推論で綴るテキトーな地史学なので興味の無い方スルーで。 自分のためのマトメノートみたいなものですから。あんまり信用しないでね(笑) しかし地史なんてまったく興味が無かったのですが調べだすとこれが意外に楽しい。 多分ね 好きな女の子に興味をもってあれこれ調べるのと良く似てるよ(笑) さて 縄文時代には広大な入り江だった香取海(かとりのうみ)がどうして消滅していったのかってお話。 結局、海が消滅したおかげで現在はその上で生活してる。 おそらく縄文の頃の想像図 ブルーのエリアは海。 海だった理由は沢山あるみたいだね。テキトーに考えれば海面が今より恐ろしく上昇してたとか 低い所に海水が集まるのは当たり前ってことだね。 驚くべきは筑波山の麓まで海だったという事実 → 驚き 波ってワードが物語るね。 土浦市に荒川沖って地名があって内陸なのになんで?って疑問に思ってた。 つまりは目の前が海だったということらしい → 納得。 1000年前の想像図 縄文時代と比べると香取海の面積が減少してる。(ここでは香取浦とも呼んでるね) このころの利根川は東京湾に注いでた。 面白い なんで香取海が減少したのかってのは関東ローム層、つまり火山灰の堆積が直接の原因らしい。 学校で教わった関東ローム層って殆ど富士山の火山灰だと誤解してた。 ところが実際は富士山・箱根山・浅間山・赤城山・榛名山とか関東周辺の火山灰を指し その火山灰の量は想像以上の量で降っちゃ風に飛ばされ 雨に流され 川に注ぎ やがて香取海に流入し太平洋まで到ったらしい。 川や海に流れ込むのは火山灰だけでは無くて土砂・岩なども多くあったって事らしい。 江戸時代の水系図。 すごい印旛沼が現在の利根川と接続してる。 江戸時代になると幕府が農耕を奨励したため積極的に埋め立て&灌漑が進んだ。 その結果、内陸にまで入り込んだ香取海は姿を消していった。 なんか江戸湾とかいうとロマンを感じるよ(笑) この地図だと現在の利根川の形態ではなく残り少ない香取海と太平洋を結ぶ水路のようなものだったらしい だから銚子〜野田〜江戸を結ぶ海運路としては最適だったらしい。 しかし小学校の授業では みんなが住んでるところは大昔は海だったんだよ とは教えてくれなかったなぁ・・ モンスーンとか地中海性気候とかそんなんじゃなくてこんなの教えてくれてたら もっと興味持ったんだけど。 でも私の疑問はまだ晴れてなくてね。 本当にそうなのかよ? って。 まぁ そうなんだけどさ。ピンと来ないんだよ スケールが大きすぎて。 それでも海が陸地になった疑問は晴れた。 次は巨大地震・噴火の歴史から事実を重ね合わせてみたい。 |
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