ゴマメの歯ぎしり

春休みが終わって孫も帰りやっと自分の時間が持てるようになりました

夏の札幌・美瑛 2010

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学生時代以来ひさしぶりに訪れた北海道再発見の旅行記です
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富良野で一番有名なファーム富田のラベンダー畑  早すぎて未開花だった  次回は是非その芳しい匂いを満喫したい
 

さて最後に今回4泊5日の旅で得た北海道の印象をいつものようにエピローグ(納め口上)として述べたい
 
今回初めて訪れた美瑛・富良野は新しい北海道の顔の代表だと思う
以前学生時代に3週間かけて旅した頃は決して今のようにメジャーな観光地ではなかったはずだ
 
古い記憶をたどると確か旭川から層雲峡に行き、大雪山連峰のひとつ黒岳(1984m)に登った
それから帯広方面に抜けていったので富良野には足を踏み入れていない
 
美瑛・富良野の印象は女性好みで、層雲峡の柱状節理が見せる荒々しい風情とは好対照だ
街も道路や庭先まで美しい花で飾られ、清掃は行き届いて気持ちよい
 
明治2年(1869)北海道開拓使が設置されて、北海道の開拓は本格化した
先人は開拓の村にあったような粗末な小屋で生活し開墾に精を出したのである
 
アメリカではアラスカのことを  "The Last Frontier" と呼ぶ
北海道もまた日本の残された手付かずの大地 "The Last Frontier"だった
厳しい自然条件ゆえ一部を除き製造業は発達しなかったが神はかの地に豊かな自然を与え給うた
 
北海道の雄大で美しい自然は東アジアの人々にも大人気のようだ
とりわけ中国では映画「非誠忽擾」(邦題 :狙った恋の落とし方)で北海道の大自然が紹介されて以来大ブームになっているという
確かに北海道の各所でここは日本か?と思うほど多くの韓国や中国人観光客を見かけた
 
さらに今年7月よりビザ制限が緩和されたことにより一層中国人観光客が増大することが見込まれる
道側も観光を貴重な資源と捉え、中国語や韓国語表示の整備など抜かりない(美瑛の駅では中国女性スタッフがいた)
 
今や北海道は観光資源開拓のフロンティアである  これから第三次産業の成長に依存せざるを得ない日本にとってもその成否はきわめて重要だと思う
 
個人的には妻も私も大変北海道が気に入った  娘が札幌に住んでいるのを好機にまた訪れたいと思っている  そしてその変貌振りに今後とも注目していきたい
 
以上で北海道旅行記を終わります  つたない文章をご愛読いただき有難うございました
 
 
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             昔のままの北運河  缶詰工場や倉庫が両側に並ぶ


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鰊御殿を見たあとは、もうひとつ小樽にとって大事なものが保存されているところ、総合博物館に行った
ここは以前は交通記念館だったのを運河館と統合し再オープンしたもの

日本で3番目に古い鉄道・手宮線は1880年(明治13年)に営業開始  小樽市内の手宮から石炭や海産物を運ぶためだった

交通記念館はこの手宮線車庫跡地に作られたもので、小樽の人口(=13.3万人、平成22年7月末)からすると随分立派な施設である(失礼!)

月曜に行ったせいか閑散としており、その分じっくり楽しめた
小樽市は人口減少が進んでおり、この博物館もリストラされる恐れなきにしもあらず  
皆さん是非訪れて下さい

展示内容の概略は以下のビデオのとおりです  アイアンホース号というディズニーのウェスタンリバー鉄道に似た汽車にタダで乗れます(といっても400m走るだけですが)

転車台が動く様子とか連結など他ではなかなか見られないアトラクションにも注目! 

