ゴマメの歯ぎしり

春休みが終わって孫も帰りやっと自分の時間が持てるようになりました

京都感傷旅行 2009

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20年ぶりに訪れた古都のレポートです
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京都駅ビルのクリスマス・イルミネーション  全部が点灯している一瞬を写すのが難しかった  手持ちで撮影、Nikon VR(ブレ防止)の効果を実感した






  *お断り・・・今回はいつもと異なり個人的な感傷が多い内容となっています  京都感傷旅行(センチメンタル・ジャーニー)のタイトルに免じてお許し下さい


さて少し紅葉には早かった我が京都の2泊3日の旅もいよいよ最終地の紹介となった  トリを飾るのは吉田神社である

吉田神社といっても京都以外で生まれ育った人には全く無名であろう  京都の人であれば「ああ、あの節分の時に賑わう吉田神社か」と言ってもらえるが、、、

境内の大元宮(重要文化財)には全国の神々が祀られ、ここに参ることは全国の神社に参ったことになるというほど霊験あらたかな神社である

我々夫婦は数十年前にこの近くの、とある大学の付属施設の古い会館で結婚式を挙げた  シャイで派手なことが嫌いな僕の希望だった

結婚式は神前式だった  神主が祝詞をあげているときふと横を見ると花嫁の頬をつたわる涙が見えたので反射的に見てはならないものを見てしまったかのように慌てて顔を戻した

結婚式は昼からだったので彼女は前の晩、九州から遥々夜汽車に乗って当日の朝一番に京都に着いたのだ
全く「花嫁」の歌詞のとおりだった そして我々の新婚生活も瀬戸内海に面した「海辺の町」でスタートしたのだった

あれから幾星霜、何とか別れずに今日まで一緒に暮らしてきた  数十年ぶりに訪れた吉田神社の後ろにある吉田山(高さ121m)に登った 

昔はここから京都の町が一望できたのだが、木々が生長したのか全く見えなかった  長い年月が経過していたのを実感した

東大路通りまで歩いて、またバスに乗って京都駅に向かった  途中着物姿の若い(20歳代?)カップルが乗り込んできた  若い男が着物を普通に着こなしているのがいかにも京都らしい

秋の日のつるべ落としで駅に着いた時にはまだ6時前だったが、すっかり暗くなっていた  西洋ローソクのような京都タワーがライトアップされて白く光っていた

これが出来たときは景観論争が盛んだったが、その後1994年、平安遷都1200年記念事業で駅ビルを改築してからは新幹線で通り過ぎてもすっかり見えなくなってしまった

この新しい京都駅に入るのも初めてだった  入って見ると中には巨大な空間があり、ここに早くも大きなクリスマスツリーのイルミネーションが飾られていた

ホームに出て新幹線に乗った  「ウン十年前の花嫁」は今度は夜汽車ではなく、新幹線に乗って東京に戻った
懐かしい昔の夢をまどろみながら、、、、、   (完)
 



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       吉田神社の鳥居  節分になると境内は多くの露店で賑わう


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                   吉田神社の参道

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                   吉田神社の本宮

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吉田山から見た大文字山(如意ヶ岳)  京都の町が見えなくなったので新たに大文字山が見えるスポットを作ったらしい

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          巨大な空間のある京都駅ビル  伊勢丹が入っている


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     西洋ローソクのような京都タワー  すっかりその姿が新幹線から見えなくなった

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               帰りに乗ったN700系新幹線のぞみ
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テレビのCMで有名になった永観堂の紅葉  HPで紅葉状況を詳細に知ることができる




琵琶湖疎水事業の一環である水路閣を見た後、南禅寺境内を歩いた  境内には石川五右衛門が登って「絶景かな絶景かな」と言った三門があった  拝観料が要るようなので登るのは止めた

ここも紅葉には未だ少し早かった  先を急いでこれも紅葉の名所、永観堂に向かった
永観堂はいつからかテレビCMで取り上げられてすっかり有名になってしまった  約3,000本の紅葉があるそうだ
また種類も多いせいか、既に紅葉している木もあった

