古畑 任次郎事務所・日誌。

東北関東大地震で被災された方々にお見舞い申し上げます。古畑は元気です。

食・日・誌。

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コーヒー

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 コーヒーとは自身のセピア色の歴史以来の付き合いである。長い。

 学齢前であった。焦茶地にシロヌキで「ブラジル コーヒー」と記された缶が、食器棚にあった。食後の一時、父母が飲んでいたであろう。自分も飲んでみたいとねだったか。日頃要求することの少ない子の求めに「子供には刺激が強すぎるが‥」言い訳しながらミルクと砂糖たっぷりで与えられた。カップからたゆたう特有の香が鼻を擽る。甘さの中の苦味を舌が記憶している。我がコーヒー事始めだった。


 従姉妹に手を引かれ乳児の弟を抱いた母の導きで、陽の落ちた往還をとろとろ歩く。心もとない外灯の往還の先の商店街に不夜の光の世界が現れる。夏の夜店、娯楽の少ない時代の心ときめきの一瞬である。

 浴衣の人々がそぞろに行き交う。間のびした喧騒が辺りを包む。ざわめきの間を縫って風鈴の音、ラムネ玉の響き、客引きの胴間声が届く。くしの歯のように居並ぶ、射的、ラムネ、アイスキャンディ、金魚すくい、カラフルなカザグルマ、そして、お面売りの屋台。それぞれに小さな人の群れがある。ほのかに焦げたソース、イカの焼けた匂いが鼻をくすぐる。幼い身には刺激の連続であった。
 
 母親が大店で用を済ます間、従姉妹と店先の縁台に腰を休めていた。斜向かいに、氷を浮かせたガラス槽に濃褐色の液体を張った出店があった。従姉妹に「あれは、何か」と尋ねたものであろう。世話好きの従姉妹が「冷やしコーヒー。飲みたい?」と気を利かせた。「コーヒー?!」覚えたばかりのそれに強く頷いたことだったであろう。

 従姉妹はツルツルと人の波を泳いで屋台に迫った。店主が次々と手際よく杓で水槽の液をグラスに注いでいく。従姉妹はその列に並んだ。

 店主の側に人形のような童女がいた。石炭箱にチンマリ腰かけていた。ほぼ同じ年頃であった。出店の縁故者であったのであろうか。みなりは幼い目にも粗末なものに映った。ややうつ向き加減で、時おり目をしばたたかせる以外の動きはしなかった。客が離れたり、近寄ったりする間も塑像のように動かなかった。ときおり浴衣から出た小さな足をぷらんぷらんさせた。

 アイスコーヒーを手に従姉妹が戻ってきた。甘くほのかに苦い冷やしコーヒーをちびりちびり喉に送る。目は行き交う人のシルエット越しに、相変わらず身じろぎもしないその童女を追っていた。

 淡いが記憶の奥底に残る映像である。

 
 冷やしコーヒーはともかく、コーヒーは現在でも嗜好している。麻薬性に憑りつかれているのかも知れない。健康に悪いといわれている煙草と相性が良い。これだけはこれからも止められそうにもない。

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塩煎餅

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 おそらく悲鳴を上げたことであろう。

 学齢に達する前のことである。近くの祭礼に店を出していた同世代のテキヤさんの息子と意気投合した。夕闇迫る工事現場で二人で遊んだ。夢中で積み木代わりのレンガを積み上げる。これは面白くてたまらなかった。

 どうした弾みかテキヤさんの息子は、わが手に誤ってその一つを落とした。灼熱が走り、間をおいて激しい痛みが襲った。レンガの間から手を抜くと、見る間に黒ずんだ。

 それから先の記憶はない。

 話は飛ぶ。煎餅のこと。
 練った小麦粉に味を加え火を通した食品、この淵源は中国にあるらしいが、この国に伝わって久しい。この間、煎餅は原形が解らなくなるほどの進化を遂げてきた。本来の小麦粉原料以外に、米、穀類、根茎類、そして海産物などを原料として多くの「煎餅」が登場するようになる。

