ヘ短調作品34

ルブランの回想録の link 先はゲストブックを御覧ください。

音楽

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                          Brahms Violin Concerto 1st Mov. Huberman

先週私の戦後のクラシック音楽との出会いについてご紹介したが、今週もその後の知人宅で聞いたクラシック音楽の記憶を辿ってみたいと思う。知人は非常に裕福だったかどうかは知らないが、当時としては文化的に贅沢した人だったと思う。その知人のお宅で伺ったレコード盤はとても衝動買いできるものではない。レコード盤には表と裏があるが、あっという間に片面は終わってしまう。そのレコード盤を何枚もの袋に入れ、豪華な装丁で仕上げる。お金持ちの結婚式のアルバムのような感じである。おそらくレコード屋さんは衣装道楽の金持ちの家に出入りする呉服屋さんのような商売だったのではないか。おいそれと買えるものではないし、飛ぶように売れたとは思えない。
 
だから知人の所有したレコードは名声が確立した演奏家ばかりである。その中で私が好んで聞いた曲はラローのスペイン交響曲である。演奏はブラニスラフ・フーバーマンである。知人のコレクションの中でも最も19世紀的な演奏家ではなかったろうか。その後あんなに情感あふれる演奏をするバイオリニストを知らない。おそらく彼の演奏スタイルは流行らなくなったのであろう。その後彼のタイプの演奏家は知らない。19世紀の音楽だから、19世紀的な演奏で良いと思うが。
 
彼はユダヤ系のポーランド人であり、五歳の頃から神童の評判が高かった。となればユダヤ系ハンガリー人の名バイオリニストであるヨゼフ・ヨアヒムにお目通りというのが既定のコースである。早速弟子入りしたが、ヨアヒムの弟子という肩書を頂戴しただけであり、実際にはヨアヒムの弟子の指導を受けたらしい。彼はブラームスの前で彼のバイオリン・コンチェルトを演奏し、彼にキスして貰った最後の「神童」である。ブラームスは新曲を神童に約束したが、間もなく他界した。
 
ユダヤ系のバイオリニストの曲を知人が戦前に購入したから、録音はヒトラー・ナチス以前になされたのか、外国に出た後の録音なのか定かではない。とにかく生気溢れる演奏であり、ノイズの記憶は全くない。最近、ピアノ伴奏による彼の「スペイン交響曲」を聞いたが、記憶とあまりにかけ離れた再生であり、YouTube による紹介は控えさせていただく。ご興味のある方はYouTubeで検索されたい。
 
音は消え去るものであり、記憶だけが残る。その記憶の蘇りで音楽は成立し、益々美化されていく。私が知人宅で聞いた「スペイン交響曲」はまだ世界中に残っているはずである。たしかオーストラリアにフーバーマンのコレクターがいた。十数年前にCD化され、発売されたので入手は可能のはず。私も持っているが、昔はなかったノイズがCDにははっきり残っていた。やはりという感じである。
 
今日は彼がブラームスの前で演奏した「バイオリン・コンチェルト作品61」の第一楽章をYouTubeからお届けする。彼が死ぬ三年前の録音だから当然である。

戦中・戦後の「第九」

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年末になると「第九」の放送がNHKで聞く機会があるが、最近は「紅白」も「第九」も聞かなくなって久しい。外国に滞在していた時に、「紅白」は一ヶ月遅れぐらいであろうか、ビデオの録画が聞く機会はあった。滞在先で「第九」を聞く機会はあったのかも知れないが、聴こうとも思わなかった。
 
帰国後バブル景気の頃、チョット洒落たビアホールがあり、数人のジプシーを呼び演奏させたりしていたが、年末だったのか、「第九」の最終楽章のポピュラーな一節をバイオリンで弾いてみせた。日本でバイオリン弾きをしていると「第九」が受けると知っていたのである。
 
「第九」は第一次世界大戦後の板東俘虜収容所でドイツ人捕虜によりアジア初演されたことで有名である。私はもう一つのエピソードが全く語られていないのが気にはなっている。そのエピソードとは第二次世界大戦中のことである。「第九」の原盤がU-Boot で極秘裏に日本に運ばれたのである。これは「戦う日本国民に献呈する」というヒトラー総統のメッセイジであった。物資が不足する中、特別の計らいでSPレコードが発売された。このレコードは戦後も聴かれていたはずである。非軍国主義化と非ナチ化の流れであろう。公然とは語られていなかったのではないか。
 
実は60数年前になるが、私は知りあいの家でドイツ製の蓄音機と竹製の針でこの「第九」を聴いている。そして処分されていなかった軍国主義時代の音楽雑誌を読んだ。その中に「第九」の原盤の話が書かれていた。それにしてもあの蓄音機と「第九」のレコード、それに役目を果たし、日本を離れたU-Boot の運命はどうなったのか。
 
意外なことに指揮者は第三帝国の代表的指揮者フルトヴェングラーではなく、日本では当時無名のオイゲン・ヨッフムであった。多少の落胆はあったものの、ナチの新進気鋭の指揮者であると喧伝されていた。ヨッフムの「第九」の録音記録を最近みたが、日本に輸送された原盤を特定できなかった。YouTube に彼の「第九」の全曲盤があった。