数十年前には中に入って善哉(ぜんざい、汁粉)を食べたのだが今回は紅葉には未だ早いこともあり拝観はしなかった(∵拝観料が600円とチョット高い)

更に北に上がって今度は哲学の道だ  ここを流れる水は前回紹介した琵琶湖疎水の分流で、南禅寺の水路閣を通った水が暗渠となって永観堂裏を経由し若王子神社前で地上に出る

この京都では唯一南から北に流れる銀閣寺までの川沿いの道を「哲学の道」といい観光名所になっている
「哲学の道」と言われるのは昔、「善の研究」で有名な哲学者の西田幾多郎がこの道を散歩しつつ思索に耽ったことに由来するらしい

私が昔歩いた頃はあまり知られておらず、行き交う人もまばらで確かに思索に耽るに最適だと思われた
しかし今度歩いて驚いたが紅葉もまだ色づいていないのに結構な人出なのだ  それもうら若きギャルが、、、

どうやら、るるぶで紹介されてから人気に火がついてすっかりメジャーな観光地になったらしい
いまだったら西田幾多郎センセイも大勢のギャルを横目に見て 、「色即是空*]なんてつぶやきながら散歩しなきゃいけないかも?

*注意 : ここで言う色即是空は「色」を通俗的意味で捉えて使っています  本当の仏教的意味は簡単に説明できないほどムツカシイものです


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                        南禅寺境内、奥は三門  

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                            南禅寺三門


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永観堂中門から入り口(総門)方向を見た写真  種類が多いので赤くなっている紅葉の木もあった

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                 哲学の道入り口  右に行くと若王子神社に出る


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           すっかりメジャーになった哲学の道  春は桜並木が美しい


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                    銀閣寺近くの哲学の道
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   琵琶湖疎水のインクライン跡(舟を運ぶためのケーブルカー)  春は桜の名所でもある
       *以下の写真及び地図はクリックで拡大します


気分を盛り上げるため以下のリンクで「地上の星〜中島みゆき・紅白版」を聞くことをおすすめします

http://www.youtube.com/watch?v=CDDDXV5-3hg&feature=related

  2002年紅白歌合戦より  歌詞を間違えますが、厳寒の黒部からの胸が熱くなるような熱唱でした


田口トモロヲ風に読んでください (注:一部想像を交えて書いています)
明治2年、東京遷都で京都の町は沈滞しきっていた  3代目知事の北垣国道、考えた  琵琶湖の水を引き、船を通す  上水や灌漑、発電にも利用する  京都にかっての活力を取り戻したかった

当時我が国の大きな土木工事、すべて外国人技師の設計監督に頼っていた  無謀にも日本人の手で完成させたかった

一人の男の論文に北垣国道の目は釘付けになった  工部大学校(現:東京大学工学部)学生 田邉朔郎 卒業論文に琵琶湖疎水の必要性と工法を熱く説いた

県境の長等山(ながらやま)を貫く第1トンネル 長さ2,436m、当時最長の逢坂山トンネルの4倍
日本一の長さだった

総工費は当時の国家予算の1.8倍  今ならば1兆円の大プロジェクトだった  人々は完成を危ぶんだ  この難事業、北垣国道は大学を出たばかりの田邉朔郎を抜擢した  弱冠21歳だった

日本で初めての竪坑、殆ど人力にたよる工事  ダイナマイトとセメント以外はすべて自給自足した
頑くなに掘削を拒む硬い岩盤、突然の出水そして落盤  工事は困難の連続だった

蹴上(けあげ)船溜まりそばの慰霊碑  17名の殉職者の名前が刻まれている  田邉朔郎、それでも不撓不屈の精神で決して怯まなかった

明治23年、第1期工事完成した  5年の歳月と延べ400万人が動員された  ちょうちん行列、祇園祭りの山鉾、大文字の送り火 京の人々総出で祝った  京の町、甦った

世界でも2番目、そして日本では最初の水力発電所  西陣織などの伝統産業の近代化に貢献した
日本最初の路面電車も走り出した
それから20年後、第2疎水建設 水道と市電が整備され京都の町は完全に生まれ変わった
  