 



総合博物館で親子3世代楽しんだが、さすがに遊び疲れたのか孫娘が寝入ったところで娘夫婦に別れを告げ北運河を散策した

ここは昔のままの40m幅の運河のままで、朽ちたハシケが繋がれていた  片側には倉庫群、向かい側には北海製罐の工場があった  これも昔のままの姿だろう

るるぶ族の行き交う新しい運河(半分埋め立てて散策路、街灯など整備)を通り過ぎた  ここにも中国人観光客が多くいた

小樽駅前のアーケードを通ると一部商店のシャッターが閉じたままだった
小樽の町に栄枯盛衰、世の移り変わりを感じつつ新千歳行きの電車にとび乗った  (完) 



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孫娘のお気に入り、転車台の模型  回転するとき汽車の製造国にちなんだ音楽が流れる  音楽に合わせて踊っていた

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             北運河の終端  ハシケなどが昔を偲ばせる

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     運河公園  奥には日本郵船の旧小樽支店があったが月曜日で休館だった

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        観光客で賑わう今の運河  中国人観光客も多く見かけた
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祝津岬に立つ鰊(ニシン)御殿  1897年(明治30年)田中福松氏が建てたもので小樽市に移築された

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定山渓の温泉&バイキングですっかりリフレッシュできた  翌日7月5日(月)は旅行最終日だ
朝7時に起きホテル近くを散策後、朝食バイキングをしっかり食べた

娘夫婦のクルマに便乗し直接定山渓から小樽に行った  途中さっぽろ湖という定山渓ダムによってできた湖を経由した

実は小樽は今回が初めてではなかった  2008年9月に娘が札幌に引っ越した機会に訪れている
そのときは時間の余裕もなく、「るるぶ族」が訪れるような新しい小樽しか見なかった

小樽は日本海のニシン漁の中心地として栄えた町である 明治30年には97万トンの漁獲高を記録した
(現在は100トン!)

ニシンは数の子や身欠きニシン(大好物!)以外に最大の用途として肥料になった
またニシン漁に使う浮き玉を作るためガラス製造業が発達したという  北一硝子も浮き玉や漁船用ランプを作っていた

ニシンが大漁のときは浜には人が溢れ漁夫はもちろん女も駆り出され、子供も学校を休んでニシンをモッコで運ぶのを手伝ったという

ニシン漁は投機性が強く、石狩挽歌を作詞した なかにし礼の14歳年上の兄もこれに手を出し大損を出す
兄は特攻隊の生き残りで落ちていくことに快感を覚えるというほとんどビョーキのギャンブラーである

この石狩挽歌という歌は華やかだったニシン漁に、兄に翻弄された自分自身の人生を重ねて歌っているように思う  これはニシン漁と実の兄に対する挽歌なのではないか

曲の出だしは大漁のときの高揚感をイメージしたようなトランペットのファンファーレで始まるが全体にはメランコリックなスローバラードである

 


鰊御殿の見学者の中には我々のように昔を懐かしむ人もいてタクシーに乗り合わせてグループで見学していた
運転手兼ガイド氏の話によるとヤン衆(=季節雇い漁夫)は一日に米8合、ということは茶碗で16杯食べたと言う
歌にある「わたしゃ夜通しメシを炊く」という一節が理解できた

せっかく海のそばに来たので娘婿がサカナのうまい店があるといって祝津の青塚食堂(民宿も経営)に案内した 評判の高いウニ丼(時価 3,350円)とニシンそば(1,000円)、焼きホタテ(700円)などを食べた
ウニは全くの生ウニでこの分量、鮮度なら安いものだ

ニシンそばのニシンはさすがに大きく、数の子はキライだが身欠きニシンは大好物という変人の自分にとっては大満足だった




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                      定山渓近くのさっぽろダム

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         ここの料理を食べたいために泊まる人もいるという青塚食堂(祝津)

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             評判のウニ丼  美味しそう過ぎてスミマセン
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札幌の奥座敷、定山渓温泉  豊平川沿いの温泉街だった
 

今回利用したのは東京から北海道までの往復航空券とホテル宿泊がセットになった4泊5日の格安ツアーだった
飛行機の時間帯、発着する道内の空港およびホテルもリストから自由に選べる  また食事付きプランも選べる
 
前回娘の引越し手伝いで来たときは札幌のニューオータニに3泊もしたので今回はなるべく別のホテルも経験したかった  そこで富良野ではペンション、札幌では少し離れた定山渓ホテルに泊まった
 
定山渓の名の由来は、備前(岡山県)出身の僧・定山が蝦夷の地に渡り、明治維新の少し前、慶応2年(1866年)にこの地に温泉を開いたことに由来する  泉質はナトリウム塩化物泉
 
