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(高遠城址・殿坂、登り口の案内板)
殿坂は高砂橋から段丘上の高遠城の大手門に至るヘアピンの急な長い坂である。この殿坂、かつては高遠城の名所であったとみえ、幾つかの絵巻に残されている。
現在、この坂は、桜のシーズンには城址公園に向かう大型観光バス、乗用車の交通渋滞がピークに達する場所である。であるから、観光バスの乗客は殿坂手前の高砂橋辺りで降ろされ、脇の人幅ほどの自分坂から徒歩で大手門跡まで登り、桜会場に臨むことが多い。
旧時代は殿坂を挟んで、家臣団の武家屋敷が櫛比していた。高遠が生んだ砲術の先覚者、坂本天山の屋敷もこの一角にあった。
江戸時代、この坂で刃傷沙汰があった。その大略が役方の報告書として遺っている。
以下、多少膨らませて再現してみることとする。
幕末の天保末期、内藤頼寧治世のこと。
家中に久保田敬信なる藩士がいた。養父は雪荷派弓術の達人として家中に知れ渡っていた。このことが敬信の性格形成に陰に陽に影響したかどうか、敬信は粘着質な性質で、さらには短慮であったと思える。倅に敬一郎がいた。
敬一郎はある時、同じく藩士の子弟の川島悌次郎と些細なことから口論になり、掴み合いの喧嘩になった。敬一郎、悌次郎とも元服前の前髪であったと察せられる。喧嘩は悌次郎に分があった。しかし、事はそれで終わらなかった。
帰宅した敬一郎から事の次第を聞いた久保田敬信は、自子の不甲斐無さよりも、喧嘩相手の川島悌次郎に遺恨を持った。両人の喧嘩から日を経ずして、敬信は悌次郎を自宅に呼びつけた。訪れた悌次郎に敬信は悪口雑言の限りを浴びせた。あるいは打擲を加えたもしれない。みかねた隣家の藤田某が仲裁に入って、ようやくその場は収まった。敬信の行動はよほどエキセントリックなものであったことが伺える。
日頃の両家の関係(久保田敬信は川島家の上役筋であったと考えた方が、前後関係に無理がない)、あるいは込み入った事情は分からないが、ともかく「子の喧嘩に親が出た」。敬信の人格の一端が知れる。敬信の怨恨はしかし、これで鎮まった訳ではない。「夫婦相語りて折あらば(川島家に)恨みを晴らさんと(その時機を)待ち受けたり」と報告書にある。夫婦揃って、悌次郎転じて川島家に憎悪を抱くに至った。
長月(九月)の六日。御役番を退けた敬信は家路をたどるべく大手門を出、殿坂を下り始めた。折から御番役で登城中の悌次郎の兄、川島小藤太と出くわした。敬信はここぞとばかり小藤太に「拙者の倅と貴殿の弟の件について話し合いたい、ついては同行されたし」と強引に持ちかける。
小藤太は当然ながら「拙者、今から御番役上番につきその件、他日に願いたし」と峻拒した。しかし、敬信「乱行、暴言も甚だしかりしかば」とあることから小藤太を蹴ったり、殴ったりしたものであろうか。さらには著しく武士の名誉を傷つける言辞を吐いたことであろう。
武士は名誉で生きている。「その言や武士として聞き捨てならぬ!」堪えかねて小藤太は言ったものであろう。敬信の「なにを腰抜けが」という暇もあらばこそ、小藤太は抜刀した。驚愕狼狽する敬信に、初太刀こそ頬をかすめたものの、続く太刀で袈裟掛けに切り下げた。よほど太刀風が鋭かったか、間合いが近かったか、敬信は絶命した。
敬信の死を確認すると小藤太は、成りゆきといいながら、藩士を殺めたことであるから月番の目付、岡部十郎左衛門に事の委細を届け出た。次いで、自決しようと帰途につく途中、(よほど逆縁なのであろう)つい今し方斬殺した敬信の倅、敬一郎と出くわした。小藤太は「今其処にて汝の父を切り殺したり、仇を討ちたくばいざ来れと」呼ばわった。
