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会津の観光地の一角に「天ぷら饅頭」を商っている店がある。
♥助手アベナ:「天ぷら饅頭」って珍しいね。
♠田圃青年:衣のさくさく感と中の饅頭の表皮、餡がマッチしてる。美味しいですよ。
♥助手アベナ:うん、うん美味しい、でも値段がね。
◇古畑任次郎:会津は山国で諸色は高い、昔から。
♠田圃青年:でも、何なんでしょうね。饅頭として完成しているのにさらに手を加えて天ぷらにするのは?
♣安濃スクラ氏:賞味期限が過ぎた物の再生ダベサ。
♥助手アベナ:安濃さんはいっつも夢がないね。リアリズムで。
♣安濃スクラ氏:スマソ。なにしろ採集・狩猟民の末裔ダシテ。
◆喜寿美堂:饅頭を天ぷらにするのは土産物のための創意・工夫というより、地場の生活食なんです。もっとも会津独創の食品ではないようですよ。
♠田圃青年:他にどこが?
◆喜寿美堂:会津若松市内だけではなく、会津高田でも食するといいます。旧会津藩の版図ではそうだったんでしょうね。それよりも「天ぷら饅頭」のルーツは信州だ、と僕は勝手に考えています。現在でも南信・伊那地方の飯田、伊那・高遠、中信の松本、それから中央アルプスの麓、飛騨の神岡町辺りでも見られるといいます。信州は「天ぷら饅頭」文化圏のコアでしょう。
♠田圃青年:信州がルーツと考えると、会津地方に伝わったのは保科正之の会津転封が契機ということになるんですね。寛永20年、1643年からということですね。
♥助手アベナ:そっかぁ、食の仲間では「高遠蕎麦」も保科正之入部とともに伝わったんだよね。
♣安濃スクラ氏:江戸初期なら「天ぷら饅頭」も庶民の口には入らなかったんじゃネノ?
◆喜寿美堂:そうでしょう、おそらく。ただ、僕が信州ルーツ説を採る訳はもう一つ。菓子としての製造工程上の特徴もさることながら、この「天ぷら饅頭」は、たとえ庶民の口に入ったとしても、非日常食であったというところなんです。このことは、信州も会津にも共通していることです。この共通性があるが故に「天ぷら饅頭」がこの地の独創物でない証拠となると思うのです。
♠田圃青年:会津は古くは蘆名系の古・関東、蒲生系の近江、上杉の越、加藤系の予州、と多種多様の生活・文化が支配者とともに運ばれてきた。だけど「天ぷら饅頭」は近世以降の歴代藩主の故地を眺めても文化としてないんですね。
♥助手アベナ:ただ、保科正之の故地、信州・高遠には「天ぷら饅頭」の武家食文化があった一という訳ね。
◆喜寿美堂:で、もう一つ。天ぷら饅頭を食するには「場」と「時」が決まっています。
♥助手アベナ:いつ食べるものなの?どこで食べんの?
◆喜寿美堂:葬式・法事などで寺院で出されたものなんでしょう。もともとは、曹洞宗、黄檗宗の寺院では精進料理が供される。「天ぷら饅頭」はその一種だったのでしょう。長野・善光寺では、客坊で精進料理を振る舞ったそうです。だから、初期は寺院で催される武家の仏事で供されたのでしょうね。
それが、時代が下るにつれ、庶民層にも広がった。庶民宗教の広がりと関わりがあるのかどうか。いずれにしても「天ぷら饅頭」は仏事と濃く関わる。このことは、信州でも会津でも共通するところなのです。
♠田圃青年:信州では仏事用の揚げ饅頭の素材の饅頭、なんだか妙な表現ですが、それがスーパー等で売られていて、家庭で天ぷらにするとか聞きましたね。
♥助手アベナ:わたしの場合、これだったら7個はいけちゃうよ。美味しいよぉ−オ、とォッても。
♠田圃青年:大食いなら僕だって人後に落ちませんよ。10個はいっちゃいます、これ。
♣安濃スクラ氏:ワラァ、オメド(君たちのような〔大食いの〕)若い者にはつきあいきれネ。
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