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▶洋画 '20〜'60年代
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詳細
この時代は、1969年を除いては、ほとんどがリバイバル、二番館での観賞か、TVの洋画劇場、一部VHS,DVDなどが中心。
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ブリジット・バルドー(BB=べべ)主演の「軽蔑」(原題:LE MÉPRIS、フランス・イタリア・アメリカ、1963)を見た。かつてテレビ放送があったが途中で断念、通してみたのは初めて。BBの映画は、そこそこ見ているが、あまり可愛いとは思わなかったが「軽蔑」は例外でキュートだった(笑)。
アルベルト・モラヴィアの同名原作をジャン・リュック・ゴダールが脚色・演出。
愛の真実を追求した人間ドラマということだが、今見ると、フランス人の退屈な夫に対して愛情が微塵も感じられず、アメリカ人プロデューサーによろめいて、悲劇的結末になるという話。
撮影は「勝手にしやがれ」のラウール・クタール、音楽は「かくも長き不在」のジョルジュ・ドルリューが担当。
出演は「素直な悪女」のブリジット・バルドー、舞台俳優のミシェル・ピッコリ、「シェーン」のジャック・パランス、ドイツの巨匠フリッツ・ラング(本人役)、ジョルジア・モルなど。2017年9月30日よりデジタル・リマスター版が上映(配給:コピアポア・フィルム)される。
・・・
女優カミーユ(ブリジット・バルドー)とその夫でシナリオライターのポール(ミシェル・ピッコリ)は寝室で無意味な会話。それは充実した満足感がなせるもの。翌朝、ポールはアメリカのプロデューサー、プロコシュ(ジャック・パランス)と会った。撮影中の映画のシナリオを改定してくれというのだ。
昼、カミーユがやって来た。プロコシュは二人を自邸に誘った。
プロコシュはカミーユに親切だった。静かな嫉妬心を持ちながら、ポールはプロコシュに遠慮している。
プロコシュはカプリ島のロケにカミーユを誘った。
「夫が決めますから」カミーユは素気なく答える。アパートに帰ってからカミーユはひどく不愛想だった。その夜、二人は寝室を別にした。ブロコシュから誘いの電話があり、ポールはカミーユ次第だと返事した。
カミーユは再び激しく怒った。「私はあなたを軽蔑するわ」。
夫婦はプロコシュの誘いで映画館に行った。夫婦はほとんど口をきかなかった。カミーユはカプリ行きを承知した。
カプリ島の撮影現場。プロコシュは監督のやり方が気に入らない。
彼は一足さきに別荘に帰ろう、とカミーユを誘った。
カミーユは夫の顔を見た。
「お行き」ポールは監督とユリシーズの愛を語りあっている。
別荘。ポールは何故自分を軽蔑するのか、カミーユに執拗にきいた。
二人は黙しあうだけだった。翌朝、衣類をまとめているポールの所にカミーユからの手紙が届いた。プロコシュとローマに立つ、さようならと認(したた)めてあった。
その頃、ハイウェイでスポーツカーが大型車と衝突して、二人の男女が死んでいた。カミーユとプロコシュだった(MovieWalker)。
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映画のオープニングで、出演者、製作者、音楽などの担当が文字とナレーションで紹介されているのが珍しい。映画は、”いきなり!ステーキ!”ではないが、いきなり、バルドーの全裸シーンが映し出される。ベッドにうつ伏せに横たわっているのだが、ボディラインの美しいこと。とくに”お尻”の美しさ=美尻を強調したカメラのようだ(笑)。
他愛ない会話というのは、カミーユ(ブリジット・バルドー)がポール(ミシェル・ピッコリ)に、「(私の)足は好きか?膝は。ももは。いいお尻だと思うか。胸は好きか。顔は。目は。口は。」と矢継ぎ早に質問。ポールは、「ああ。ああ。全部好きだ」と答えるだけ。バルドーの小悪魔的要素がでている。
