ここから本文です
fpdの「映画スクラップ帖」 (名作に進路を取れ!)
★「9月1日から「はてな」ブログに移りました。https://fpd.hatenablog.com/

書庫過去の投稿日別表示

全1ページ

[1]

イメージ 3きのうは、記事に書いたとおり、終日、栃木県で屋外にいたが、”花粉症”で、目が痛くなり、鼻水もでる状況だった。

「佐野ラーメン」を食べているときも、ラーメンが抜群に美味しかったのだが、一方では、カウンター席にあった、店のティッシュの箱を半分消費するくらい使ってしまったのだった。

きょうは、朝一で月一回の歯のクリーニングで歯医者に行ったあと、午後には、花粉症による目のかゆみなどで、眼科に行った。眼科に行くのは数十年ぶりといってもいいくらい行ったことがなかった。

20−30人くらい順番待ちだったが、先生に診てもらう前に初診なので、左右の目の検査や視力検査、症状、その他の情報を眼科助士が収集する。

視界の一部にモヤモヤした浮遊物が見えるので、「飛蚊症(ひぶんしょう)」であることがわかった。蚊が飛ぶような症状とはよく言ったものだ。形もいろいろあるようだ。

イメージ 1イメージ 2

















硝子体剥離(しょうしたいはくり)というらしく、歳をとると硝子体はゼリー状から液状
に変化し、硝子体は次第に収縮して網膜から剥がれていき、このような変化が飛蚊症をもたらすのだという。髪が白くなるのと同じで、”老化”現象の一種だという。

特に治療の必要はなく、慣れれば問題はないようだ。
薬屋で、二種類の点眼薬をもらったが、1日4回ほどつければ治るようだ。

イメージ 4

                                 映画「眼下の敵」予告編

2週間後に、同じチェックをしますから来てくださいということだった。
「さらに飛蚊症が増えるようだったら、明日にでも”飛んで”きてください」と言われた。蚊が飛ぶようなら飛んで来いか(笑)。”翔んで埼玉県人・fpd”だけに。

とんだ「眼下の敵」ならぬ”眼科の敵”だった。

歳とともに、手帳も変化?
映画スクラップ貼は大丈夫か?(笑)。

の手帳」 → 「くすり手帳」へ。

イメージ 5イメージ 6
    








↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
「にほん映画村」に参加しています:ついでにクリック・ポン♪。

開くトラックバック(1)

イメージ 3ロック歌手で映画俳優内田裕也が17日、東京都内で死去した。79歳。兵庫県西宮市出身。

2017年11月に脱水症状で倒れてから車椅子生活を余儀なくされていた。2018年9月15日に妻で女優の樹木希林(享年75)に先立たれ、喪失感が消えない中での死となった。  
 
・・・
エルビス・プレスリーに憧れて高校を中退し、1957年にバンドボーイとして音楽活動をスタート。幾つかのバンドを渡り歩き、1966年のビートルズ日本公演では尾藤イサオ(75)らとの特別編成のバンドで前座を務めた。

同年、大阪のジャズ喫茶「ナンバ一番」で活動していた沢田研二(70)らをスカウト。これが後のザ・タイガースとなった。1967年には麻生レミをボーカルに据えて結成したフラワーズにジョー山中さんらが参加し、フラワー・トラベリン・バンドとして再編成。アルバムがカナダチャートで8位を記録するなど海外でも活躍し、邦楽ロックの礎を築いた。

1970年代からは映画俳優としても活躍。
崔洋一監督の「十階のモスキート」(1983)、自ら脚本を手掛けた滝田洋二郎監督の「コミック雑誌なんかいらない!」(1986年)など話題作に主演した。  

 
イメージ 1

■「コミック雑誌なんかいらない」関連記事:

私生活では故かまやつひろしの紹介で出会った希林(当時悠木千帆)と1973年10月にスピード結婚。内田裕也の家庭内暴力などもあり、1年半で別居生活に入った。1981年には一方的に離婚届を提出。樹木希林が訴訟を起こし離婚成立を阻止する一幕もあった。

別居生活は43年半にもおよび、裕也は大麻取締法違反(1977年)、銃刀法違反(1983年)、そして強要未遂と住居侵入容疑(2011年)と3度の逮捕歴を重ねた。それでも離婚には踏み切らなかった。

イメージ 21991年には東京都知事選に出馬。政見放送で「パワー・トゥ・ザ・ピープル」と「コミック雑誌なんかいらない!」を歌うなど自由奔放な人生を貫き「シェキナベイベー」の名言も残した。

内田裕也(うちだ・ゆうや)1939年(昭14)11月17日生まれ、兵庫県出身。神戸のジャズ喫茶でならし、エルビス・プレスリーに憧れて上京。1958年にブルージーン・バップスを結成し59年にデビュー。渡辺プロ退社後の67年からヨーロッパを1年あまり放浪。帰国後、日本ロックの振興に大きく貢献した。阪神大震災、東日本大震災発生後はいち早く被災地に入り、ジョー山中さんや安岡力也さんら“ファミリー”を引き連れ炊き出しなどを行った。
 
「コミック雑誌なんかいらない」の突撃レポーター役が印象に残る。
波乱万丈の生涯だった。
 
ご冥福をお祈りいたします。


↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
「にほん映画村」に参加しています:ついでにクリック・ポン♪。

全1ページ

[1]

fpd
fpd
非公開 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
検索 検索

過去の記事一覧

ブログバナー

最新の画像つき記事一覧

よしもとブログランキング

もっと見る
本文はここまでですこのページの先頭へ

[PR]お得情報

話題の新商品が今だけもらえる!
ジュレームアミノ シュープリーム
プレゼントキャンペーン
ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!

その他のキャンペーン

みんなの更新記事