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同窓会会場の「割烹 若菜」
きのうは小学校の同窓会に出席した。
何人かの友人と飲んだりしたことはもちろんあったが、まとまった同窓会には初めて出席した。地元に残っている人たちの間では年に一度開いていたとのこと。たまたま今年の幹事の一人がfpdとコンタクトのある友人だったので連絡があった。
参加した20数人の中には、50年ぶり、という人もいた。「誰れ?」状態(笑)。
だんだん見ているうちに、面影が重なってきて、なるほどザ・ワールドになるのだが。
小学校というのは渋沢栄一の生まれた深谷市の中の同じ字(あざ)にある。
まさに地元中の地元。Facebookに「渋沢栄一記念館」訪問の記事をアップしたら、
fpdの妹から「父から、自分が子供の頃に渋沢栄一の葬式に出たと言っていた」とコメントがあった。そういえば思い出した(笑)。当時は聞き流していたが。ネットで見たら、渋沢栄一が亡くなったのは1931年(昭和6年)11月11日で、1923年(大正12年3月生まれ)の父親は8歳だった。これもすごい歴史だ!
・・・
それはともかく、我々の同級生は1学年110人だった。55人のクラスが2クラス。
この2クラスのメンバーが6年間、多少メンバーチェンジして過ごし、中学も3年間そのままのはずだった。
「はずだった」が、中学1年生までは同じで、中2から、近隣の中学2校と合併することになり、一気に3倍近くになり5クラスになったのだ。110人から250人くらいになった。
110人の小学校の名簿があるが、亡くなった人も多く、分かっているだけでも20人くらいは亡くなっている。今回は29人出席の予定が5人キャンセルで24人だった。ふっかちゃんを囲んで。
この年代になると、思い出話と健康の話などが中心。
たわいのない話でも、初めて聞く話もあり、盛り上がった。
飲み放題でも、それほど飲む人は多くはなく、ノンアルコールや、烏龍茶の人もいる。ビンゴゲームがあって、全員に「賞品」が行き渡るようになっていた。
多少、中身に差はあるが、fpdは「リポビタンD」10本セットだった。
中には「現金2,000円」という人もいた。会費が6,000円で,その中から1000円分はビンゴ賞品にしたといい、平均1,000円くらいの賞品となったようだ。
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二次会は、出席者の一人が「カラオケスナック」のオーナーと親しいということで、
2,000円の会費で、飲んで歌った(カラオケは歌いたい放題。飲み物はほぼ希望通り)。バンドのボーカルをしていたという人もいて歌のうまい人もいたが、デュエットや、全員で「月光仮面」や「高校三年生」の合唱で盛り上がった(年代が分かる!)。
夜10時まで飲んで歌って、深谷駅に10時30分。
大宮駅に11時20分。結局家に着いたのは11:50分で、ほぼシンデレラボーイ?だった(笑)。
来年もあるとのことで、2年先まで幹事が決まった。
10,000円札の新紙幣が発行されたら「渋沢栄一令和10,000円札」を持って、それを会費にして参加しいようと幹事が呼びかけていた。5年後というより、まず来年だ!(笑)。
小中と9年間、同じ環境だったので、皆気心が知れている仲間ということ。
数人は高校も同じだった。
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