バルドーのキュートさという点では、セリフの可愛さがある。
下品な言葉は使うなと夫からたしなめられたカミーユが「ばかやろう。ちくしょー。」など思いつく限りの罵声の言葉を並べても、逆に可愛いのだ。
ゴダール監督は、この映画の中であちこちで映画ネタを披露している。
ポールが、カミーユと映画でも見に行こうとして、新聞を読んでいる時に
「”リオ・ブラボー”(1959)をやっているらしい。」とか、「ニコラス・レイ(監督)の”黒い報酬”(1956、日本未公開)もある」と話しても、カミーユは全く興味を示さない。
街中の壁には「ハタリ!」(1962)や「サイコ」(1960)などの映画ポスターがあった。中には半分剥がれたポスターもあったが・・・。
カミーユがポールに「帽子と葉巻はない方がいい。”走り来る人々”(1958)のディーン・マーチンのようだ」と言うセリフもある。
それもこれも、ヨーロッパ映画がハリウッド化されていることに警鐘を鳴らしたものと言われている。
ポールがカミーユにフリッツ・ラングを紹介するときに「マレーネ・ディートリヒの西部劇の監督だ」と紹介すると、ラングは「”M”(1931)のほうが好きだが」と付け加えていた。
カミーユとポールの会話で、その都度、会話の主にカメラが左右に行ったり来たりする手法も印象的だった。タランティーノなどにもそんな使い方があったような。
この映画は、掴みどころのないカミーユに振り回される男の滑稽さを描いているようだが、ブリジット・バルドーのお尻とナイスバディを見る映画かも知れない(笑)。そんな見方をすると、軽蔑される?
フリッツ・ラング監督(当時72歳)の俳優としての出演(セリフは少ないが)を見られただけでも価値のある映画だった。全編に流れる音楽も印象的だった。
デジタル・リマスター版で今月下旬に公開されるというが、劇場で観るのがいいかもしれない。
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「わが谷は緑なりき」(原題: How Green Was My Valley、1941、日本公開1950)を見た。”いまさら見たのか”シリーズ。ジョン・フォード監督、ダリル・F・ザナック製作、アルフレッド・ニューマン音楽という超一流スタッフによる名作。こういう白黒映画を見ると、映画は色がついていればいいというものではないことがわかる。
作品は第14回アカデミー賞最優秀作品賞、監督賞、助演男優賞(ドナルド・クリスプ)、撮影賞(白黒部門。アーサー・ミラー)、美術賞(リチャード・デイ、ネイサン・ジュラン)、室内装置賞(トーマス・リトル)など6部門で受賞。
炭鉱の町で働く一家が不況やリストラ、事故などで離ればなれになり、そんな出来事を一番下の息子ヒュー・モーガンの目線で描いたヒューマン映画。
・・・
今や初老となったヒュー・モーガンは生まれ故郷のロンダの谷を出ようとしていた。ヒューは谷が緑だった頃、一家みんなが揃って幸せだった少年時代をしみじみと回顧する。モノローグが流れ「私の知っている人々はみんな死んでしまった。今は私の記憶の中にだけある」と言い、続けて「いや彼らは生きている。私が思い出すたびに、思い出の中で彼らは生きているのだ」と語り、そこから回想物語へ場面が切り替わってゆく。
モーガン家の男たちは、末っ子のヒュー(ロディ・マクドウォール)を除いて皆炭坑夫であった。 父ギルム(ドナルド・クリスプ)を始め5人の兄たちが稼いだ賃金はいつも家の戸口で出迎える気丈な母ベス(サラ・オールグッド)のエプロンに置く。
姉アンハード(モーリン・オハラ)が湧かしたお湯で身体を洗い、食事につくのが日課である。そんな平穏な日々の中で長男が結婚、一家は幸せだった。 披露宴の日、アンハードは新しく谷に赴任してきた牧師グリュフィード(ウォルター・ピジョン)と出逢い、互いに密かに惹かれあう。
