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♤阿久津弁護士:「鳥居元忠は雲霞のごとく押し寄せる西軍を、孤軍伏見城で受け立ち、落城と共に割腹して果てた。三成の反徳川の旗幟を明らかにさせ、身を呈して西軍の東上を遅らせた。家康天下取り戦略の忠実な推進者だった。関ヶ原戦後、家康は元忠割腹の『血畳』を江戸城・伏見櫓に運ばせ、諸大名に公開したという。家康は身を捨てて徳川の時代を開いた元忠を忘れはしなかった」
♥助手アベナ:「‥伏見城ってこの時、炎上したんじゃなかったけ?」
♤阿久津弁護士:「真偽のほどは不明だけれど、不思議なことに、元忠切腹の間だけ焼け残った−という。功臣元忠の家督を継いだのは、忠政。徳川家は特に目をかけたようだ。4万石から加増を重ね、最後には最上・山形24万石の大大名にまで累進した。ひとえに忠吉、元忠の七光ってとこだね」
♥助手アベナ:「あのシブチンで鳴らした家康様が?」
♤阿久津弁護士:「24万石を襲封した頃は、家光の治世ではあったけどね。それにしても譜代大名への処遇としては別格だね。徳川の政策としては、前にも言ったように、譜代の石高は低いその代わり幕府閣僚への登用は、譜代大名のみとして、その矜持を立てたんだ」
♥助手アベナ:「最上・山形って大名の出入りの激しいとこよね。保科正之も居たことあるでしょ?」
♤阿久津弁護士:「ベナッチって、最近歴史づいてないか?変なとこオタクじゃないか?」
♥助手アベナ:「安濃さん、喜寿美堂さん、田圃青年でしょ。そんな中にいると、朱にかぶれちゃうわよぉ。古畑事務所は歴史専門じゃないのにぃ。まッ、いいけどさ。‥で?」
♤阿久津弁護士:「せっかくの山形、鳥居2代目に嗣子なく、領地没収。だが、創業の功臣の家の断絶は不憫とて、異母弟、鳥居忠春に信州・高遠三万石を与える。ところが、ところが、この忠春、苛斂誅求、臣下に乱暴狼藉。家臣、領民ともに嫌われた。苛政による領民の兆散は相当数にのぼったと言われる。挙句の果て、忠春は家臣によって刺殺されちゃう」
♥助手アベナ:「ええっ?時代劇でもないよ、そんなん!藩主が家臣に殺される?」
♤阿久津弁護士:「創業の労苦といったものは、それを共有したものでないと分からない。功臣の業績を末代まで伝える家康の遺訓は残ったけれど、時間が重なるとともに、既得権となって制度だけが存続する。どこの世界にでもあり得ることだろう。もう一つ、藩政時代は藩主は絶対君主のようなイメージがあるけれど、それは違う。徳川泰平の時代「藩」(当時は家中といったのだろうが)は大過ない限り、恒久的に続くものと誰も考える。
家中は、数百人から大きなところでは、数万人の家臣団を抱える、今でいう企業と社員のようなものだよ。家中は「法人」の性格に近くなる。藩主は個人でなくなる。いわば名義人としての存在のような。「法人」を実質に運営するのは、有能な事務官僚。暗愚な藩主が、恣意で、妙な施政を布いて、危っかしい政治をしてもらっては「法人」としては困る。多くの社員の生活にもかかわることだからね。したがって、安定期になればなるほど藩主は、政策、意思決定にタッチしなくなる。その方が「お家安泰」だからね。
法人の安定経営を破たんさせるような藩主が出た場合、藩閣僚が藩主を「閉じ込め、押し込め」といった強硬措置をとった例もある。藩主は凡庸な方が、藩閣僚としては都合がよい。江戸期後半はそうした藩主が多くなる。こうして、責任の所在のはっきりしな体制が出来上がる。どこか現在の日本の組織にも残っていそうだろ。ただ、鳥居忠春の場合は、そうしたこととは、多少違うようなんだ。政治次元の抹殺というより、個人の私怨。もっと救われない気がする。先祖七光りを曇らせただけかもしれない」
♥助手アベナ:「‥情を感じ入ることと、政治化することの難しさか」
♤阿久津弁護士:「この、衝撃的な事件でも鳥居家中の断絶はなく、家は嗣子、忠則が継ぐが、この代には家臣の不始末により忠則は閉門を申し付けられるが、ほどなく、割腹する」
♥助手アベナ:「だんだん、情けなくなる子々孫々。同じ割腹でも元忠とはエライ違いね」
♤阿久津弁護士:「さすがに、幕府は(当時5代綱吉)鳥居家を削封・転封に処するが、それでも創業の功臣の家系を断絶させない。次男・忠英に能登・下村1万石を継がせる」
♥助手アベナ:「ずいぶん、義理堅いじゃないのさ、徳川幕府って。少なくとも、元忠より百年以上たっている訳だよね」
♤阿久津弁護士:「家貧しうして孝子出ず。この忠英って、名のごとく英明だったらしい。やがて、頭角を表し、寺社奉行、若年寄と幕府閣僚を歴任する。それに応じて身上も、近江・水口2万石、そして下野・壬生三万石と累進していく」
♥助手アベナ:「‥それで、かんぴょうか!」
♤阿久津弁護士:「ピンポン♪ 時は江戸中期、米経済が綻びかけ、どの家中も、財政立て直しに腐心していた。忠英も殖産興業に力を注がざるを得なかったと思う。その一つが前任地、近江・水口で目の当たりにしていたかんぴょう生産。かんぴょう栽培だけが財政再建策の全てだとは思わないが、忠英は『かんぴょう大名』として著名になった。
後々、かんぴょうはさらに多くの農家で栽培され、この地方の特産品として現在まで残る。元忠の末裔の鳥居家にようやく小さな光が灯ったという訳だんべさ」
♥助手アベナ:「そっかぁ、このナガサワ君が、壬生でこうして育てられるまでには、そんな長い人のつながりがあったんだ!‥それはそうとして、ねえ、ねぇ、何か食べようよ。駅前で買ったバナナだけしか食べてないんだよ、朝から。お腹減ったわよぉ!!」
※出所不明の木刷本「鳥居家七代」を転刷され、世に紹介された作家・中村彰彦さんに感謝いたします。〈古畑任次郎・事務所〉
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