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(南アルプスと高遠城址公園)
♣田圃青年:「信濃の国」って長野オリンピックの開会式の入場行進で流されていた曲ですよね。
♥助手アベナ:ふをっ?「信濃の国」?知ッらぁなァい‥。県の歌?
♤喜寿美堂:安濃さん、御出身の青森の「県歌」御存じですか?口ずさめますか?
♠安濃スクラ氏:いやぁ、知らねぇなあ、だいてぇ青森に県歌なんかあっだかな?
♤喜寿美堂:道産子のアべナちゃんはいかがです?
♥助手アベナ:道歌?あるんでしょけどねぇ。‥聴いたことないよ。
♤喜寿美堂:そういう私は東京ネイティブですが、残念ながら皆さん同様「都歌」は知りませんし、聴いたこともありません。
◇古畑任次郎:しかし、ここ信州だけは違う。老若男女、県歌「信濃の国」を口ずさめないものはいないだろう。誰でも歌える。カラオケにさえ入っている。中央省庁から長野県に出向する役人が長野の行政データを勉強することと同列に「信濃の国」を覚えて赴任するのが心得とも言われるらしい。
♣田圃青年:そういえば、信州出身の友だちから、地元の放送局では番組の始まりと終わりに「信濃の国」が流れるって聞いたことがあるような。何なんでしょうね?それって。
♤喜寿美堂:「信州」っていう表現自体がこの国の成り立ちと難しさを表している気がします。南部と津軽の対立が現在でも残ると言われる青森県ですら、自県を表現する一般的な言い回しとして「奥州」といわないでしょう。うどんを誇る香川県は讃州とはいわないし、鹿児島は今では薩州とは呼ばない、仲間うちで「オイは薩摩でゴワス」と親称することはあっても。
しかし、信州では未だに「長野県」への統合のこだわりが牢固として残っているようです。かなり希薄になってきたというものの「長野県」と積極的に称するのを快く思わない精神風土があるように感じられます。
♣田圃青年:そうですよね。県のメジャーなものは「信州・信濃」を冠するような。例えば、国立大学(独立行政法人)は「信州大学」新聞は「信濃毎日」放送局は「信州放送」。そして県歌も「長野県歌」でなく「信濃の国」っていうことですよね。信州で「長野」と表す場合は、県全体でなく、長野市付近のローカルエリアを指すみたいですね。県全体は「信州」あるいは「信濃」なんだと。そんなふうな。
◇古畑任次郎:その極め付けは県立高校の表記かな。
♥助手アベナ:えっ、県立高校はなんと表されるの?
♣田圃青年:そう言われてみれば‥、僕の母校でいうと名門(へへっ)埼玉県立□□高等学校。これって全国の県立高校はほぼ同じように表すでしょう。例えば「岩手県立遠野高等学校」「青森県立三沢高等学校」「愛知県立安城高等高校」「鹿児島県立鶴丸高等学校」「熊本県立熊本高等学校」「新潟県立三条高等学校」「山形県立米沢工業高等学校」「福島県立会津高等学校」(‥このまま続けると全国高校巡りになっちゃいますね)というふうに。
ところが、この高遠の場合「長野県高遠高等学校」、ほか「長野県松本深志高等学校」「長野県長野高等学校」「長野県諏訪清陵高等学校」「長野県伊那北高等学校」‥。県立の高校はすべてそう表記しているようですね。四七都道府県で唯一でしょう、こんな独自の高校表記は。
♥助手アベナ:えっ、えっ、そうなの?徹底してるぅ。「県立」は冠さないんだ?なんで、何でなの?
