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近代日本史は資源・エネルギー争奪の歴史だった 底辺を支えた人々の汗と涙の歴史も忘れてはならない
今回の長崎旅行では多くの場所で中高校生の
修学旅行生を見かけた
共学の公立高校だが男子だけ修学旅行がないという
一風変わった学校を卒業した私にとっては羨ましい
光景だった
そこで妻の実家帰りを利用して兼ねてから訪れたかった
長崎や近くの旧炭坑地帯を勉強すべく目的意識を持って
歩いてみようと思った いわば大人の修学旅行だ
九州や山口は西洋や中国に近いという地の利があり、
特に長崎は良港に恵まれたため日本の近代化をリードしてきた
また日本の近代化に不可欠な資源エネルギーを供給するために
周辺の三池炭坑や端島(軍艦島)、筑豊の炭坑が開発された
そして1901年 官営八幡製鉄所で日本最初の溶鉱炉が火入れされ
富国強兵のスローガンの下、軍備増強にひた走った
長崎にも1861年、長崎造船所の起源となる製鉄所が完成
その後ドックや起重機を備え造船を開始、次々と軍艦を製造
するようになった 1942年には世界最強の戦艦武蔵を建造
これらの兵力を過信し日本は無謀にも資源を求めて領土拡張に
走り列強と戦線を交えることになり原爆を広島と長崎に投下されて
やっと目が覚める
このように近代日本史は資源を求めて領土拡大に走った
遅れた帝国主義の歴史だった、、、云々と教科書では教わった
しかし今回「修学旅行」に行き、いろいろ興味を持って調べたところ
この日本の近代史の影の部分が気になりだした
なにより軍需工場があったために原爆を投下された長崎の
惨状は目を覆うばかりのものだった
九州北部にあった炭坑地帯には多くの貧農や植民地だった朝鮮から
連行された者が送り込まれ日本のエネルギーの大部分を占めた
黒いダイヤモンドと言われた石炭を掘るという過酷な作業に日夜従事した
また農地が少ない島原・天草の女性はいわゆる「からゆきさん」として
遠くアジアに送り込まれ無事帰ってくるものは稀だった
幸いにも戦争を知らない世代に生まれた私は広島・長崎の惨劇や戦後の混乱も
あまり詳しく知ることもなく高度成長の恩恵をフルに享受して育つことができた
今回いろいろ改めて勉強して日本近代史の影の部分を知ると
毎日ノーテンキに暮らしているわが身の幸せを改めて痛感した
良い時期に生を与えてくれた親と極楽トンボ亭主を支えてくれた妻に
感謝せねばならない ・・・・・・これが今回の「大人の修学旅行」最大の収穫かも知れない
「長崎の鐘巡礼記」はこれで完結です ご愛読有難うございました 修学旅行といえばこの曲
「高校三年生」、「学園広場」と並んで
舟木一夫の学園三部作といわれる
1959年(昭和34年)には「ひので」「きぼう」という
修学旅行列車もできた
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長崎の鐘巡礼記2011
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時間が余ったので万田坑ステーションの
手前にあったた万田炭鉱館にも立ち寄った
(2000年開館)
2009年4月に万田坑ステーションがオープン
するまでここが唯一の展示施設だった
時間が遅かったせいもあるが閑散としていた
立派過ぎる外観の建物内部に入ると大きな
吹き抜けのスペースがあり、床には付近の航空
写真が、正面には万田坑のいろいろな写真パネルが飾られていた 白亜&レンガ造りの殿堂といった立派過ぎる趣きの万田炭鉱館
立派な外観の割りには展示スペースは少なく
玄関を入って右の約20㎡位の部分のみ
大画面薄型テレビで5分ほどの万田坑紹介
ビデオを上映していた
ここには地下の石炭を掘って地上に揚げる
様子を示した模型が展示してあり、これは分か りやすくて良かった
これが採掘から地上に石炭を運搬するプロセスを説明した模型 展示室内には炭鉱で使用された道具や機械の模型などがあった さて全体を見学しての感想だが少し厳しい指摘を