 小麦粉を常食とするユーラシア、また新大陸では小麦粉加工品はそれほど多くはない。東アジア人の、特に日本人の食に対する飽くなき貪欲さ、舌のエネルギーが煎餅の項でも進化発展を求めたのであろうか、また食材の潤沢さがそうしたのかもしれない。いずれにしても現在の我が国の煎餅の爛熟ぶりは尋常ではない。

 一時、煎餅のコレクションに凝ったことがある。それを聞き付けた仲間から、出張や旅行で各地の名産、新種、変種の煎餅をいただくことが多々あった。その度に(お礼の意も込めて)画像に取り込んだので、フォトライブラリーが膨らんだ。有り難い事である。

 が、それとは別に仲間内にする煎餅蘊蓄のレクチュアは、生活に身近過ぎるものでありすぎるのか、切り口に工夫が足りなかったものか、どうも不人気であった。そのうち煎餅趣味からも遠ざかってしまった。フォトライブラリーも未整理のままである。
 
 煎餅熱も冷め切ったつい先頃、仲間が、ビニール袋を提げて訪れた。「昔、田舎にこんな物ありましたよね‥」。商品名は別であったが、紛れもない塩煎餅である。この塩煎餅、小麦粉原料で、塩味のスカスカしただけの取り立てて美味なものではない。であるが、現在でもほそぼそと売られているらしい。

 
 話をもどす。次の日であったろうか、テキヤさんの息子はその日も工事現場で砂遊びをしていた。わが姿をみとめると、微かな中国地方訛りで、無造作に粗末な紙袋を差し出した。塩煎餅が数枚入っていた。事故の贖罪のつもりであったのであろう。

 数日を経ずテキヤさんの息子は父親の稼業にともなって、わが故郷を離れていった。その後、二度と出会う事はなかった。
 
 その時から半世紀。
 古畑の右手薬指の爪は、現在でもその時の傷痕を残している。

 塩煎餅‥、懐かしい記憶が焼き込まれていた。

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 我がアパートの引き戸を開けた同輩が、満面笑みをたたえていた。「鮨でも奢るよ‥」「どうした?」「家庭教師をしてた子が、無事、私立受かってサ、ボーナス貰った!」だから懐が豊かだ、と云う彼について、繁華街の場末の、たいして繁盛しているとも思えぬ鮨屋さんのノレンを潜った。大昔の事である。

 鮨も蕎麦とともに江戸の数少ない食文化の代表であるが、西国出身者にとって、いずれも感覚的に縁遠いものだった。むろん、現在のように手軽に入れる鮨屋さんが溢れている時代ではない。東京と地方の文化情報の均一性(これが良いか否かは別にして)は現在ほどには進んではなかった。今の若い人たちと比べれば、驚くほど生活情報を知らなかった。

 鮨も同じである。だから、鮨は魅力のある誘いであった。当時、店の価格表示に「時価」という表現があった。鮨屋さんはことにそうであった。この店も総べてが「時価」表示であった。これは一現モノにとってはたいそう不親切なことである。

 「何、握りましょ?」板前さんの誘い口を受けて、同輩が誇らし気に「大トロ!本マグロのね‥」と告げた。

 鮨ネタの中で本マグロが最高級で、大トロはその中でもさらに特級の部材とされる、その程度の知識はあった。にわか収入で気の大きくなった(やはり西国者の)同輩は、マグロの王者と云われるものを味わってみたかったのであろう。好奇心のありどころとしてはまことに健気であった。

 鉢巻きの板前さんが、流し目で(貧乏学生と見てか)「高いよ、いいの?」と返してきた。
 

 縄文遺跡からマグロの骨が発掘されるほど、マグロは日本人の食に長い関わりを持っている。しかし、「生の物」として食べるようになるのは、そう古い歴史がある訳ではない。江戸前の鮨ネタとしてマグロはヅケで食べていたと古記録は語る。さほどに上等のネタではなかったらしい。