これは京都の命の水とも言える琵琶湖疎水を完成させた男達に捧げる尊敬と感謝のメッセージである

  
平安神宮を拝観したので南に下って(京都では南に歩くことを単に下ると言う)再び疎水に沿って次の目的地の南禅寺まで歩いた

桜の葉が紅葉している疎水縁を歩いていると動物園横に琵琶湖疎水記念館という昔は確か無かった建物が見えた  琵琶湖疎水については以前から興味があったので立ち寄った

うれしいことに入館料は無料である  屋外にはペルトン式水車、スタンレー式発電機、パイプなどが展示されていた  館内には疎水建設にかかわる諸資料、付近のジオラマ模型、写真などが展示されている
またビデオで琵琶湖疎水の建設の様子などを上映していた

京都に通っていた頃は漠然と琵琶湖疎水といえば確か若い技術者が抜擢されて完成させたくらいの一般的知識しか持ち合わせていなかったが、よくよく聞いてみると現在の日本では考えられないくらい大変なことだ

現在で言えば1兆円プロジェクトを一介の大学を出たばかりの青二才に任せたのだから
しかしその重責に見事応えた田邉朔郎はじめ工事関係者はまさに煌めく「地上の星たち」だ

京都市民が命の水を完成させた恩人の功績を称えて記念館を建てたことは意義深いことと思う
しかし同時に現在の日本の若者にこのような活躍の場が充分与えられていない現状に寂しい思いを抱くのは私だけだろうか

第二代住友総理事 伊庭貞剛はこう言っている「事業の進歩発展に最も害するものは、青年の過失ではなくして、老人の跋扈(ばっこ)である」

就職氷河期などの言葉が一人歩きしているが、困難な時期だからこそ老害を排し、将来のため若い芽を育むべきではないのだろうか・・・・以上 本日のゴマメの歯ぎしりでした



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琵琶湖疎水の南禅寺船溜まり  左は動物園、右の建物が琵琶湖疎水記念館


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                    記念館前の展示パイプ


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                    琵琶湖疎水100周年記念碑


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テレビによく出てくる水路閣(水道橋)  この上を琵琶湖疎水(=疎水分線)が北に流れてる


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水路閣の上の疎水の流れを見る観光客  水は北(手前から奥)に流れている






資金調達のため特別税を徴収して「今度きた餓鬼、極道」と罵詈雑言を浴びた板垣国道さん  その後北海道長官に就任し、田邉朔郎さんと二人三脚で北海道の鉄道網整備に尽力した

1916年(大正5年)死去  いまは平安神宮横にある夷川発電所の銅像となって静かに琵琶湖疎水を見守っている

田邉朔郎さん  琵琶湖疎水が完成したその年、北垣国道さんの長女静子さんと結婚した  工科大学校教授となり若手技術者の育成にあたった  その後北海道の鉄道敷設、関門鉄道ンネル工事などに携わった

昭和19年、82歳で永眠  琵琶湖疎水を見下ろす大日山墓地から今も京都の町の繁栄を静かに見守っている

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    琵琶湖疎水記念館周辺散策マップ(琵琶湖疎水記念館のパンフレットより引用)
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広くて玉砂利の敷かれた境内を歩くとキモチイイーッ  平安神宮境内の大極殿(だいごくでん、正面)と白虎楼(左)、蒼龍楼(右)    *横位置の写真はクリックで拡大します(以下同様)




みやこめっせで昼食をとり暖まったので(当日は寒かった)元気も回復し岡崎界隈を散歩した後、妻からリクエストのあった平安神宮に参拝した  彼女はまだ見たことがないと言う  

平安神宮は他の神社に比べると歴史は浅く、1895年に平安遷都1100年を記念して建てられた  その年に行なわれた博覧会の目玉パビリオンとして建築家の伊藤忠太が昔の平安京の朝堂院を8分の5の縮尺で再現したもの

現在の規模でも結構大きいが、これで8分の5だとすると元の建物は目を見張る程巨大なものだったのだろう  数十年前、学生の頃何回か訪れているが広々とした境内、ベンガラを用いた鮮やかな朱塗りのイメージは昔も今も変わらない

