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Landmark Fit English Communication 2 Lesson 6 の和訳・解説のプリントが完成しました。三養基高校の2年生の生徒さんには郵送の手配をしましたので、近日中に届くかと思います。
期間限定ですが、和訳の一部を公開します。
Lesson 6 Gaudi and His Messenger
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変わった形をした教会であるサグラダ・ファミリアはスペインのバルセロナに建っています。資金不足のせいで、それは1882年からずっと建設中なのです。それは寄付と入場料のみで資金提供を受けています。その教会は、アントニオ・ガウディ(1852-1926)によって設計されました。彼は1883年に主任建築家の地位を引き継いだのですが、その時彼はわずか31歳でした。彼は元の計画を完全に変更しながら、自分のやり方でその教会を建て始めました。 ガウディはスペインのカタロニア州に生まれました。子供の頃、彼は病弱で外で遊ぶことができませんでした。その代わりに、彼は子供時代を植物や昆虫のような周囲の自然を観察して過ごしました。このような経験が彼の芸術に大きな影響を与えました。 2
ガウディには強いカトリックへの信仰がありました。ガウディは人生をサグラダ・ファミリアに捧げました。彼は美しく、調和のとれた、構造的に完璧な教会を作りたいと思いました。ガウディの死後も、サグラダ・ファミリアは建設され続けました。しかしながら、ガウディの設計図や模型はもはや使われてはいませんでした。それらはスペイン内戦で燃やされたり、破壊されたりしていました。その代わりに、ガウディの弟子達はガウディが彼らに話したことを考えながら、設計図を描きました。今でもなお、建築している人達はガウディが考えていたことを想像しようとしています。 2013年に、その教会が2026年に完成することが発表されました。その年はガウディの没後100年にあたります。先進技術や資金の増加に助けられて、建設者達は建設のペースを速めています。 3
私達はサグラダ・ファミリアの中で「生誕のファサード」という美しい彫刻を目にすることができます。驚くべきことに、その彫刻にある15体の天使は、日本人彫刻家である外尾悦郎さんによって彫られました。彼は1953年に福岡で生まれました。大学で、彼は彫刻を専攻しました。25歳のある日、彼は突然石を彫りたいという衝動を覚えました。彼はヨーロッパを目指して日本を発ちましたが、そこには石細工の根強い文化がありました。パリを訪れたあと、外尾さんはたまたまバルセロナ行きの電車に乗りました。その当時、サグラダ・ファミリアは観光客にあまり人気がありませんでした。そこを訪れると、彼はそこにたくさんの石が積み重ねられているのを目にしました。突然、彼は再びその衝動を覚えました。彼は主任建築家に自分に彫らせてくれるようにと何度も頼みました。ついに、外尾さんはサグラダ・ファミリアの彫刻家として受け入れられました。 |
教育
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タイトルの通りです。進学校とは言えない学校ではありますが、入学時、120人中、英語は100位だったのが、高2で英語は1位に、そして、高3で文系の全ての生徒さんの中で総合1位になったという報告を生徒さんより受けました。
どこの高校であれ、良い結果を出すことができたのは良かったと思いますし、本人の努力の結果だと思います。彼の自信につながり、一層高いレベルを目指して欲しいと思いますし、そういうお手伝いをできるのはありがたいことだと思います。
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Landmark English Communication 2 Lesson 4 の和訳・解説プリントが完成しました。鳥栖高2の生徒さんには郵送の手配をしておりますので、近日中にお手元に届くかと思います。
期間限定ですが、和訳の一部を公開します。
Lesson 4 Chanel's Style