ある日、会社が賃金を引き下げた事から息子たちは組合を作ろうとして父と対立する。しかし、老いた父の反対にあって彼らは家を出てしまう。
やがてストライキが起こり、ストに反対した父は仲間たちからの非難を浴びる。
吹雪の中の野外集会で夫を非難する連中をやりこめた母は帰りに川へ落ち、助けようとしたヒューは重症の凍傷になってしまう。
再び歩けるようにはならないかも知れないとの医師の言葉に絶望しかけていたヒューを救ったのはグリュフィード牧師の愛情溢れる手助けだった。数ヶ月後、ヒューは健康を取り戻し、再び自分の足で歩けるようになる。
ヒューの面倒をみたことからモーガン一家と親しくなったグリュフィード牧師は、アンハードを深く愛するようになる。しかしグリュフィードは彼女の幸福を思って炭坑主の息子との結婚を勧め、自分は身を引く。
ヒューはグリュフィードの助けもあってモーガン家で初めて学校へ通うようになる。しかし隣町の学校では、教師もクラスメイトたちもヒューを炭坑夫の息子とバカにしてからかい、登校初日からケンカになってしまう。
傷だらけで帰って来たヒューを見て谷の人々は憤慨、ヒューにボクシングを教えて鍛える。谷の人々の後押しもあってヒューはガキ大将からも一目置かれるようになり、やがて首席で卒業する。
ストライキは終わったが、炭坑では働き口が激減。谷の人々の心も時代と共に荒んでいた。兄たちは新天地を求めてひとりまたひとりと谷を去っていく。
そしてある日、長男が事故死。ヒューは進学を諦めて炭坑で働き始めた。 炭坑主の息子へ嫁いだアンハードは結婚に破れ谷に帰ってきたが、グリュフィード牧師との心ない噂をたてられる。
人々の偽善に傷ついたグリュフィード牧師は谷から去る決意をする。 その時、炭坑から落盤事故を報せる警笛が鳴り響く。ヒューは戻らない父を案じて、グリュフィードらと共に坑道へ入って行く・・・(Wikiより)。
・・・
50年前のことはよく覚えていると回想から始まるが、ナレーションも主人公のヒュー。男の回想の物語で、タイトルのあとに、本のページをめくりながらオープニングクレジットが表示される。
本がめくり終えられると、本を閉じる男が映される。カメラは男から離れ、家の外にでると、そこは真っ黒なボタに埋め尽くされた炭鉱町。わずかな煙が立っている。モノクロのカメラが味わいがある。
「母のショールに荷物を包み、私は谷を離れようとしている。二度と戻らない。50年間の思い出が眠る谷。・・・目を閉じると現在は消え去り、懐かしい谷が見える。緑に染まった谷は、ウエールズで一番美しかった。」
厳しい時代に翻弄される一家の物語だが、映画のラストの言葉「わが谷は緑なりき」が印象的だった。
厳格なモーガン一家。父・ギルムは威厳があり、食事中の会話は禁止。
母親・ベスは、最後に食べはじめ、最初に席を立つ。この母親は肝っ玉母さん。
ギルムは、ベスに対して、口癖のように「お前はいい妻だ」というと、ベスは決まって「よしてよ」と応えるところがほほえましい。
緑にあふれた田舎の炭鉱町の家族を描くとともに、長女と牧師のはかないラブストーリーも描いている。牧師(ウォルター・ビジョン)が、教会を去るに際して、出席者たちが陰で噂ばかりしていることに対して、天罰や恐怖におののいている偽善者だと演説するシーンは迫力がある。
後に「猿の惑星」シリーズや「史上最大の作戦」「クレオパトラ」などに出演したロディ・マクドウォールが主役級の子役で出演しているのも興味深い。モーリン・オハラの美貌も忘れがたい。
