|
23区内の某都立公園
♥助手アべナ:「東京って大都会だけど、こんな景色見てると、渋谷や新宿の喧噪が別世界のことみたい」
♠喜寿美堂:「板東古風景といったとこですかね」
♥助手アべナ:「板東って関東のことでしょう?」
♦安濃スクラ:「関東一の利根川を板東太郎といったりね」
♥助手アベナ:「太郎、次郎もある?」
♦安濃スクラ:「筑後川を筑紫次郎、吉野川を四国三郎というわな」
♥助手アベナ:「川まで擬人化する、日本って生活と人間がすごく近い感じ」
♠喜寿美堂:「そこが、ヨーロッパと大きな違いなんですよ。文化や自然科学の発達も自然の在り方で東西まったく異なった発展をしてきた。面白いですね」
♥助手アベナ:「ヨーロッパは自然が人間に厳しかった。(>_<)」
♦安濃スクラ:「狩猟民族、農耕民族という類型も発祥はつまりはそこだな」
♠喜寿美堂:「そうですよ。ヨーロッパの土壌は痩せているところが多いですから。自然と関わる中での人間集団としての「なりわい」のスタイルが文化を分けたんでしょうね」
♥助手アベナ:「この景色は縄文時代の板東?」
♦安濃スクラ:「先史時代は当然そうだったろうけど、中世、いや近世でもこんな感じのところが多かったんじゃないの。植生は多少違っていたかもしれないが。」
♥助手アベナ:「でも、弥生時代以降は稲作が日本全国を覆っていたんでしょう?」
♠喜寿美堂:「西日本中心でしょうね。稲作が広がっていったといっても、現代の田圃のような恒久的な田とは随分違う様ですよ。地力回復のため休耕も必要だったようだし、律令時代の班田収受法をみても班田は一人当りそう広いものだった訳でないことがそれを証明してますしね。江戸期の農民のような米作専念ということでないようです。稲作以外にも半分は採集生活でもあったようです。国家が成立しても、稲作の急激な進展はなかった。だから、定置的な農耕、特に水稲耕作が拡がっても、なかなか、こうしただだっ広い平野とかに人は下りて来なかったみたいですね。」
♥助手アベナ:「でもさ、平地だったらお米がつくりやすいでしょうに、土地も広いし」
♦安濃スクラ:「日本の稲作は田圃、水田耕作だからね」
♥助手アベナ:「‥水田だから?」
♠喜寿美堂:「治水・水利の問題があるんです。地味ももちろんですが、山野を開拓して水田にするというのは実に手間が掛ることのようですよ」
♦安農スクラ:「水が要るというのは水田の短所であるし、長所でもあるんだな、これが。」
♠喜寿美堂:「広い土地であればあるほど大土木事業、技術、マンパワーが必要になりますよね。開墾するにはその間、働く人の食や報酬を確保しなければならない。古い時代はそんな大きな力を持つ勢力は稀でしたでしょうからね。仮に多少の開墾ができたとしても、恒常的にに期待した収穫が確実にあがる保証はない。天候不順があったり、また平地であればあるほど高低差が少ないので、川の氾濫がある。広い流域をもつ平野はそれで苦労してきたようです。そんな例は枚挙に暇がない。
つい最近までそうですよ。そんなことから、技術も未熟な古い時代は、平野は苦手であったんじゃないでしょうか。武蔵の国の国府(首邑)だってそんな場所ですしね。今の東京中央部は海であったり、湿地帯が多かったりで、米作の空白地帯だったみたいですから。武蔵の西部北部、上・下の毛の国などが武蔵の国の南部を見下ろすように、水稲耕作を行ったみたいです。西国の方からの人も東山道沿いの高台沿い移動してきた、そんな感じですよ。
♦安農スクラ:「太田道灌が江戸城を造った頃も、家康が江戸城に入った時も江戸にはこんな風景があちこちに見られたんじゃないの」
♠喜寿美堂:「葦と薄の生茂る沼沢と雑木林、今見るこんな風景が武蔵野の原風景なんでしょうね」
♥助手アベナ:「そッかぁ、東京の素かぁ」
♦安農スクラ:「‥‥それはそうと、任次郎氏はどこにいったのかな?」
|