が立ちました。彼にはまったく荒唐無稽の印象を与えたようです。彼はグリムのおとぎ話で育ってはいなかったのです。わたしは嬉しくて申し上げますが、母親が煙突から逃げたことを知ってはいましたけど、これを歌うたびに背中を身震いが通り過ぎていきます。わたしはこの曲をレントゲン家の末娘と練習するつもりです。彼女の無邪気で子供らしいソプラノが魔女の娘にぴったりです。わたしは魔女とわかるようにしています。それにしてもなんと楽しいのでしょう。筋書きは最初から分かっていますから、伴奏の低音部が「娘や。今日は五月一日だよ(’S ist heute der erste Mai, liebes Kind! )」の声を強調し、さらに怖がる娘のモティーフが母親の返歌の伴奏部に導入されます(身震いしたい人ならかならず聴き入ります)。これでこの部分は二重奏のようになり、まるで娘の声が聞こえるかのようです。もちろん返歌は、期待通り、問いかけの展開です。≫

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しかし、真の協力関係は目下練習中のショスタコービッチのト短調ピアノ五重奏曲の第一楽章に入ったときに始まった。この音楽は気まぐれなところがあり、ショスタコービッチの曲によくあるのだが、とらえどころがない所があった。バッハ風の対位法の再現と額面通りに受け取っていいのか。厳しい感情の爆発は皮肉なのだろうか?

演奏者は真面目に謎めいた部分を演奏し始めたが、すぐに合奏が合わなくなった。演奏をやめて集まった時、<私のテンポとは違うわ>と仲間に言った。彼女は注意深く聴くタイプの音楽家である。もう一度やり直したら、冒頭部分は上手く繋がってきた。ピアノの奇妙な三連符のはやい間奏部分へとなめらかに移っていった。

彼らがこの楽章の速いテンポの部分で上手く合わなかったとき、ミズ・ライスは自分のせいだと言った。<この楽節がどうなっていくかわかっていなかったものだから、ページをめくるのを躊躇したのよ。> 彼女はスコアを見てつぶやいた。<ここを直さなくちゃ>と。これは間違いない。

ミズ・キムはミズ・ライスが一連の分厚い和音を分けて演奏したことにコメントした。コンディ、一つ一つがの音が短すぎるのよ>と言った。さらに<私はそうは思わなかった>と注意した。

ミズ・ライスは<分離して弾きたいのだけど>と答えた。<短すぎはしない、繋がっていると思うけど> 皆は彼女の言っていることが分かった。

ショスタコービッチの後は、ブラームスのヘ短調ピアノ五重奏曲に移った。<コンディの十八番でね>とバッティー氏は言った。この強くて複雑で非常な難曲がミズ・ライスの好きな曲である。彼女はブラームスを崇拝している。この曲は<情熱的ではあるが、感傷的ではない>からである。スケルツォでは演奏者は猛スピードを出す。調子が外れ、調和が乱れる寸前まで行く。でもそれは問題ではなかった。演奏は大胆で生命力に溢れていた。

ミズ・ライスは一人っ子で、母方の四代目のピアニストであった。母のアンジェレーナ・ライスは1985年にガンで死んだが、黒人居住区、アラバマ州のバーミンガムの工業高校で音楽と理科の先生をしていた。<お母さんは教会で音楽を担当していて、見事に楽譜を読めたけれど、それほどクラシックな演奏ではなかった。ミズ・ライスは事前のインタビューで<でも母は耳が素晴らしく良くて、私にはそれがないのよ>と言っている。

彼女の父ジョン・ライスは、奴隷の息子であった父の後を継いで、バーミンガムの長老派の教会の司祭になったが、音楽、それもビッグ・バンド・ジャズが好きだった。(ジョン・ライスは2000年のクリスマス・イブ、彼女が国家安全保障会議の顧問に任命されたことを聞いた数日後に死亡した。) 彼女は幼児の頃、ミズ・ライスの両親から小さな玩具ピアノをプレゼントされた。<考えがあったのでしょう>と彼女は言った。現在でもそのプレゼントは彼女のアパートのコーヒー・テーブルに目立つように飾ってある。
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彼女に人生において決定的な音楽の影響を与えたのは母方の祖母マッティー・レイであった。ミズ・ライスの両親は二人とも働いていたので、毎日祖母の家において行かれた。祖母は個人的にピアノを教え、彼女の熱意と才能を感じ取った。レッスンは3歳の時から始まった。記憶がないけど、いつのまに楽譜が読めるようになったのかしら。線とスペースとただそれだけでしょう。ミズ・ライスは<ずっと楽譜が読めたのだと思うわ>と言った。