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ごく稀に、力を持った革新者がこの世界に現れます。最近の1つの例は、IT業界のアメリカ人リーダー、スティーブ・ジョブズです。彼は携帯音楽プレーヤー、スマートフォン、タブレットPCのような多くの革新的な製品を送り出し続けました。これらの製品は世界中で広く使われるようになり、今日の私達の暮らし方を変えました。スタンフォード大学の卒業式で、ジョブズは次のように述べて成功の秘訣を伝えました。「私は、自分の背中をずっと押し進めてくれた唯一のものは、自分がやったことがとても気に入っていたことだと確信しています。皆さんも自分の好きなことを見つけねばなりません。」少し前のことですが、世界に大きな影響を与えたもう1人の革新者がいました。彼女はファッション業界にいました。スティーブ・ジョブズのように、彼女は自分が好きなものを生み出すことで大成功を収めました。彼女の名前はガブリエル・ココ・シャネルといいました。彼女の製品は彼女の生きていた時代に求められていたものに応え、女性のファッションを劇的に変えました。彼女はかつてこう言いました。「私は自分が着たい服を着we.るだけです。私はいつも自分が着たい服を作るんです。」 2
19世紀末、ヨーロッパの上流階級の女性は腰をコルセットで締めつけ、針金で骨組みされた大きなスカートをはいていました。彼女達はまた、頭に飾りのついた大きな帽子をかぶっていました。「私はあんな女性達の仲間に入りたくはありません。」とシャネルは声を大にして言いました。彼女は小ぶりのの帽子をデザインし始め、1908年、パリに帽子のブティックを開きました。のちにシャネルは、自分が気に入り着たいと思う着心地の良い服をデザインしました。もちろん、その服にコルセットは必要ありませんでした。1914年に第一次世界大戦が起こり、パリの裕福な人も貧しい人も、その暮らしは必然的に変化しました。男性が戦場に行ったので、男性がいないまま女性はあらゆることをしなければなりませんでした。こういった女性たちは楽に動いたり働いたりできるようになるシンプルで機能的な服を必要としました。シャネルの服は彼女達の求めているものに合っていました。そして、パリで人気を得ました。 戦争のために、服の素材が不足しました。シャネルの関心は、以前は男性の下着にだけ使われていた素材であるジャージーに向けられました。1916年、彼女はジャージーでできた柔軟性のある服を作り始めました。多くの女性はこの着心地の良い服を買おうとシャネルの店へ殺到しました。シャネルの「シンプルで」「着心地がよく」「便利な」というスタイルは現代のファッションに強い影響を与えました。 3
シャネルは今では一般的な現代のファッション品の基礎を築きました。例えば、彼女は女性向けの「パンツルック」を普及させました。当時、女性はスカートをはき、両脚を片側に揃えて馬に乗っていました。しかし、シャネルは自らズボンをはき、男性のように馬に乗りました。彼女のこのようなスタイルが女性向けのズボンの需要を生み出したのです。シャネルはこう言いました。「私は他の女性達がスポーツをするからではなく、私自身がスポーツをするから、スポーツウェアを作ったのです。必要に迫られて、私は自分のためにそれを作りました。」シャネルはまた、黒い色に対するイメージもを変えました。彼女が1926年に「リトルブラックドレス」を作るまで、黒は喪服にずっと使われていました。そのドレスは有名なファッション誌で大きな賞賛をを得ました。そして、黒はドレスに人気のある色になりました。シャネルはこう言いました。「ほとんどの男女は色のセンスがありませんね。彼らは助言を求めるべきです。黒は全ての色で最も良い色です。女優、上流社会の女性、そして、メイドのような多くの女性が私が作ったドレスを身につけました。」 さらに、シャネルは女性用のショルダーバッグを最初にデザインした人なのです。彼女は両手を使えるわけではないので、バッグを抱えるのをもどかしいと思いました。それ故、彼女は肩に引っかけることができるようにと、自分の鞄に革製のストラップをつけたのです。 |
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Landmark Fit English Communication 2 Lesson 5 の和訳・解説プリントができましたので、三養基高2年の生徒さんには郵送の手配をしました。近日中にお手元に届くかと思います。