11月で天気も良かったので境内には七五三参りの家族姿も多く見られた  また結婚式場もあり白無垢の花嫁姿も見られた

平安神宮の境内奥には広い庭(神苑)があり、色の濃い「紅枝垂れ桜」は特に有名  またアヤメやショウブ、睡蓮などの花もある美しい庭である・・・何回か入った記憶がある

またどういう訳か日本最古の電車(通称チンチン電車)も飾られている  
今回は時間もないこともあり境内をグルっと歩いただけで神苑の見学は割愛して次の目的地に向かった


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平安神宮の大鳥居  高さ24.4m、最下部の柱周り11.4m  右の建物は市立美術館

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                応天門全景(高さ19.3m)

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応天門から見た大極殿  朱塗りの社殿と碧瓦のコントラストが目立つ


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       応天門から振り返ると大鳥居が見えた  七五三参りの姿も、、

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       大極殿、高さ16.7m  着物姿の子供の世話に大忙しのママ

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おみくじのお告げにやや不満げなお嬢さん  むすび木はおみくじで花が咲いたよう

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            朱塗りの軒裏をバックに黒い吊灯篭が引き立つ


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                白虎楼の横に神苑入口がある(有料)
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みやこめっせ(京都勧業館)  1996年(平成8年)完成  地下1階に「京都伝統産業ふれあい館」がある



清水坂から206番のバスに乗って東山仁王門で降りた  平安神宮に行くためである  降りてから気付いたが次のバス停、東山二条の方が近かった

5分程歩くと琵琶湖疎水に架かる橋に出た  土手に植えられた桜の樹の葉が真っ赤に紅葉して綺麗だった  更に進むと前庭に赤く塗られた大きなモニュメントのある建物が見えた  みやこめっせ(正式名称:京都勧業館)との表示があった  京都らしく源氏物語に因んだ石像も飾られている

面白そうなので中に入ってみた(入場無料)  建物全体としては幕張メッセなどと同様展示会場となっている  京都市の成人式式典もここで行なわれるらしい

地下1階には「京都伝統産業ふれあい館」があり、京都の伝統的な匠の技の数々の作品展示及び実演を行なっている



残念ながら館内は写真撮影禁止だったので出口外にあった蒔絵の写真を一例としてアップした  蒔絵はあのマリー・アントワネットを「私にとって重要なものは、ダイヤより漆器よ」と言わしめた程、王侯貴族の憧れの的だった

確かにこの作品を見ると金箔を引き立たせる文字通りの漆黒と微妙なグラデーションで表現された鱒が、この上ない典雅さをかもし出している

訪れたとき館内では京扇子製作などの実演も行なわれていた  また女性の方々の目の保養になると思われる京友禅など数々の豪華な着物、小物なども展示されている

それに毎日曜、舞妓さんの優雅な舞い姿が見られるのだ!!  日曜日に来るべきだった、残念!

ゆっくり館内を見学していたらお昼になったので1階に上がり付属のカフェレストラン「浮舟」で昼食をとった
ガラス張りで前庭がよく見えた  寒かったのでカツカレーとうどんがセットになったメニューを食べた
値段も1,200円とリーズナブルだった

食事の後、付近を散策した  平安神宮の南側にある「かえで通り」は楓並木が赤くなっていた  この岡崎あたりは京都のカルチャーセンターで図書館、美術館、それに動物園がある  そして確か記憶が間違っていなければ岡崎の疎水からインクラインは春は桜の名所でもある

散策のあと、妻からリクエストがあった平安神宮に参拝した  
  


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岡崎の琵琶湖疎水  このあたりからインクラインまでずぅ〜と桜並木が続いている


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         京都らしくみやこめっせの前にも源氏物語に因んだ彫刻があった


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     京都伝統産業ふれあい館の出口にあった「清流に紅鱒蒔絵」  オー ビューティフル!!


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岡崎・平安神宮近くのかえで通り(=メープル街道)  ここにも清水寺と同様人力車がいた


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岡崎の府立図書館  右から読む「図書館」の文字を含め全体にアンティーク調


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ここにもアンティークが、、、  図書館脇にあった薪を背負って読書に勤しむ二宮尊徳像  戦前の小学校によく見られた


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                 和洋折衷デザインの京都市立美術館

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