登場人物:モーガン家の人々ヒュー(末っ子):ロディ・マクドウォールギルム(父):ドナルド・クリスプベス(母):サラ・オールグッドアンハード(姉):モーリン・オハライヴォール(長兄):パトリック・ノウルズブローウィン(兄嫁):アンナ・リーイアント(次兄):ジョン・ローダーデビー(三兄):リチャード・フレイザーオーウェン(四兄):ジェームズ・モンクスギルム Jr.(五兄):エヴァン・S・エヴァンス現在のヒュー(ナレーション):アーヴィング・パイケルロンダ谷の人々グリュフィード牧師:ウォルター・ピジョンサイフォース:バリー・フィッツジェラルドダイ・バンド:リス・ウィリアムズリチャーズ医師:フレデリック・ワーロック隣り谷の人々ジョナス教諭:モートン・ローリースタッフ:製作:ダリル・F・ザナック監督:ジョン・フォード脚本:フィリップ・ダン原作:リチャード・レウェリン音楽:アルフレッド・ニューマン☆☆☆☆
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誰でも一度は通る思春期の青春もので、後のアメリカ映画「おもいでの夏」や「ジェレミー」のフランス版といった印象。 いかにも、な古風な映画チラシ。
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舞台は北フランスの海辺の避暑地。毎年夏になると、一定の期間(3週間程度か)一軒の別荘を共有して過ごす二つの家族。一方の家族には、フィル(フィリップスの愛称)という少年と、もう一方にはヴァンカという少女がいたが、二人は兄妹のような間柄だった。
ところが、ことしは少年フィル(ピエール・ミシェル・ベック)は16歳、少女ヴァンカ(ニコール・ベルジェ)は15歳になり、互いに異性として意識しあう年頃になっていた。海岸のテント小屋で移動映画(トラックには、「オーシャン・シネマ」と書いてある)を観ての帰り、初めてキスを交わした二人。
翌日、海岸の沿道で高級車から降りたレディ(優雅なマダム)がまるで紳士に接するようにフィルに道を尋ねた。一方で、ヴァンカのことはまるで子供扱いだった。少年の目に白衣の婦人は強く焼きつけられた。
ある日、配達のお婆さんに代わって電報を届けた少年に、その婦人=マダム・ダルレー(エドウィージュ・フィエール)はとても優しかった。やがて、ある晩、自宅に忍び込んできたフィルに最初は困惑していた夫人も、つい遊び心を起こし、震える少年を抱き寄せて・・・。
翌日、再び夫人を訪ね、パリに戻ってもあって欲しいとせがむと、夫人は、ヴァンカに求められないので私の所に来るのね、と笑いながらキスをした。
が、その夜の態度は掌(てのひら)を返すようだった。これは女の浮気、とはっきり言い渡され意気消沈するフィル。そんなフィルに対して、ヴァンカは勇気を奮って自ら近づき、庭の隅で抱き合った。
そして、夏は終わり、人々は散り散りになっていく。夕暮れに名残を惜しむフィルにヴァンカは呟く。一年前の私に戻りたいと・・・(Allcinema、一部加筆)。
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思春期の少年少女の微妙な心情を丁寧に描出し、フィエールの妖艶な毒々しいまでの美しさも魅惑的で、まさに後の”ミセス・ロビンソン”(「卒業」)だった。
この映画で初々しい15歳の少女を演じたニコール・ベルジェは、ちょうど50年前の1967年に交通事故で亡くなった。34歳の若さだった。
この映画の冒頭では、海辺を小さなボートを遠くまで漕いでいくフィルが、強い嵐にあって船が沈んでしまう。衣類を脱いで素っ裸で陸までなんとかたどり着く。するとそこには、規律の厳しそうなカトリック系女子小学生たちの一団が。女性教師たちは、みてはいけませんと、ざわつく生徒たちを引きあげげさせる。
女子生徒が置き忘れた帽子で、”アキラ100%”?の格好ですたこら歩いて帰ろうとする。これを見つけたのが、たまたま通りかかったヴァンカの女友達だった。女友達からこれを聞いたヴァンカは、「見たのか?」と問いただす。大笑いするヴァンカの友達は、笑いをこらえきれずにいた。ヴァンカは、フィルになぜ私に助けを求めなかったのかと責め、ひと悶着あるのだ。このあたりはのどかで青春している!?