が、このとき敬一郎は思いもよらない行動を取る。きびすを返し「逃げた」のである。「蒼皇逃れ去れり」と報告書には記されている。
前髪(元服前)の若年と云えど、現代の中学生、高校生と同日に論ずることはできない。幼少期から(特に嗣子たるもの)武士のたしなみは臓の腑まで教育されている。若年でも、仮に家長が不慮で致仕すれば、相続し職務を全うし、家庭を支えていかなければならない。言うまでもなく、親の仇を討つこともたしなみの一つである。それが武士たる家の子の倫理でなければならなかった。
江戸時代は戦国の軍事体制のまま、戦のない長い時代を経営してきた。幕府・各藩は膨大な武士と云う名の余剰人員を抱え続けた。その一部は、役方と呼ばれる行政職(内政・外交・経済・内部監察)と番方の治安、軍務に大別された。現今の軍隊制度に無理に当て嵌めてみると、背広組、制服組ということになろうか。
この事件の当事者達はいずれも番方、制服組である。つまり、本来の武士である。武士ON武士の倫理の中で生きていた。観念としての士道以前の、自己と家を存続させる保存倫理であるといってもよい。むろん、倫理より前に、人間には心の強弱がある。敬一郎はその意味で弱かった、というより本能に忠実であったと云うべきかもしれない。
ともかく、親の仇の現行犯を名乗る川島小藤太の前から血相を変えて遁走し、家に舞い戻って震えていたであろうか。これもまた、時を越えて血の通った人間の選択肢の一つであろう。
呆然としながらも小藤太は家に戻り、父母や親族を集め、事の顛末を語り、弟妹に後事を託し、自室において割腹した。時に小藤太、二三才であったという。
藩は仇の面前で逃奔した士道不覚悟の敬一郎を放逐し、川島小藤太の父、小兵衛に閉門を仰付け事済み、とある。
(末裔の名誉を慮り当事者を仮名とした)
人間が社会を形成するところに必ず発生するのが人間関係における諸問題であろう。政治といった管理装置に絡めとられるはるか手前の、小共同体において人間関係を結ぶ上で無数のトラブル、ストレスが存在する。その許容を越えた先に確執、闘争が存在する。いずれの場合にも根源は、極めて些細なところに起因する。
さらにやっかいなことには(意識するとせざると)同一人が加害者であり、状況次第では被害者にもなりえることである。人が社会に住みなす業である。人類発生以来いずれの時代にも欠くことなく抱えてきた問題である。悲しいかな人間はそれを完全に超克する知恵を未だに獲得していない。未来永劫にかかる課題であろう。
どうにもやりきれない事件ではあるが、人間社会における、古くて新しい課題であることと理解することができれば、その一点において、意味があることかもしれない。
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現代にもありそうな話ですよね f^^;
若さもあるとは思うんですが血の気の多さと言うか、
感情の起伏のバランスと言うべきか、
この時代はまだ“お家柄”という因はありましたが、
今は因ですら見当がつかない。
これがこのまま30歳過ぎていたらどうなっていたのだろうと
思います www
2009/3/16(月) 午後 9:59
なるほどねと感心して読みました。現在でも場面を変えればありえる事件ですね。登場人物のような人間、つい重なる人間も近場にいます。人間が複数いれば社会ができる。社会ができると必ず人間関係で多くの事件が起こる。未来永劫なくなることはないでしょうね。悲しい人間の性でしょうか。
2009/3/16(月) 午後 10:05 [ あおれんじゃあ ]
歴史の中にドラマありですね。オーナーの中に勝手気ままな人が多くて、摩擦の起きないようにするのに毎日の気苦労が絶えません。人生は修行の場なのだろうかと考えさせられます。
