ヘ短調作品34

ルブランの回想録の link 先はゲストブックを御覧ください。

音楽

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ベートーヴェンの室内楽が続くが、私は知人宅で彼の「後期の弦楽四重奏曲」を聴いているはずである。「楽聖」と称せられるからには、無知な私は尊敬の念を持って聴いているはずであるが、何しろ室内楽は地味である。一度聴いたきりだと思う。

 

もしもある談話の記事がなかったら忘れていただろう。若いころ人並みに「前衛」とか「現代」という言葉に意味もなく惹かれたものである。二十世紀の前衛音楽家の代表的人物として私はストラヴィンスキーを特に崇拝していた。そのストラヴィンスキーがフランスの作家マルセル・プルーストの思い出を語り、それが雑誌に掲載されていた。プルーストに好きな音楽を質問したら、ベートーヴェンの「後期の弦楽四重奏曲」という返答が返ってきたという。ストラヴィンスキーは苦笑いしてパリの格式あるサロンに出入りする連中の流行だったと述べていた。

 

ドイツはゲーテとベートーヴェンを生んだ文化国家というが、普仏戦争でアルサス・ロレーヌ地方を失って以来、政府や軍部は「反独」で国論を統一しようとしてきた。そのあおりをくらったのが、ゲーテの「ファウスト」のグレーチェンである。ファウストに唆されたが、ドイツ人にすれば聖なる乙女である。フランスの愛国者によれば、彼女はふしだらで、デブでブスのドイツ女の代表と喧伝された。その頃にベートーヴェンはフランスで安泰だったのかどうか知らないが、「後期の弦楽四重奏曲」はサロンに出入りする教養人の模範解答だったらしい。

 

それと私には知人宅にはカペー弦楽四重奏団のSPがあった記憶がある。まさか第一バイオリン奏者のカペーがカペー王朝の血筋を引いているわけではないが、由緒のありそうな響きの名前であり、記憶に残っていた。カペー弦楽四重奏団を調べたらベートーヴェンの解釈で有名である。まず間違いなかろうとYouTubeで調べたらベートーヴェン:弦楽四重奏曲 15 イ短調作品132-第三楽章があった。録音は古いが、お気に召されたら若手の演奏もあるようなので視聴をおすすめする。

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知人の蓄音機を語り始めると記憶に蘇るレコードが出てくる。カザルスの無伴奏チェロ曲の話をしたが、カザルスはご存知カザルス・トリオを結成している。バイオリニストのティボーとピアニストのコルトーの仲間である。知人はドイツびいきであったから、彼らの演奏するベートーベンの「大公トリオ」を持っていた。私自身はその後フランスの音楽を聴くようになり、ベートーベンについてはロマンチックな伝記を通じてしか知らなくなった。だが彼の室内楽は知人のコレクションにより私の脳に刷り込まれた。その筆頭がベートーベンの友人であり、パトロンであったルドルフ大公に献呈された通称「大公」である。特に第一楽章の雄渾な響きは忘れられない。今日はそのカザルス・トリオの「大公」がYouTubeにあったのでご紹介したいと思う。
 
それにしてもこのトリオの生涯は極端に違う。カザルスは平和主義者として尊敬されたが、ティボーは飛行機事故で死亡し、ストラディヴァリとともに哀悼の意を表された。コルトーはナチに協力的であり、戦後失意の晩年を送った。思うにコルトーは三人の中で一番有能な人物ではなかったか。頭のいい人はつねに活躍の場がないと気がすまないものである。ヴィシー政権の実権を握った頭脳明晰なピエール・ラヴァルがその例で、常に注目を浴びる場にいた。コルトーがナチ協力者になったのは、ドイツ音楽に対する造詣の深さや思想的なものがあるかもしれないが、能力を発揮できない亡命生活は耐えられなかったのではないかと思う。一度コルトーの伝記をしっかり読んでみたいと思う。
 
上の写真は右からティボー、カザルス、コルトーであるが、中央の人物はフォーレではないかと思う。いつも白髪の頭と髭の写真を見るが、帽子を被ったフォーレは何処にもない。まさかクレマンソーではないだろう。写真にはサインがあり、最後の Cortot の字は読めたがその他の字は読めなかった。

