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何時からこうした現象が風靡したものであろう。彼の昔、多くの男子中学生は坊主刈りであった。我が母校も例にもれなかった。学校規則には丸刈りにせよとの具体的な記述があった訳ではない。規則的な根拠は「中学生らしい品位のある服装、態度‥」との抽象的な記述だけだったと記憶する。多くの学校も多分そんなものであったのではないか。
ともかく、小学校を卒業する前後からクラスに可愛らしい坊主頭が増えていった。多くは春休みの内に馴染んだ頭髪との訣別をした。いずれもが照れて眩しそうな顔で登校してきた。
行き付けに「松竹館」という、銭湯の大きな構えの隣にちんまり建つ、床屋があった。ガラス戸に縁取りの薄くなりかけた「理髪松竹館」の金文字がおどっている。店の構えには大きに過ぎるほどのサインポールが三色縞をゆるゆると廻していた。
店は小柄な中年婦人が独りでやっていた。几帳面な気の配りが、店の隅々まで張り詰めていた。引戸を引くと、強烈な整髪料の匂いが鼻をついた。
大人たちはこの女主人を「松竹のチイさん」と親しく呼んでいた。チイさんは白いエプロンとマスク掛けが仕事着である。潔癖が過ぎて、口煩くもある。子供客には厳格な教育者の視線で接する。高じて皮肉にもなった。小さな頭に鋏を入れながら、訓戒を垂れた。
口の重い古畑の場合、言われることは決まっている。「受け答えがきちんとできんようじゃ、いかん。世渡りで困ライ」「人には愛想よくするもんゾネ」‥。
そう言われたところで性格である。これだけは如何ともしがたい。この間、窮屈である。しかし、近くには他に床屋がある訳ではない。むろん、チイさん本人は、大真面目に親切で言うのである。聞かされる身になってみれば、髪を切りにいったか、説教を拝聴しにいったんだか解らない。
訓戒の内容は変われど、他の少年たちにも同じふうだった。指摘のひとつひとつは建て前である、徳目であった。腕白盛りには耳に煩くてかなわない。そうであったから、「うるそうてかなわん、小言ババじゃ」子供の世界で松竹のチイさんは極めて不評であった。
松竹館の待ち合いは畳座敷になっていた。順番がくるとチイさんはマスク越しに客の名を呼ぶ。客が多くても間違えるということはなかった。待ちくたびれた子供たちが騒ぎ始めると、鋭い注意が飛ぶ。まさに、鶴の一声であった。
中学の新学期が始まってもクラスで数人、坊主頭でない生徒がいた。古畑もその一人である。髪を残した他の生徒同様、坊主頭へのほんの僅かの抵抗以外、さしたる大きな理由はない。周囲の無言の圧力に屈服するように、月曜日を迎える度、非坊主頭の数は減っていった。
髪がのびて、「松竹館」に行く。詰襟の有髪中学生は、チイさんの恰好の検断の対象である。「丸刈りにするじゃろ」プレッシャーを掛ける。「いや、せん!」激しく頭を振る。稚気ながら意地である。「中学生は坊主が規則ジャロ」「ほんに変わった子じゃね、他の子はみんな坊主にしとるちゅうに」「規則を守れンようじゃ人間としてダメぞね‥」(校則には”坊主にせよ”とは書いとらん‥)とは思うが、もちろん口にはできない。散々に坊主刈を薦めながら、それでも、チイさんはしぶしぶ若い頑固な客の注文に応えた。
初夏の頃には、全校男子で古畑のみ頭髪が残っていた。その期間、坊主頭でないことに無風であった訳ではない。陰に陽に坊主頭にすることへの圧力がかかった。HRで、朝礼で、授業担当からことあるごとに注意される。担任や風紀係の体育の教師に何度か呼ばれもした。体育の教師には怖い顔で「今度、床屋に行ったら必ず切ってこい、エエかぁ!」髪を引っ張られながら恫喝された。
この辺りから生来のつむじ曲がりのつむじがさらに曲る。一寸の虫にも五分の魂。(勉強に何の不都合がある、三年間は伸ばしちゃるワイ)有髪へのこだわりは、古畑の中で小さなイデオロギーになった。
初めての夏休みのある日。松竹館の客となった。相変わらず坊主刈りか否かを尋ねられたが、当然のように現状維持を告げる。「‥ほんまに、変わった子ぉじゃ」首から白布が掛かけられる。
話しかけられ言葉を返すという鬱陶しい作業から逃れるには、散髪の間、目を閉じることだった。これは長じても床屋政談をもちかけられることへの忌避の便法となった。現在でもそうである。松竹館で学んだ。
この時もそうした。チイさんの言葉数が少なかった。いつもは鋏を使っての調髪であるはずなのに、背後で電気バリカンが唸る。後頭皮に冷ややかな金属を感じた。頭頂部に至った時、俄に頭が軽くなったような気がする。髪の塊が落ちた気配がある。(りゃ?!)慌てて目を開けた。大鏡を見る。頭の真ん中をバリカンの筋目が走っていた。
あやうく声を上げそうになる。チイさんの目が笑っていた。(坊主にしてくれとは頼んどらんが!!)毒気を抜かれ、声にならない。俎の上の鯉である。
よほど驚きと不満に満ちた表情だったであろう。その間も容赦なく作業ははかどっていく。僅かの間に見たことのない自分の風景が出来上がった。洗髪の後、チイさんは自分のポリシーを全うした満足感に満々としたふうであったが、こちらは感情の遣り場に困った。一瞥以上に鏡を正視できなかった。
入口の引戸を開けて外に出るのに抵抗がある、勇気が要った。頭部にひとしきり暑い日差しを感じる。思春期のささやかなレジスタンスが不慮に挫折した。
「坊主にされた、髪がなくなった‥」手で頭の上で起こった現実を確認しながら、気持ちと事実の段差を埋めるのに多少の時間が要った。暑い夏の一日であった。
高校生になって社会が拡がると、散髪は多少遠くはあったが、市内の別の床屋に通う。もう「松竹館」には足を向けなくなった。
つい先頃。床屋のイスに座って瞑目の最中、「コンであんたも中学生らしゅうなったわいネ」勝ち誇ったようなチイさんの表情があわあわと蘇った。今となっては、チイさんの背信のサービス精神を懐かしく感じるのである。
長い時の経過というのはどうも、過去を喜劇に化学変化させてしまう作用があるようである。
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