雲原村総合案内所 ブログ

福知山市雲原の様子をお届けします。

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 7月21日開催の「万亀の水祭」開会式後スタートした「天座地域探訪」。
 雲原では「雲原砂防」という歴史的な偉業を昨年掘り起こしましたが、酒呑童子の伝説で有名な大江山のふもとにあるここ天座には、伝説に満ちた資源がたくさんあります。
 
 昨年、地域の語り部さんなどの協力を得て「地域の宝(資源)マップ」をつくりましたが、たくさんの伝説めいた資源が眠っていることがわかりました。今回の雲原川流域探訪はそんな天座の「伝説」にクローズアップしてみました。

 万亀の水飲み場を出発。なんとご来賓の松山新市長や米田振興局副局長、野口土木事務所長も一緒に探訪となり、市長を先頭に約70人の一団がその歴史を訪ねることになりました。

 お昼には38度になったほどの暑い日でした。歩いていても汗タラタラです。最初に訪れたのは「薬師堂」です。地域の語り部である早○茂○さんにお世話になりました。ノートにびっしりとネタを整理され、子どもたちとお祭りをしたお話等「薬師さん」にまつわるお話をしていただきました。

 道中では、福知山市文化財のスペシャリスト八瀬さんに「道祖神」のお話なども興味深く聞くことができました。そのまま第2の目的地「坂田の金時がほった大日如来像」のある大歳神社へ。

 大歳神社は、万亀の会場も見渡せる高台にあります。急な坂道を登ります。暑さと体力不足でしんどいですが、何とかたどり着きました。高台は風がとおり、木陰はものすごく涼しく別世界になっていました。

 さて、坂田の金時が彫った像とのご対面です。テレビ番組に出たこともある像です。歴史の事実はひとつしかありませんが、伝説は何万とありますので、その真相は誰もわかりません。「でもそれを地域の宝として語り伝えていくことが私たちの役割」と語り部の廣○哲○さんは語っておられました。 金太郎さんが斧で彫った像。語り継がれ未だにこの地に存在していることがすばらしいことではないでしょうか。

 最後にそのお隣にある普光寺さんで源頼光一行が、鬼退治のときに書写したといわれる「大般若経六百巻」を拝見。実は管理人も現物は初めて見ました。年に一度土用の丑の日(今日ですね)にむしぼしをされますが、今回はこの探訪に併せて実施していただきました。

 お寺の本堂一面に巻物が並べられていました。すべて違う内容のようです。
資料からそのいわれを紹介しておきます。

 今から千年ほどむかし、源頼光(みなもとのらいこう)が大江山の鬼(酒呑童子:しゅてんどうじ)征伐の命を受け、修験者の姿に身をやつし家来五人(藤原保昌(ふじわらのやすまさ)、渡辺綱(わたなべのつな)、平貞道(たいらのさだみち)、卜部季武(うらべのすえたけ)、坂田金時(さかたのきんとき)とともにこの天座にやってきました。天座では佐右衛門(さうえもん)という者の家に泊まり、退治のときを待ちました。このとき、「天座」の由来をたずねたといいます。

 佐右衛門は天照太神が天からこの世界に初めて降りられた場所がこの地の「御座岩(ございわ)」であるという伝えと、「拝原」・「天ノ浮橋」のいわれを説明しました。

 この話を聞いた頼光は「これはなんとめでたいところに来たものだ」とを御座岩に七日七夜、鬼退治の成功を一心不乱に祈りました。するとどうでしょう、神様が現われ、この地に熊野権現(くまのごんげん)を勧進(神仏の来臨を願うこと)し、大般若経を書き写し大年明神に奉納すれば願いは成就し、後の時代まで宝物になるであろう、と告げられました。

 やがて頼光一行は無事鬼退治を成功させることができました。そして神様のお告げどおり、大日如来(だいにちにょらい)を本尊とする普通寺を建立し、さらに一行で大般若経六百巻を書き写し、大歳神社に奉納したと伝えられています。

 大歳神社に大般若経を納めるとき、坂田金時は字は書けないが、「大」の字だけは書くことができるということで、「大」の字だけ最初に適当に書き散らしたところ、後で頼光らが書き足してみるとちょうどよいところにおさまったという。

 古くは祭りの際にはこの経典を納めた経箱を担ぎ、般若心経を唱えながら、村中を巡回しました。また大歳神社の舞殿には金時が斧で彫った大日如来と伝えられる像が祀られています。

 天座には「鎌止め」という風習がありました。酒呑童子が討たれた8月10日には鎌止と称して刃物を一切屋外に出さない。また牛も鬼のように角があるので一切外には出さなかったと伝えます。

 ある村人が牛を連れて大江山の方に行ったところ、霧の中から赤い顔で角のある怪物が現れた。この話を聞いた村人は「鬼の亡霊に違いない」といい8月10日に鎌止めと定め、当番の家に集まって大般若経を皆で奉読し、お日待ちをしたと伝えられます。

大般若経の内容
 大歳神社大般若経が発見されたいきさつは、地元天座からの情報により、昭和38年11月下旬、当時京都府文化財保護課の中野玄三技師に調査を依頼し、六百巻全部を書風によって朝の三時まだかかって時代分けしたものです。ただし、時代分けを優先したため、奥書(巻末の、著者名・書写年月日・来歴などについての書き入れ)についての詳しい調査はできていません。なお福知山市にはその際の調査記録が残っていません。
 当時の時代区分による巻数は次のとおりです。
 藤原時代(平安時代後半期:10世紀末〜13世紀) 136巻
 藤原時代〜鎌倉時代                64巻
 鎌倉時代(12世紀末〜14世紀半ば)       372巻
 室町時代(一四世紀半ば〜一六世紀後半)        3巻
 江戸時代(一七世紀〜一九世紀末)           1巻
        合 計              576巻  断巻7片
 本来600巻からなりますが、欠巻があるのが通例です。
 版本ではなく、書写による大般若経の例は府下にも少なく、しかも平安・鎌倉時代がほとんどを占めるのは誠に貴重であるとの判断から、昭和38年12月29日、福知山市指定文化財(典籍)として指定され、末永く保存することとしました。
 
経典の現状
 用紙 上質な和紙 黄色を帯びる。
 規格 幅33センチ、縦25センチ弱 罫線で枠取りされている。一巻に470〜480行となっている。重さ約200グラム

大般若経の管理
 自治会 毎年土用の丑の日(好天の日)午後 全巻 普光寺本堂の広間で実施。拝観は自由。損傷が激しい。作成から1000年(伝承の年から換算して)寛政の修理からでも200年余り、どう保存すべきか課題は多い。
(以上 資料から)

 「冷たいお茶」をいただき、普光寺をあとにしました。午前11時前に万亀の水のみ場にもどってきました。





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