期間限定ですが、その和訳の一部を公開します。
Lesson 5 Science of Love
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ガルシア、アンディ、メグミ、そしてベスは授業で発表を行っています。ガルシア:こんにちは、みなさん。私はガルシアで、この発表会の司会です。今日は、恋愛の謎について話したいと思います。みなさんの大半の方は以前誰かに恋をしたことがありますよね。恋をしている時、私達はとても夢中になって他のことを何も考えられなくなります。私達は食欲をなくす時もあります。時にはよく眠れなくなることもあります。 皆さんは人が恋をするのはなぜだと思いますか。なぜ私達は恋をしているというあの不思議な感情を持つようになるのでしょうか。今日は、3人の研究者の学説を見てみましょう。アンディ、メグミ、ベスがそれらをみなさんに説明します。アンディ、容易はいいですか。 2
アンディ:もちろんです。最初の学説は、子供時代の経験から人は恋をするというものです。アメリカ人研究者のトマス・ルイスによると、子供の頃の身体的な親密さから恋が生まれるというのです。例えば、私達は子ども時代に母親の腕に抱かれました。私達の脳はそれがどんなに心地良いものだったのかを覚えています。年をとるにつれ、私達は知らないうちに同じ種類の経験を求めるのです。私達が誰かに恋をすると、その人は私達に子どもの頃の良い記憶を思い出させることができるのです。ある意味では、私達はもう一度過去に戻りたくて、誰かを愛するのです。 ガルシア:ありがとう、アンディ。とても興味深いですね。この学説によると、隠れた記憶のせいで、私達は誰かを愛するのです。メグミ、今度はあなたの番です。 3
メグミ:そうです。2 つ目の学説は、人々は自分のものとは異なる遺伝子を持つ人を愛するというものです。型の異なる遺伝子が結合すると、より健康な赤ちゃんが生まれるのです。スイス人研究者のクラウス・ウェデキントは「汗臭いTシャツの研究」と呼ばれる大変珍しい実験を行いました。まず、44人の男性が 2日間Tシャツを着ました。次に、49人の女性がそのTシャツの匂いを嗅ぎました。それから、女性達はどのTシャツに最も引きつけられたかを選ぶように求められました。その結果、多くの女性は遺伝子が自分のものととても異なる男性が着たTシャツを選ぶことが分かりました。ガルシア:なんて興味深い実験でしょう!この学説によると、遺伝子がパートナーを選ぶのです。ありがとう、メグミ。では、ベスの話を聞いてみましょう。 |
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Landmark English Communication 3 Lesson 7 Political Correctness の和訳・解説プリントが完成しましたので、鳥栖高3の生徒さんには郵送の手配をしております。近日中に、お手元に届くかと思います。
期間限定ではありますが、和訳の一部を公開いたします。今回は難しいところが後半に多いので、普段よりも多く公開いたします。
Lesson 7 Political Correctness
近年、私達が人を言い表す方法が大いに変化してきています。少し前のことですが、それらが男性が行っているのか、或いは女性が行っているのかに基づいて、2つの名前がある仕事はたくさんありました。 近頃では、職場おいて男女を平等にしようという巨大な社会運動の結果として、「-ess」がつく名前の職業の大部分はなくなってしまいました。私達は未だに「アクトレス(女優)」や「ウエイトレス」、そして、他にもそのような言葉を少し耳にしますが、女性の詩人や女性の彫刻家が「ポエテス(女流詩人)」とか「スカルプトレス(女性彫刻家)」と呼ばれるのを聞いてから長い時間が経っています。彼女たちは今では、ただの「ポエト(詩人)」とか「スカルプター(彫刻家)」です。飛行機では、客室乗務員は「フライトアテンダント」で、警察署では「ポリスオフィサー(警察官)」しか私達は見つけられません。 ある特定の人たちについて話をしようとして、困ったことに遭遇するときがあります。私達は老人を何と呼ぶべきなのでしょうか?