最初は我々夫婦だけで泊まる予定だったが娘夫婦も合流することになった  娘の話によると日曜だったので料金も1泊2食付で5,500円と格安とのこと  近くだったらいつでも利用したいくらいだ
 
開拓の村を午後4時頃に出発しクルマで定山渓に向かった  というのはここは夕食はバイキングで5:30から始まるのだ  あまり遅く着いて夕食が何も残っていないと困るので、、、(実際はそういうことはないようだが)
 
早速風呂に入った  ここの大浴場は時間帯により男湯と女湯に切り替えるシステム  大浴場には露天風呂(といっても壁がない半露天風呂といった感じ)と9つの浴槽&プールがある  風呂は夜中にも入った
 
フロが終わったらメシだ  風呂から上がって2階の大食堂に全員そろって行った  夕食はバイキング形式で、ちょうどマグロ祭りをやっていた
 
バイキングは注意しないと食べ過ぎてしまう  和食、洋食、中華それにデザートとメタボ人間にとっては全く目に毒というほどいろいろ揃っていた
 
おかげでせっかくアラスカの下痢で減った体重がリバウンドしてしまった  バイキングは試食感覚で少しずつ皿に取って食べるのがメタボ人間向きのようだ
 
(次回は最終観光地 小樽編です)
 
 
 
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宿泊した定山渓ホテル  ちょっと古いが料金を考えるとリーズナブル
 
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2階の大食堂  マグロ祭り(いろいろなマグロの刺身が食べられる)の大漁旗が見える  ここにも中国人観光客が多数いた
 
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        いかにも北海道らしい風景!  旧小川家酪農畜舎  撮影ポイントのひとつです




北海道旅行4日目と5日目は札幌在住の娘家族と一部行動をともにした  旅行目的のひとつが娘夫婦および孫に会うことだった

ただし四六時中ベッタリでは双方とも疲れてしまうので美瑛・富良野には私たち夫婦だけで行った
娘夫婦は幸いクルマを持っているのでクルマの方が便利なところを案内するよう事前にリクエストしたところ
4日目は開拓の村に行くことになった

開拓の村*は札幌の南東15kmのところある  54.2ヘクタールの敷地に北海道の開拓当時を偲ばせる建物が再現されている   正式名称は「北海道開拓の村」   HPは http://www.kaitaku.or.jp/

敷地内には市街地群、漁村群、山村群および農村群の4つのゾーンがある  そして入り口から農村群までを馬車鉄道(冬は馬そり)が結んでいる

訪れた感想は緑が多く、森林浴にピッタリな場所だ  もっとも札幌人はそういう環境に慣れているのか入場者も少なかった

あと自分のようなオールドファンにとっては昔の田舎の原風景を見たという感じで懐かしかった

同村のホームページでは同村のボランティアスタッフが親切にも記念写真撮影スポットを紹介している
お急ぎの方もここだけは見逃さないように!  全部をゆっくり見て廻ると1日ではとても足りません

またとりあえずどんなところか知りたいという方々のために以下のスライドショー(デジタル紙芝居)を作りました
ご覧いただければうれしいです

    




ボランティアスタッフおすすめの記念撮影ポイント BEST6


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旧札幌停車場(明治41年築)を少し小さく再現  スティックスタイルと呼ばれる米国の木造建築様式  入り口および管理棟として使用中


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白とグリーンのコントラストが鮮やかな旧開拓使札幌本庁舎(明治6年)  開拓使とは北方開拓のため明治2年〜15年まで置かれた官庁


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上の旧開拓使札幌本庁舎から農村群にある旧ソーケシュオマベツ駅逓所までを結ぶ馬車鉄道(料金要)


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旧札幌警察署南一条巡査派出所(明治44年)  やさしいおまわりさんで敬礼姿で一緒に写真に入ってくれます


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      これがかの有名なニシン御殿  小樽・祝津のものより豪華で付帯設備も充実している


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冒頭と同じ旧小川家酪農畜舎(大正後期/札幌)  札幌農学校出身の小川三策が米国を模して設計した

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