 昭和初期までマグロは赤身が主流で、とりわけ、トロが珍重されたのは高度成長期以降であるとされる。この背景には冷蔵・冷凍技術の進歩が一役買う。保存の技術が「海のダイヤ」を作り上げたとも云える。

 マグロは、本(黒)マグロ、南マグロ、メバチ、キハダ、ビンナガ‥と種類が豊富である。そのうちのマグロの王者ともいうべき本マグロは、ブルー・ファインと称され、日本海域、東・西大西洋、中西部が主漁獲場とされる。

 マグロの年間漁獲量47万トン、そのうち黒マグロは2万トン(06年:水産庁調)。希少価値である。世界のマグロ市場は2000年頃までは日本単一であったが、昨今はアメリカを始め世界各国で需要があり、マグロは今では世界商品となった。

 が、一次産業には豊・不漁、資源の衰弱がある。供給が不安定、需要に追い付かない。そのことがマグロを投機対象にもした。コールド・チェーンが整備され、投機性は多少落ち着きを見せるようになったものの、依然引く手あまたであリ、売手市場であり続けている。本マグロ中の本マグロとされる陸奥・大間のマグロ漁獲は、本マグロ全体の1パーセントほどの漁獲でしかない。

 単純な市場原理である。重要に応じる供給が不安定、僅少であるところ、価格は高値で硬直する。ゆえに一級品の本マグロは、現在では一流料亭、高級鮨屋など限られたところでしか味合うことができない。むろん庶民の口の及ぶところではない。

 以上のことはむろん、後々知り得た事であるが、既に当時から本マグロは「奢侈品」の兆しを見せていた。ましてや大トロである。


「いくら?‥○○くらいですか?」と尋ねた彼に、戻ってきた数字は、一桁違っていた。僅かばかりの懐の温かさが、一瞬にして凍りつくほどであったろう。表情がそう語った。顔を見合わせながら、ビールをとって、後は半端なものをつまんで、そそくさと店を後にした。
 
 情けない若き時代の思い出である。
 
 
 その後、愛すべき同輩は、現在では高級料亭に入ってもおかしくない立場になり、幾たびか本マグロのトロを味わっていることと思えるが、こちらは相変わらず鮨屋さんは敷居が高いままである。

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むすび

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 生活圏に以前から気になっていた「お結びの店」がある。先日、思い立ってノレンを潜った。米は新潟・魚沼産コシヒカリ。スタッフの手で丹念に握られた、本来の「お結び」である。米を食べ馴れている口でも、笑みがこぼれそうになる。まことに「美味しい」。これほどの贅沢があろうか、とすら思う。あまたある穀物の中で、炊き上げただけで(なんの調味をせずとも)美味を感じ、飽きのこないものは他に思い当たらない。

 稲はいうまでもなく、豊葦原瑞穂の国のオリジナルでなく、熱帯性作物であるが、水稲耕作を通じて築き上げたこの国の文化には特有なものがある。稲栽培二千数百年がこの国の文化の核を形づくってきた。逆な表現をすると、米を主体とした生産構造の在り方が、この国と文化を規定してきたとも言える。

 米を作ることで文化を培い、人口を育んできたというものの、国民全てが恒常的に「銀シャリ」を食すことの出来た歴史は極めて短かい。日本の文化は、だから、米食の歴史ではなく、米生産に携わることで形成された歴史である、と言い換えた方が当を得ている。

 昭和になってすら「軍隊に入ったら、毎日米を食べることができる」。米作地帯の貧農の手記が、無数に残されている。米作の第一線で汗を流し、身体を汚した者が自らの生産物を潤沢に食すことが出来なかった、これほどの皮肉があろうか。国民漏れなく、望みさえすれば米飯を口にすることができるようになったのは、長い米の歴史からいえば、つい先頃のことに過ぎない。戦後の農地改革以降、厳密に云えば、高度成長のラッパを耳にし始めた以降の事であろう。