シューベルト:菩提樹

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知り合いの家にあったので印象に残っているのはシューベルトの「冬の旅」である。これも豪華な装丁だったので記憶に残っている。バリトンは当時のドイツの第一人者ゲルハルト・ヒュッシュである。冬の旅全曲はとてもでないが、小学校か中学校で教わった「菩提樹」を、竹針を削りながら繰り返し聴いた。蓄音機はドイツ語で歌い、音痴の私は小声の日本語で和したものである。
 
そのせいか、30数年後にドイツのビヤホールで何か歌えと言われた。歌わなければ全員(十人くらいだったか)にビールをおごれという。「カラオケ、カラオケ」と急かされた。大学での第二外国語はドイツ語であったから、教科にあった訳ではないが、「菩提樹」の出だし程度なら、ドイツ語版を何処かで読んだ記憶があった。そこで「リンデンバウム」を歌うことにした。第一詩節は記憶していたが、その後の記憶はなかった。だが心配することはなかった。私が歌い始めた途端に全員の大合唱であった。外来の文部省唱歌が原作の地で忘れられていることはあるらしいが、「リンデンバウム」はまさにドイツの文部省唱歌であった。今でもそうだと確信している。カラオケの苦手な人も出だしだけで充分なはずである。大いに盛り上がり、全員におごることなく隣に順番を譲ることが出来た。
 
ちなみに第一詩節は以下の通りである。
 
Am Brunnen vordem Thore
Da steht einLindenbaum:
Ich träumt’ in seinem Schatten
So manchen süßen Traum.
 
第三帝国で全盛期を迎えた人は戦後苦労したらしい。ヒュッシュも例外ではないらしい。バイロイトの指揮者、歌手同様の苦労をしている。彼は共産主義者に暗殺されたナチ党員を偲び賛美する「ナチ党歌」を吹き込んでいるから、言い逃れできないナチ協力者である。戦後本国で大変苦労したが、同様の辛酸を舐めた日本から招待され音大の教授になったようである。
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知り合いのレコードを毎週のように通っては聴かせてもらったが、最初に聴いた曲がこのメンデルスゾーンのバイオリン協奏曲である。最初の上品な出だしから凄いと感激し、以後夢中になった。おかげで知り合いの貴重なコレクションは傷んだはずである。申し訳なく思っている。その後日本人の音楽趣味も変化したが、戦前から戦後にかけて、男女を問わずクラシック音楽の代表的名作として親しまれて来たのはご存知の通りである。この曲には越えがたい気品があり、その後のバイオリン協奏曲は多少なりとも「剽窃」の謗りを免れない名曲中の名曲である。

 

コレクションの曲名を記憶していても演奏家の名前は忘れている事が多いが、この曲でクライスラーの名前は刷り込まれた。クライスラーは勿論協奏曲を手掛けているが、私にはメンデルスゾーンとクライスラーは切り離せない思い出の組み合わせである。

 

以前YouTubeで調べた時には彼の自作の「ウィーンの思い出」とかアンコール曲しか出てこなかったが、思い直して横文字で検索したら出てきた。随分ノイズを減らす技術は進んだものであるし、ディジタル化されて市販されているようだ。今回拝借したのは第一楽章だけだが、第二・第三楽章もあるようである。

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戦後、知人の家で主にドイツ系の音楽を聞いたつもりであるが、聞き逃している曲もある。ベートーベンの「荘厳ミサ」は神聖な曲と思い、分厚いアルバムを手にするのも畏れ多いと思い、聴かずじまいでいまだに聴いていない。ラジオ放送でも聴いた記憶がない。
 
いわゆる古典派の音楽がコレクションにあった気がするが、バッハは二曲あったが、そのうちの一曲が「無伴奏チェロ組曲第1番」であった。これは音痴の私にも印象に残っている。演奏はカザルスである。申し分ないブランド品である。今日YouTubeで見付け、聴き直してもあの時の感動が蘇ってくる。


J S Bach 無伴奏チェロ組曲第1番

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