2009/3/16(月) 午後 10:55
りょうさん
日本的な人間関係の複雑さは舞台、環境を整えて、さらに固有の人格を配置しないと(総合しないと)結果が見えずらいところがありますね。多少の軋轢、虐め、無態は我慢する、呑込んでしまう。そして、情勢なら更衣室、男(最近はここれもセックスレスでしょうか)飲み屋で憂さ晴らしというとこでしょうか。どっかにガス抜きを作る。これもある種の人間関係の在り方でしょう。今はさらにガス抜きの在り方も異なってきているのではないでしょうか。
2009/3/17(火) 午前 0:01
あおれんじゃあさん
おっしゃるとおりですね。報告書を砕きながら百数十年前の政治体制も違えば、倫理観も違う時代の実感は希薄でした。現代の何処にでも居そうな人間風景の感じがしました。旧石器時代も平安時代も些末な人間関係のごたごたは無数に存在したし、また近未来も間違いなく生活の中に存在し続けることなんでしょうね。
2009/3/17(火) 午前 0:07
kazeさん
人生は修行の場、感覚的にわかりますね。現代は巨大な世界市場に取り込まれ、効率と低価格を追求する市場メカニズムの渦中にありながら、そのひとつひとつの細胞のなかで市場原理とは少し離れた人間と人間の感情や立場からの物言いや、アク、押しなどの計量、計測不可の人間関係で動いている。思えば不思議な‥。
2009/3/17(火) 午前 0:15
う〜ん。
敬一郎は親に甘やかされて育ったおぼっちゃま。
敬信夫妻は子供を甘やかしてその喧嘩にまで口を出す。
そんな状況が思い浮かびました。
実際はどうだったのかは分かりませんが
割腹した小藤太が本当に可哀相になりました。
子供の喧嘩に口を出す親。
学校の先生に口を出す親。
現代にも沢山いますけれど
そうすることで自らの立場を不幸にしているんじゃないかって
そう思ったりもします・・・。
2009/3/17(火) 午後 8:53
ぶんちゃん
現代の刑法に照らせば、(自決しなければ)川島小藤太は逮捕、裁判では情状は汲んでもらえるにしても殺人罪で、実刑はまぬかれない。そこまで追いやった敬信の側は被害者であるから、そもそも審判の対象にもならない。江戸時代の法審理『累は「家」にも及び、喧嘩は両成敗』は、不条理な気もしますが、この件だけに関して(この場合は同藩士故、高遠藩の審理であるが)云えば、久保田側の追放、川島側の閉門も(双方、落度ということで)「一理」ある気もしますね。なんだか、現在もどこかで起こっていそうな事件の背景でしたね。
2009/3/17(火) 午後 10:41
そうですね、今は昔より見えない形で巧妙にw
複雑な人間関係は昔よりは少なくなったとは思いたいんですが w
2009/3/23(月) 午前 0:50
ふん、ふん、今は昔より見えない形で巧妙に。そうですね。確かに人間は小利口になり、粗暴な争いは表面上少なくなりましたね、昔よりは。古畑の若年時代は男共は、まるで猿のように他の小学、中学の生徒や気に入らない者との掴み合いの喧嘩、河原での石投げなどしょっちゅうでしたが^^;最近のお子さまはそんなことはしない。無論、大人はさらに。人間として熟してきたのか、あるいは人間関係が希薄になってきたのか‥。
2009/3/23(月) 午後 11:43
人間関係が希薄で未成熟な分、
あたらずさわらずしながら
陰湿な喧嘩は続いているような気はします f^^;
↑昔と違って面と向かい言い合う勇気はないんでしょうが www
2009/3/27(金) 午後 7:18
「陰湿な喧嘩は続いているような気は‥」いじめがその最たる現象のような。しかし、このいじめ、学校だけでなく、大人の世界にも蔓延しているような感じですね。
2009/3/27(金) 午後 10:13