したいと思う
写真パネルや道具だけ展示で、動くものが無ければ男性や
子供は興味が湧かない
それと折角現地に来ているのだから本物を見せる工夫を
して欲しい すなわち実際の採炭現場や坑道、乗れる
トロッコなど、、、、
日本の行政の縮図なのだろうかハコには随分カネが かかっているが肝心の展示物がお粗末では本末転倒 手が汚れるためか触らないでとの注意書きが、、、
ではないか
とは言い難い
すぐ隣の大牟田市(福岡県)にも同じような石炭産業科学館という立派なハコがあるが肝心の現場の宮原坑跡は第3土曜日だけ一般公開では手軽に見られないだろう
また炭坑節に歌われた二本煙突が残されている
福岡県田川市にも同様の博物館や産業遺産がある
地域の人々が昔を懐かしむ縁として残しているのならいいが
いやしくも日本近代化の世界遺産として世界の人々に
アピールしたいのであればもう少し選択と集中をした方が
よいのではなかろうか
ここ万田炭鉱館にも炭坑の画家山本作兵衛さんの作品(コピー)が展示されていた
日本で始めて世界の記憶遺産になった山本作兵衛さんの炭坑絵 元現場の炭鉱夫としての視点で描いた彼の飾りの無い、
リアルな説明付きの絵には本物にしかない説得力に溢れている
そのため世界遺産を審査するユネスコから「日本の近代化を支えた底辺の人々が
自らの手でその記憶を留めた類稀なる作品」として絶賛され日本で初めて
「世界の記憶遺産」に選ばれた
彼に倣って行政からの高い視点からではなく一般市民や世界の
人々の目線に立って日本の炭鉱の素晴らしさを訴えるような展示をして
欲しいものだと思いつつまたウグイスの心地よい鳴き声を聴きながら
万田坑を後にした
今も石炭を運んだ炭鉱電車の廃線が残る荒尾駅
今年の5月5日にもここ万田坑が舞台となった忽那汐里さん主演のNHKドラマが放送された |
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第二竪坑を覗いたあとはこの竪坑に物資や人員を昇降させる
巻揚げ機が格納された第二竪坑巻揚機室を見学した
同建物は1909年(明治42年)完成、レンガ造り切妻2階建てで
1階は入り口のみ、中2階には重量物を昇降させるウィンチが、
2階には坑夫を昇降させるケージ巻揚機が装備されている
建物内は構造物むき出しで頭が危ないのでヘルメットを着用
中2階にはデーンと巨大な歯車が付いたウィンチが鎮座していた
巨大なウィンチ 昔は蒸気エンジンで動かしていた 更に階段を上がり2階に上ると今度は人員昇降用のケージ巻揚機と
モーター、更にこの巻揚機の運転台があった
ガイド氏は昔を懐かしがって運転の様子を再現してくれた
ケージ巻揚機 モーターは306馬力、巻揚機のワイヤーロープは36mm×390m ケージ巻揚機の運転台 昇降速度は270m/分なので1分で270mの坑道に達した(東京タワーは150mを45秒) 次に第一竪坑櫓跡を見学した
同櫓は完成当時は東洋一で石炭を
地上に揚げる4台のケージが吊るさ
れていた
これも残念ながら1954年に解体され
大きな基礎部分が当時を偲ばせる
のみ
竪坑自体は埋め戻されていないが
周囲には柵が張巡らされ、深い中を
覗き込みこむこともできない
最後に汽罐場(ボイラー室)跡を見た
石炭を燃やして蒸気を発生させ坑内 の施設に蒸気を送っていたが電化に より縮小された
煙突は最盛期には5基あり一番高い のは49mもあった
なお炭坑節に「♪あんまり煙突がぁ 高いのでぇ〜」と歌われた煙突は
福岡県田川市にある旧三井・田川坑
にある二本煙突とのこと
これで見学コースは終了だが何だか欲求不満が募る内容だった
その原因のひとつは坑内に入れないことではないか
金属鉱山と違って石炭ヤマは一般的に崩れやすく、またガス噴出の
恐れもあるが出来ることなら一部に限定してでも坑内に潜り炭坑夫が置かれた過酷な環境を少しでも疑似体験したいものだ