 豊葦原瑞穂の国といいながら、ことほどに国民皆米食の歴史は新しい。申し合わせでもしたかのように、その頃から米作農業が国内政治の駆け引きの道具になり、現在では国民経済の問題、国際外交のテーマへと舞台を拡げ、農業は窮地に立たされて続けてきた。さらに、米離れという、驕りにも似た国民の嗜好も、それに追い討ちをかける。
 
 米文化の今後の帰趨は、国民の個々に委ねられる形になった。この選択は、今後さほどの時間をかけずとも、自然な結論が出るものなのであろう。そのことが、日本と日本の文化にとって、幸か不幸かは時代と住まう人間の感得すること。
 
 熱帯の湿地にささやかに野生していた稲が、紆余曲折を経て、この国に渡来して、二千有余年、これだけ美味しく食べられるようになるまで、気の遠くなるほどの労働量の投下と、辛苦があったことであろう。

 その無慮の農民の方々の呻吟の末の精華を嚥下しながら、「米を食する文化は、今ピークなのかもしれない‥」せんのないことを取り留めもなく想ってみたことである。


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厚焼きトースト

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 夕暮れ、商店街の一角の洒落たパン屋さんの近くを通る時、あのトーストの香りが漂って鼻をくすぐる。照明の明るい店内にふらふらと引きずりこまれそうな誘惑がある。

 現在の日本の穀物自給を支えている米であるが、それを圧迫している一因にパンがある。日本人の食生活にパンが広く普及したのは、戦後の学校給食制度も一役買っている。学校給食は戦後の学童の饑餓を救った制度であるが、それを物質面で支えたのは、LARA、ユニセフ、国際NGOによる支援(CARE)そして、アメリカのガリオア・エロアなどの援助物資であった。

 特にCAREの援助は8年間の長期にわたり、援助総額は5,000万ドルにも及んだ。このことは豊かになった国の民として永く銘記しておくべきことであろう。
 
 この援助物資を基とし、学校給食で供されたコッペパンと脱脂粉乳のミルクは、美味とは言い難かった。経験世代には悪しき記憶であるはずである。けれども、常食としてパンを食す学童皆給食は日本人の食生活を変化させる。このことが、産業に波及効果を与える。給食に歩調をあわせるように全国津々浦々パン屋さんが簇生し、メーカーも増加した。

 そして、競争原理のおもむくところ、味・品質が向上する。それがさらに国民の食生活に深く浸透する。小麦粉需要が増え、海外輸入が増加する、そのことが米穀生産を脅かすことになる。
 
 飯沼二郎さんの小麦から米への世界レベルの移行論に照らせば、日本人の舌は逆行、あるいは退行しているかもしれない。麺類、小麦原料の食品の増加が明らかに米需要を圧迫している。ただ、これは日本人の舌のどん欲さに負うところが多いのであろう。国際商品としての米は飯沼さんの指摘どおりなのかもしれない。

 それはさておき、我が舌は、生来のパン食好きで、いやパンでなくともピザ、チャパティ、ナンといった小麦粉をねって火を通した食品全般を好んでいる。食の歴史のどこかで経験した、新来のピザや、カレーとともに食べたナンは、実に美味しいと思う、また、もっさりしたフランスパンも、くせのある黒パンも捨て難い。

 が、なにより、表面をほどよく焼いた厚切りの食パンにバターを塗ったトーストは、最高、パン食の王者だとひそかに思っている。サクとするパン生地の歯ごたえと、バターが舌に滲みる具合がなんともいえない。近くのパン屋さんに数限定の特製食パンを販売する曜日に並んだりすることもあった。イーストの匂いに心惹かれるゆえんである。

 ITの技術進歩に劣らず、パンの味の向上も日進月歩で、美味しいパンを作る店が多くなり、大変楽しみなことである。

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古畑 任次郎
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