写真1は、司令部トンネルの入り口。トンネル中ほどに看板が見えます。入り口はトンネルの中です。
写真2は、戦闘指揮所の地図です。シチリア島とマルタ島が見えます。戦闘機や爆撃機のコマをおいて、
棒を使って動かして位置を示します。
写真3は、司令官のイスです。地図を見下ろす場所にあります。周辺には連絡用の電話が並んでいます。
写真4は、戦闘機中隊(squadron)の状況表示板です。離陸後15分(15 MINS+ )とか敵目視
(ENEMY SIGHTED)と書かれています。
写真5は、イギリス空軍の救助部隊のオーナメントです。組織図には救助部隊がしっかり位置づけ
られていました。
ラスカリス司令部
“第2次世界大戦時、マルタ島のイギリス軍総司令部”
第2次世界大戦の時に、マルタ島のイギリス軍は少数の航空機と潜水艦で、ロンメル将軍のいる北アフリカへの輸送を妨害し続けました。ドイツ・イタリア軍はマルタ島を海上封鎖し、爆撃を繰り返しましたが、マルタ島は最後まで持ちこたえました。一時、2枚羽のグラジエーター戦闘機だけで戦っていました。
バレッタにあるラスカリス司令部(Lascaris War Rooms)は、当時のイギリス軍司令部です。ドイツ・イタリア空軍の爆撃に耐えるようにとアッパー・バラッカ・ガーデンの120m地下にあるため、とても見つけにくいです。看板を頼りに階段を降りて、駐車場を抜けて、トンネルの中ほどに(!)入り口があります。岩をくりぬいて作られており、たくさんの部屋がありました。イギリス人の頑強さがよくわかる場所です。
スピットファイアー戦闘機等を指揮する戦闘司令室や対空砲司令室等が残っています。暗号による送受信機や防空監視員からの連絡室も残っています。ここでは撃墜されたパイロットを救援するためのボートや飛行艇の指揮もしていた。映画「マルタ島攻防戦」(1953,イギリス)の舞台になりました。記録映画が上映されていましたが、残念ながら見る時間がなかったです。
1943年7月には,シチリア侵攻(ハスキー作戦)のために連合軍総司令部が置かれ、アイゼンハワー将軍やカニンガム海将、モントゴメリー陸将、テッダー空将がここを使いました。
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