         

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以前友人に好きな曲の名を挙げろと言われて、筆頭に『フランクのバイオリン・ソナタ』と答えたのを覚えている。曲全体に統一感があり、最後まで聞きたくなる。一部スキップしたくなったり、最終楽章の主題でホッとしたりする曲ではない。『放蕩息子を縄で縛った曲』ではないのである。正確には『バイオリンとピアノのためのソナタ』だそうだが、私はヴィオラ版もチェロ版も持っている。コルトー編曲のピアノ連弾のソナタもあるそうだが、珍品の部類か、聴く機会に恵まれていない。
 
私の持っている『バイオリンとピアノのためのソナタ』のCDYouTubeでは見つからなかったが、ギドン・クレーメル(Gidon Kremer) がバイオリン演奏するYouTube が目に入った。視聴してみると画面右側にカタカナで「バイオリン」という電光掲示が見える。さらに画面下には、Suntory hallとかStandard YouTubeLicense とか書いてある。削除されないという期待を抱かせてくれる。
 

作曲者セザール・フランクはピアノを伴奏でなく、対等に扱っている。伴走者はあまり映らないが、臥牙丸や栃ノ心と同じジョージアのカティア・ブニアティシヴィリ(Khatia Buniatishvili)らしい。いわゆる「美人過ぎる」ピアニストである。腕前はともかく客の呼べる女性である。YouTubeには彼女の容姿に関するセクハラ気味のコメントも散見される。

 

音楽的知名度はともかく容姿での知名度はクレーメルより上である。フランクもクレーメルもどうでもいい。カティアに関心がある方はYouTubeGidon Kremer plays Franck 2/2 : Sonatafor Violin & Pianoをクリックし、最後の二人の挨拶をご覧になるのがよいであろう。

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すでにドビュッシーの”En blanc et noir”のデュエットで紹介済みのアナスタシア・グロモグラソヴァ(Anastasia Gromoglasova)とリューボフ・グロモグソヴァ( LiubovGromoglasova)の姉妹によるブラームスの『ハイドンの主題による変奏曲作品56b』に再度登場を願うことにした。彼女たちが若く、それゆえ録音も若いということが理由である。大家のYouTubeは削除される可能性が高いし、素性の悪そうなYouTubeをブログにシェアする方としても盗品の故買みたいであり、気分が悪い。事実アルゲリッチの一曲の演奏は削除されていた。
 
二人の姉妹の姉のアナスタシアはすでに知られているようだが、妹のリューボフはもっぱら姉と組んで二台のピアノか連弾で登場している。YouTube で褒める人のコメントに対し、「二人はモスクワで演奏の予定があるが、招待があれば何処にでも行きます 」と書き込んでいた。この二人に関する限り削除の心配はなさそうである。目下売出し中の録画であるらしい。
 

私は生来顔が覚えるのが苦手である。どちらがアナスタシアでリューボフかはその都度解説を読まなければならない。今回のYouTubeでは、左側がアナスタシアで右側がリューボフである。

 

上の写真では左側がリューボフで右側がアナスタシアらしい。

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上の文書はチャイコフスキーが弟のモデスト・チャイコフスキーに送った手紙である。手紙の内容は『クルミ割り人形』のジンジャー・ブレッドや玩具の構想がまとまりつつあるといった内容らしい。この手紙を投函したのはナイアガラの滝の見物を終え、列車に乗り換える駅だったらしい。上に方に91という数字が見えるが、1891年にアメリカに旅をしたのである。
 
1891年は鉄鋼王カーネギーが財力に物を言わせ、ニューヨークにカーネギー・ホールを建築した。物凄い札束でアメリカを代表するホールのこけら落としに相応しい音楽家を呼ぶことになった。チャイコフスキーが候補に上がり、これ以上の人は世界にいないと結論がでた。チャイコフスキーは旅行好きであり、魅力的な新世界からの招聘に応じた。
 
アメリカに行く前にドイツ、フランスでも演奏会を開いたが、偶然ではあるが、パリで新しいチェレスタを開発した人物と出会った。アメリカ旅行のお陰でチェレスタを使った『クルミ割り人形』という発想が生まれた。チャイコフスキーはチェレスタの魅力を『金平糖の踊り』で最大限に引き出した作曲家として記憶されることになった。
 
さて肝心のコンサートであるが、ピアノ協奏曲等で熱狂的な賞賛を浴び、その後東部の都市で演奏会、晩餐会、サイン攻めで、多忙だが大成功の演奏旅行を終え、上機嫌で再度の来訪を約束しヨーロッパに帰った。
 
このアメリカ旅行はカーネギー・ホールの百周年記念の1991年に合わせて、アメリカに招聘されたチャイコフスキーの旅行中の書簡や日記などをカーネギー・ホール側の強い要請でロシアから買い取った経緯を今日のYouTube でホールの主任学芸員が紹介している。字幕を出すことも可能であるが、機械翻訳のせいかミスの多い字幕である。






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