彼女の母がヴェルディの『アイーダ』のレコードを買ってくれた日から、クラシック音楽に夢中になり、びっくりして『勝利の行進』に聴き入った。

1963年の日曜日、まだに9歳にもならぬとき、父の教会に座っていたが、2マイル先のバプティスト教会で爆発があり、4人の黒人の少女が死亡した。1人は彼女の遊び友達だった。抗議と放水と爆発の時期、慰めになったのは、黒人の子供に門戸を開放した勇気のある土地の音楽学校での音楽の授業であった。1969年家族はデンバーに移住し、ミズ・ライスは1年と7年をスキップして15歳で音楽専攻の学生として入学した。

17歳でコロラドのアスペン音楽祭の権威ある夏期講習に通い、彼女は自身非常に上手なピアニストではあるが、<偉大ではない>と確信した。彼女によれば、<これは実に明白でした。>、<神童を見てごらんなさい、私があんな風に弾けないことがお分かりでしょう。>音楽には<目に見えない>何物かがあるのです、と彼女は言った。それが何であれ、彼女にはそれがないと感じたのである。彼女は「国際関係論」とくにソビエト連邦に焦点をあてて、勉強することになった。

教育や行政でのキャリアが進むにつれて、彼女は音楽から遠ざかった。彼女がスタンフォード大学の歴史学の最年少の部長になった1993年、何かを喪失した思いを感じ、再びピアノに向かうようになり、同僚のジョージ・バースからレッスンを受けた。室内楽に沈潜することを薦めてくれたのは彼であった。

近年何度か特別な場合にステージに上がることがあった。2002年ヨーヨーマが National Medal of the Arts を受賞したが、Constitution Hall.での授賞式で、彼はミズ・ライスに伴奏を頼んだ。彼らはチェロ曲に編曲されたブラームスのニ短調バイオリン・ソナタを演奏した。ヨーヨーマと演奏したときの写真は彼女のリビングの一番いいところに飾ってある。

ミズ・ライスは音楽的才能を外交の手段と考え始めた。この二月にパリで、イラク侵攻での不一致によるアメリカとヨーロッパの仲直りについて講演したときから、その傾向が目立ってきている。訪問中、エクトール・ベルリオーズ音楽院を訪問し、子供たちのクラスを参観し、子供たちの合奏を見学している。彼女が聴き入っているところをカメラがとらえているが、音楽家の卵に深く感動しているように見受けられた。

ある時、<アメリカ・フランス間の関係等に全般的問題があった>と彼女は言っている。<その時、フランスの子供たちと接触するのがいいと思った。>なにか弾いてくれと頼まれ、その時は断ったが、いつか室内楽の仲間と来ることを約束した。

彼女の仲間もできれば行きたいと思っている。ある日曜日の練習でのことであるが、ブラームスのスケルツォを夢中で弾いいて、フォルティッシモの最後のコードからフィナーレの神秘的な導入部、ジプシーダンス風の短調モードのアレグロにいたるまで、そこで途切れさせないで、続けて弾いてしまった。
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ミズ・ライスは<スケルツォは突然奇妙な終わり方をしてしまう>と言った。だから次の緩やかな導入部にすぐに入るのが<いいアイデアのようだ>と彼女は言った。手柄を取られまいとバッティー氏は<これは私のアイデアだ>と言った。同僚は笑って<そうだね、そうだね>と言ったそうである。

練習が終わると、弦楽器奏者は楽器をしまい、いつもの練習後のご褒美、ワインとチーズを頂くためにコーヒー・テーブルに座った。お喋りしているうちに、ミズ・ライスの友人達は彼女の国務長官の宣誓式とブッシュ大統領夫妻臨席での彼女の50歳の誕生日に招待されてのは感激だったと言った。

ミズ・ライスはケネディー・センターから歩いていける所に住んでいるが、ワシントン・ナショナル・オペラのワグナーの『ラインの黄金』の上演が待ち遠しいと言った。二月には、キーロフ歌劇団が首都を訪問したとき、彼女はキーロフのプッチーニの『トゥーランドット』を見ている。新演出が素晴らしかったと感想を述べた。音楽も素晴らしかったと言う。