道に迷ったマダムが、遠くに見えた少年に、「坊や」と声をかけるのだが、近づいてきた少年を見て「(坊やといったのは)失礼、見違えて、ミスター(あなた)」と変わる。ヴァンカも、多感で「私は”あんた”と呼んでいるのに、あのひとは、あなた、と呼んでいた」と気になるのだ。
16歳と15歳というのは、お互いに好意を持っていつつも、フィルは「20歳までは、(恋愛は)まね事にすぎない」と意外と慎重。ヴァンカは、背伸びをしても大人に見られたかったのだが。
何もかも知り尽くしたマダムにしてみると、少年が女性に花束を黙って投げ入れる姿は滑稽であり、女性への接し方を知らない少年にアドバイスもするのだが・・・。
移動映画上映は、ピアノとバイオリンの演奏付き、というのがおもしろい。
映写機が途中で故障して、観客のブーイングがあったりする。1920年代なので、サイレント映画だったからだろう。
1950年代のフランス映画もなかなかいい。
監督作品:
乙女の星(1946年)
肉体の悪魔(1947年)
雪の夜の旅人(1951年)
七つの大罪「高慢」(1952年)
青い麦(1954年)☆☆☆
赤と黒(1954年)
夜のマルグリット(1955年)
パリ横断(1956年)
可愛い悪魔(1958年) ☆☆☆
勝負師(1958年)
青い女馬(1959年)
恋人たちの森(1960年)
巌窟王(1961年)
傷心(1965年)
愛すべき女・女(め・め)たち「快楽を運ぶ救急車」(1967年)☆☆☆
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第22回アカデミー賞で、7部門にノミネートされ、作品賞、主演男優賞、助演女優賞を獲得した傑作でありながら、27年ものあいだ日本には入ってこなかった(※)。これは見ごたえがあった! ”名作”に進路・・・が、ズバリ的中?(笑)。
アカデミー賞主演男優賞を受賞したブロデリック・クロフォード(左)
原作はロバート・ペン・ウォーレンの小説「すべて王の臣」(タイトル:All The King's
Men はハンプティ・ダンプティの詩の一部に由来。「王様の家来みんな」)の映画化。野心家の地方政治家が権力欲の虜となって自滅していく様を描く硬派のドラマ作品。2006年にショーン・ペン主演でリメイクされた。
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若い新聞記者ジャック・バーデンと農民出身で政治的野望を持つウィリー・スタークは取材を通じて知りあいになる。スタークは、しゃべりのうまさが絶妙で、聴衆を惹きつけ、虎視眈々と当選を狙う田舎の政治家志望者。ある講演をきっかけにのしあがってゆくのだが・・・。
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権力を持つと、傲慢になり、何でも思い通りになると勘違いしてしまうのか、自ら墓穴を掘るというのは古今東西、いずこの国も同じか。病院の医療費をゼロにすると民衆の喝采を浴びるが、そんなことができるはずもなく、最後に待ち受けていたのは・・・。
政治的駆け引きとそのための裏工作にのめりこんでいく男と、彼に付き添う上流階級出身のジャーナリストの人生が交錯し、悲劇が生まれていくといったストーリー。
未見のショーン・ペン主演のリメイク作品「オール・ザ・キングスメン」(2006)は、アンソニー・ホプキンス、ジュード・ロウ、ケイト・ウインスレット、マーク・ラファロといった豪華俳優が出演しており、こちらも見てみたい。
(※)日本で「27年間も公開されなかったわけ」とは・・・。
監督・脚本を務めたロバート・ロッセンが赤狩りの一環で下院非米活動委員会へ召喚され、元共産党員であることが取り沙汰されていたため。当時米国ではマッカーシズムが吹き荒れており、日本でも第3次吉田内閣が下院非米活動委員会をモデルにして共産主義勢力を取り締まろうとしていた時代。仮にロバート・ロッセンが召喚されなければ、本作はアカデミー賞の監督賞と脚色賞も受賞していた可能性が高いという。戦後、GHQが輸入映画の検閲を行っていたことも影響していたようだ。
政治家の汚さ、強欲ぶりを描いており「政治の裏側を徹底して暴いて」いる。
「政界浄化を唱え知事選にうって出た小役人が、二度の落選で理想主義を地にまみれさせ、俗物に堕ちて行く様を描く」(allcinema)。
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