◇古畑任次郎:表記の元になるのは旧制中学校の時代、大正九年「長野県令三八号」によりそれまで「県立」の文字を冠していた学校名称から「立」の字を削除することになった。
それを、新制高校にも引き継いだ。行政執務の都合上「長野県」使用は妥協せざるを得ない。しかし「長野県立」は許さない、そんな強い意志の表われを思わす。当局者は「県立を冠せずとも「長野県」の名を用いることによって、それが県の施設であることは「慣行」から県民ならば「自明の理」である」との公式見解を打ち出している。
実に不思議な見解だけれど、信州の当局者のこだわりかな、そんな意図が強く感じられる、実に面白い。本音は「信州立」、「信濃立」としたいところなんだろうね。
♥助手アベナ:なんで、なんでそこまでこだわるのよお?たかが表記じゃないの。記号でしょ、しょせん。
♤喜寿美堂:そうとばかり断じることのできない事情があるみたいなのです。県歌「信濃の国」の愛唱のこんな広がりは、ひっくり返せば、信州統合の複雑さの表われかも知れません。御承知のように、信州は幾つかの盆地で形成されているという地理的な事情からローカル色が極めて強く、小独立国がそれぞれ自立してきた長い歴史を持っています。
そうであったから、近代になっての「長野県合一」はことあるごとに県庁の移庁論、分県論が噴出して議会での政治課題になってきたのです。その度に議場はもとより場外でも、乱闘、放火も辞さない南・北信の過激な対立が繰り返えされたようです。
南信・東信の人々にとって「なぜローカルな地域名「長野」が全県を表す「長野県」であらねばならないのだ」という感情論も内在しています。戦後も(昭和23年)県庁所在地問題が論議されました。この場合も近代以降の幾度かの論争に負けず劣らず、議場は沸騰し「分県」の気運が高まり、紛糾を極めたようです。
◇古畑任次郎:「分県」の裁決に入ろうとしたその矢先、傍聴席で誰かが「信濃の国」を高唱したらしい。やがて、それが議場全体を覆うようになり、いつしか議員達も唱和していた。そのことによって、さしもの檄高した県議会も理性を取り戻した。再審議の末、からくも「分県」は免れたという。
♥助手アベナ:‥ふうん、なんだかマジックみたいだね。歌にそんな沈静作用、融和性があるんだぁ。
♤喜寿美堂:「平(盆地)」を中心として独立文化圏・小国が分立した信州は「県」という便宜的な行政都合の網をかけて統べていくのが難しいのかもしれません。また小国の方にもまとまりを受容しようとする気分が希薄なのでしょう。なにやら連邦政府を形成する国々に似てますね。
アメリカ合衆国における合衆の同一性は、具象的なもの、分かりやすい「形」に転化させることが必要であり、それを「星条旗」に代位させたように、信州のそれは「信濃の国」であるのかもしれない。そう解釈すると「信濃の国」にまつわる逸話が生まれたことに納得がいくような気がします。
♠安濃スクラ氏:県歌になる前史の方が長いと言っぢぇあったたって、だいがどのよに流行らせたのかな?
◇古畑任次郎:明治32(1899)年長野師範の教師浅井洌が師範の生徒向けに作ったんだそうだ。詞に信州の地理、産物、名所、偉人などを盛り込んでいる。いわば、教育教材だった。北村季晴という音楽の教師が原曲を編集し、やがて師範学校を中心に「信濃の国」が馴染んでいく。師範出の教師をつうじて全県の小学校にひろく浸透していく。教育県・信州の津々浦々で「信濃の国」が愛唱されるようになった、という訳だ。
「信濃の国」はよほど信州人のメンタリティにフィットしたらしい。かつて、県は別に「県歌」を作ったらしいが、それは、まったく顧みられることなく、連綿と「信濃の国」が歌い継がれた。実質の「県歌」だった。
♣田圃青年:歌詞は少々古臭くなった感じもありますが、何だか懐かしいメロディーですね。あと、気付いたのですが、5番の「♪旭将軍 義仲も 仁科の五郎 信盛も‥♪」とありますが、仁科五郎は「盛信」の間違いではないのですか?
♤喜寿美堂:武田信玄の五男、仁科盛信は正史では「盛信」ですが、高遠の城将になる前の旧地では証文に「信盛」と署名があったりするので、単なる誤植でもないようですね。
♥助手アベナ:音楽は世界を繋ぐなんていうけど、あながちマーケティング戦略としてのキャッチコピーだけじゃないかもね。
◇古畑任次郎:歌曲にはどうも人間のシンパシーを共震させる、集団の血液を沸騰させる(あるいは逆の場合もあるかな)働きがあるらしい。時代状況にあっては歌曲は時には爆発的なエネルギーをもたらす。フランス革命の時の「ラ・マルセイエーズ」、や「インターショナル」がそうであったしね。
人智をこえる感情を融合する触媒のような働きがあるのかもしれない。仏教の読経なんかはその最右翼なんだろう、宇宙の何ごとかと結ぶ共鳴波動のようなものがあるのかもしれないなぁ。
♥助手アべナ:‥なるほどォ。さてさて「信濃の国」に興味のある人はここ
http://www.sukigara.org/meat/map/naganokenka.htm からアクセスしてみてね。メロディ♪とコーラスが聴けるよ。
♠安濃スクラ氏:‥信州人の頑迷さはなんだが、会津人と重なるんだよね。ヘバ、高遠饅頭でも食べに行きまっショ。
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