<プッチーニで好きなのは『トゥーランドット』だけよ>と彼女は言った。われわれ何人かはプッチーニを擁護したけれど、ミズ・ライスの意見は彼女一人ではなかった。

彼女のお気に入りのオペラはムソルグスキーの『ホヴァンシチーナ』である。彼女はロシア文化、言語、歴史の権威であるから、驚くにはあたらない。このオペラは今日では特別な反響があるであろう。オペラはピョートル大帝の登場する時代の物語である。守旧派や原理主義的な正教派の非妥協的な態度で、血なまぐさい党派的闘争が一層悪化した時の話である。

最近の彼女は、室内楽で満ち足りてソロ演奏したいという希望はほとんどないそうである。しかし、特定のピアノのレパートリーに目を向けてはいる。

<私がこの世を去る前に、どうにかしてブラームスのピアノ協奏曲二番をならってみたい>と彼女は言った。<この曲は一番美しい音楽ですからね。>同時にものすごく難しい曲である。
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コンドリーザ・ライスが今後 ナショナル・フットボール協会の会長になるのか、スタンフォードの学長になるのか、あるいはどこそこの会長になるかは、いろいろ憶測があるであろう。でも彼女がブラームスのピアノ協奏曲二番を習わないに賭けてはいけない。

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ニューヨーク・タイムスの4月9日の芸術欄のアーカイブを結局購入することにした。たいした金額ではないが、クレジット・カードの番号という個人情報はこれ以上提供しまいと思っていた矢先である。友人からのライス国務長官の記事は意外だったというメイルもあり、ニューヨーク・タイムスはタブロイドではないから滅多なことはないと思い、購入した。かなり長文の記事である。短ければ金返せといいたくなるが、翻訳にはちょっと時間がかかりそうであるし、適当なところで切らないとヤフーの制限に引っかかりそうである。何回かに分けて投稿することにする。

そもそも私はブッシュ大統領にたいして小泉さんのように好意的ではない。比較には値しないが、ライス国務長官は彼女のボスよりはるかに秀才である。でもアメリカには人種と性による差別はないというアリバイ証明のための女性ではないかという先入観があったので、彼女についてはほとんど知らない。またアメリカの政界の重要人物についても同様である。固有名詞のカタカナ表記にはさっぱり自信がない。誤りがあればご指摘いただけれ幸いである。

女性の長官にはマダム・セクレタリーというタイトルがつくことも始めて知った位で、誤訳ではないかという疑問があればコメントを頂きたい。


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鍵盤上のマダム・セクレタリー

四月9日付けのNYTの記事(アンソニー・トマシーニ)

ワシントン ー 2週間前の日曜日、コンドリーザ・ライスは朝4時に起きた。この時間でないと、日課になっている朝の運動(ウェイト・トレーニングとランニング・マシーンのトレーニング)と、朝の三つのニュース番組のインタビューの準備に間に合わないからである。数時間後の「記者会見」で、イラク侵攻後間もなく、アメリカ軍のイラクへの動きについて情報が流れたという調査結果について、ティム・ラッサートが彼女を追求している。普通好意的な''Fox News Sunday''ですら、クリス・ウォーリスがイラクの政治家が役割で争っている最中に、アメリカ軍がなぜ戦闘に参加し、死んでいかなければならないのか質問をしている。この番組の最後の方で、予想通り彼女の今後について質問が出た。共和党の大物議員からの勧めあるが、いいえ、大統領選にでる気はありませんと述べた。

しかし午後遅くには、4人の友人との室内楽の演奏を始めるために、ミズ・ライスはウオーター・ゲートの合同宿舎の快適なアパートに帰宅した。二人は法律を職業としており、二人は熱心なアマチュア弦楽奏者である。

ミズ・ライスはピアノがすごく上手い。学生間の競争に勝って、15歳の時にはモーツアルトのニ短調のピアノ協奏曲をデンバー交響楽団と競演している。大学に進学するまではプロの音楽家になるつもりで努力した。51歳の現在、隔週には仲間と演奏している。この会は彼女のが明らかにしてこなかったが、これも彼女のきわめて公的な生活の一部であった。