「お歳を召した方」でしょうか、「年配の方」でしょうか、それとも「高齢者」、或いは、何か他のものでしょうか?車椅子を使わなければならない人を私達は何と呼ぶべきなのでしょうか?「身体に障害のある人」でしょうか、「障害のある方」でしょうか、「異なった能力のある人」でしょうか、「身体に不自由のある人」でしょうか、或いは、何か他のものでしょうか?太っている人を私達は何と呼ぶべきでしょうか?「太りすぎの」でしょうか、「サイズが異なる」でしょうか、「特大サイズの」でしょうか、それとも、何か他のものでしょうか?服を売るお店は、このことに関して本当に問題を抱えています。 アメリカでは、人々は黒人を最もうまく言い表す方法について何年も悩んでいました。「黒人」といったような言い方と同様に、「negro(黒人の)」という言葉は侮辱的だと感じられていました。結局は、「アフリカ系アメリカ人」という名前が一般的になり、今ではその言葉が依然として広く行き渡っています。しかし、今日、一般的である名前が10年後の時代に、ここアメリカでまだ存在しているという保証はないのです。 政府と経営者達、そして、他の社会集団は1つの名前を好み、他の言葉を禁止することによって問題を解決しようとするときがあります。「それがみんなが使うべき名前だ」と彼らは言うのです。そして、もし私達がその名前を使わなければ、やっかいなことに巻き込まれる可能性があります。そうした「正しい」名前を使わなければ、私達はひょっとしたら罰金を科せられたり、職を失うかもしれません。こういうわけで、近頃は「政治的な観点から見て正しい」という表現が使われているのを私達は多く目にするのです。ある名前が政治的な観点から見て正しいものだ(つまり、略して「PC」)と言うのは、その言葉があることに対する公式の名前であるということを意味しています。また、それはこの名前は、その言葉が表している人々に不快感を及ぼすことがないと思われているということにもなります。 政治的な観点から見て正しいことは、初めのうちはいい考えでした。しかし、残念ながら、人々は、実際に他の人を傷つけていないときでさえ、誰かの気分を害していると想像し始めました。そして、実際はまったく不快感を与えるものではない言葉を使うのをわざわざ避ける人もいました。彼らは批判されるかもしれないと恐れて、とても奇妙な話し方を考え出しました。そして、人々はそうした方法をただ嘲(あざけ)り笑いました。それは今日でさえもまだ起きているのです。例えば、私達はお笑い芸人が入れ歯をしている人を「歯科学的に障害を負っている」と冗談を言っているのを耳にします。 実際のところ、極めて何の罪もない言葉に対して私達を敏感にさせる点において、PC運動は行き過ぎていると考える人がたくさんいます。(肌の黒い人を意味する)「ブラック」という言葉が侮辱的だと最初に思われたときに、どんな状況においてもその言葉を使うのを避けようとする人たちについてのたくさんの話が、アメリカから出てきました。彼らは「ブラックコーヒー」を注文するのを恐れていました。それで、代わりに「ミルクなしのコーヒー」を注文しました。教師達は「黒板」について話すのを恐れました。時々、私達はそのようなことについての記事を新聞で読みます。問題提起をすることは馬鹿げていると思っている人が多いので、問題提起は論争を引き起こすことがよくあります。 そして今、私はクリスマスに「クリスマス、おめでとう」ではなく、「祝日、おめでとう」と書いてあるグリーティングカードをもらいます。送る側は、キリスト教徒の祝祭を祝うカードを私が受け取れば、私の気分を害するかもしれないと恐れているので、「祝日、おめでとう」というカードを選んだのだろうと、私は想像しています。これは本当に残念なことです。キリスト教徒、ヒンドゥー教徒、ユダヤ教徒、イスラム教徒といった、あらゆる種類の宗教に属していて、(彼らの)様々な祝祭を祝う時が来ると、お互いにグリーティングカードを送り合っている人たちを知っています。この人たちは多様性を大いに喜んでいます。宗教的な背景がある人と全く同様に、祝祭の頃にカードを送り合って喜んでいる宗教的な背景を全く持っていない人を、私は知っています。私の考えでは、それこそがあるべき姿なのです。私は全てのグリーティングカードに「祝日、おめでとう」としか書いていない日が決して来ないことを望みます。 |