スウェーデンのキルナ鉱山で地下550mに潜った体験をした直後
でもあり、一層物足りなさが感じられた
厳しい採炭現場の環境を物語る写真
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「九州・山口の近代化産業遺産群」として世界遺産申請中の三池炭鉱・旧万田坑 坑内に潜れないのは残念
最近地域振興策として世界遺産申請が活発化している
妻の実家の近くにもそのような遺産があったので
行ってみてきた
JR荒尾駅で降りて路線バスを利用しようと思ったが
あまりにも待ち時間があったので散歩がてら歩くことにした
駅から歩くこと約30分、耳に心地よいウグイスの鳴声がする
森のそばを通り抜けると「世界遺産を目指して!!」と書かれた
大きな看板が見えた
万田坑は1902年(明治2年)の出炭開始から
1952年(昭和26年)の採炭中止まで半世紀の間
三井炭鉱の主力坑口のひとつだった
坑口別出炭量の推移 万田坑は大正〜昭和20年代、三池炭鉱の主力だった(右下クリックで拡大) 現在は「九州・山口の近代化産業遺産群」の
構成遺産として主要設備を含む約2万㎡が
史跡となり保存されている
まず入り口の万田坑ステーションで入場料
400円を払い概要を学習する
なお同ステーションには炭鉱マンOBのガイドが
常駐していて毎日4回、約1時間かけて主な
ポイントを説明してくれる
ステーションには精巧なジオラマや往時を
偲ばせる数多くの写真があった
万田坑ステーションの全景
中央の丸で囲んだ第二竪坑関連設備が保存されている 右が当時東洋一だった第一竪坑櫓 正門を入るとまず山の神神社がある
(山の神はどこも恐ろしいですから、、、)
炭鉱は危険な場所のため入坑前には必ず参拝したという
お参りを済ませると大事な安全燈(キャップランプ)を付けていよいよ入坑だ
なお安全燈室の隣には炭坑夫には欠かせない風呂があった
坑内作業で汚れの酷い坑夫たちは 予備洗浄→本洗い と
2工程で身体を洗ったらしい
山ノ神 小さな神社だった 浴槽が二つある浴室
安全燈を着けたら竪坑のエレベーターに乗って入坑だ
現存する第二竪坑は深さ274mあり、1997年まで排水施設として
使用していたが残念ながら現在は埋め戻されている
炭坑夫はケージと呼ばれるエレベータのカゴに乗り地下深く潜って行った
(以下中編に続く)
中央部の柵で囲っているところが第二竪坑 左は 右の手前の鉄箱がエレベーターケージ
エレベータ運転室
第二竪坑櫓を内部から見上げたところ 第二竪坑櫓は高さ18.9mの鋼鉄製
ペンキを塗り直したのかキレイだった
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R.シューマン作曲 子供の情景第一曲 「見知らぬ国々」 九州旅行の帰りは福岡から羽田空港行きの
ANA便を利用した
西鉄の終点福岡(天神)で降りてぶらぶらして
いるとたまたま入ったビル(アクロス福岡B2F)で
愛らしい人形たちを見つけた
説明を読むとあかり絵作家入江千春さん*の
作品展らしい *HPは http://akari-e.com/
粘土細工でこさえた人形だが、どの人形の顔も
背景も懐かしい昔の風景そのものでなんだか
ほのぼのしたような気持ちにさせられた
四季つれづれの作品があるようですが私が
見たときは夏バージョンの作品から12点ほど
展示されていたようで、そのうち特に気に入った
ものを以下に紹介します
なお写真はすべて右下クリックで拡大します
愛らしい子供の顔をじっくりご覧下さい
今はこんな板張り(今風に言えばフローリング)の廊下
は見かけなくなった 小さなトタンのバケツやちり取りにも驚く
元気に廊下を雑巾で拭く姿が愛らしい
おむすびを食べるとよく口の周りにご飯粒がつくんですよね
雨に濡れた窓ガラスの質感に感心させられる
「あいらしかよ」とは「可愛いよ」の意味の博多弁
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