室内楽の演奏でくつろぎの時をもてるかと聞かれたとき、<ブラームスの演奏に取り組んで、くつろげるわけはありませんよ。> なぜかというと、<夢中になってしまいますからね。演奏しているときは、ブラームスやショスタコービッチだけの世界だから。いつもの自分からは遠いところに行ける時でしょう。とても大事な時間です。>

彼女は国務長官で最初のアマチュア音楽家ではない。初代の国務長官トマス・ジェファーソンは政治家である間、室内楽、とくにバロックのトリオ・ソナタを演奏したバイオリンの名手であった。でもその当時には家庭演奏会は珍しいことではなかった。

現在は違う、レコーディング技術の時代である。音楽史上のどんな曲でも iPod のスイッチをひねるだけで聴ける。そのせいで、多くの人は演奏するという個人的な楽しみを知らない。彼女の政治的支持者や反対者にとって彼女が他にいかなる存在であれ、ミズ・ライスは現在世界でもっとも著名なアマチュア音楽家であろう。これはクラシック音楽の世界のビッグ・ニュースである。

ミズ・ライス合奏団のアマチュア演奏家はそれぞれプロの音楽家としてのれっきとした保証書を持っている。二人の演奏家は法律に転向するまで音楽家として成功した経歴を持っている。第一バイオリンのソーイエ?・キム(Soye Kim)はジュリアード音楽院で学位を二つ取っており、ヨーロッパで学び、ニューヨークではフリーの音楽家であり、39歳でロー・スクールに入った。ロバート・バティーはミズーリ大学で12年間チェロの教授の席になった。今でも指導している。

バイオリン奏者のローレンス・ヴォーリスは、現在は引退しているが、八人の大統領の下で法務長官代理をあった。以前は音楽でアルバイトをしていた。合奏団で一番若い第二バイオリンのジョシュア・クラインは(最高裁)判事サンドラ・デイ・オコーナーが最後の任期中に、その下で仕事をしていた。彼は学部とロー・スクールに在籍中にバイオリンをけんめいに習っていた。

アマチュアであることを卑下するわけではなく、ミズ・ライスは言った<ピアノでお金をもらったことはないの。>

バッティー氏は言った。<エー、でも君は音楽のせいで結構なディナーに招待されているじゃない。>

二年前に、100人の聴衆を前に英国大使館で合奏団が演奏したことを彼が言ったのである。 1時間以上の演奏会のあと英国大使は優雅な晩餐会で彼女をもてなしている。

2003年には、彼女の合奏団はミズ・ライスのアパートで私的な演奏会を開き、超党派の聴衆であふれかえった。その中には、最高裁判事ステファン・G・ブライヤーとルース・ベイダー・ギンスバーグそれにアラン・グリンスパンとハリエット・メイヤーズ、皆クラシック・ファンであった。ミズ・ライスの広いリビングの隅に中型のグランド・ピアノ、チェッカーリングがあるが、これは彼女が十代の時の両親の大切なプレゼントである。

この日曜日、演奏者が着席し、音合わせをしたあと、シューマンの変ホ調のピアノ五重奏の元気溢れんばかりの第一楽章を演奏した。ピアノのパーツは華やかで、装飾が派手であり、激しい対照的な展開部があり、手の込んだ対位法が駆使されている。

<国務長官には手を慣らすのにいい曲で始めるのが慣例になっている>とバッティー氏は言った。彼の説明では、本番の前にウオーミング・アップをしたのだ。

ミズ・ライスの長く細い指は練習時間の少ない人としては実に素早い。タッチは軽く、精密である。しかも彼女の演奏はメリハリがあり、場合によってはたくましい音を出す。

彼らは一楽章をすべて演奏した。難しい展開部で少しもつれたときは全員が上手に前に進み、上手く処理した。

友人同士が居間の中で楽しみのために演奏するのを聞くのは実に素晴らしいものである。また音を包み込むように響かせてくれる。室内楽の演奏は連帯を体験させてくれる。国務省での事前のインタビューで、ミズ・ライスはメンバーは<最高の友人>と言っていた。

さらに<私たちは家族みたいです>と言っている。

シューマンは調子よく進行していたが、ミズ・ライスはコーダで派手に盛り上がるところでモタモタした。<最後の所もう一度やれないかしら?>と彼女は言った。<私たちのプライドにかけて>彼らは繰り返し、手堅く、充実した演奏になった。


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