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fpdの「映画スクラップ帖」 (名作に進路を取れ!)
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イメージ 2是枝裕和監督(57)の最新作「真実」(日本公開10月11日)がイタリアで28日に開幕する第76回ベネチア国際映画祭のオープニング上映作品に選ばれた。

スポーツ紙などの取材に答えて是枝監督は「僕の作品にしては珍しく、爽やかな読後感の映画。楽しく見てもらって、すっきりと家路についていただければ」とPRした。

日本人監督の作品がベネチア国際映画祭オープニング作品に選ばれるのは初めて。

日仏合作映画で、主演には仏女優カトリーヌ・ドヌーブ(75)を迎えた。
国民的大女優が出版した一冊の自伝を巡り、女優とその娘が積年の思いをぶつけ合う物語だ。

ドヌーブから「この映画はあなたが思うよりも遠くに届くものになっている」とお墨付きを得たという是枝監督。自身の作品の常連であった樹木希林(享年75)と重ねながら「2人とも毒舌のセンスが良くて楽しい。悪口を言っている時が一番面白い」と笑いながら語った。

昨年はカンヌ映画祭で「万引き家族」が最高賞(パルムドール」を受賞。
「真実」が、9月7日に発表されるベネチア最高賞「金獅子賞」に期待がかかる。
仮に受賞すれば、日本人監督としては、黒沢明監督が1951年に「羅生門」で金獅子賞、1980年に「影武者」で「パルムドール」を受賞して以来2人目の快挙となる。

これえだ監督は「いただけるならもらいます」と自信をのぞかせる。

「真実」は、女優をしている母(カトリーヌ・ドヌーブ)と女優をあきらめ脚本家となった娘(ジュリエット・ビノシュ)の確執と和解を描く。

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カトリーヌ・ドヌーブは、20歳の時にミュージカル映画「シェルブールの雨傘」のヒットで世界的スターの座をつかんだ。 1992年の「インドシナ」米国アカデミー賞主演女優賞にノミネート。1998年の「ヴァンドーム広場」ヴェネツィア国際映画祭 女優賞を受賞。

ドヌーブの主な作品では「ロシュフォールの恋人たち」(1967)「昼顔」(1967)「幸せはパリで」(1969)「哀しみのトリスターナ」(1970)「ひきしお」(1972)「モン・パリ」(1973)「終電車」(1980)「インドシナ」(1992)「ダンサー・イン・ザ・ダーク」(2000)などがある。

フランスを代表する国際的な大女優の地位は不動だ。
黒柳徹子の「徹子の部屋」にも出演した。番組を見たが、徹子が「お綺麗で」と何度も何度も言うので、少々しつこいのではと「ほかの質問をして」といった表情が読み取れた(笑)。

フランスの大女優を出演させてしまう是枝監督のスゴさも世界的で、全く現代の”世界の是枝”とも言えそうだ。



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イメージ 2イメージ 5米映画「イージー・ライダー」などで知られる俳優ピーター・フォンダ16日、ロサンゼルスの自宅で死去した。79歳。米メディアが報じた。
 
父は名優ヘンリー・フォンダ、姉はジェーン・フォンダという芸能一家に生まれる。10歳の時に夫の浮気を苦に母が自殺。その後、母方の祖母に姉と共に育てられる。
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大学卒業後ブロードウェイを経て1963年の「タミーとドクター」で映画デビュー。ナィーブな青年役で出演作を重ねていくがドラッグとバイクを愛するようになり「ワイルド・エンジェル」(1966)で今までのイメージを払拭し注目を集めた。
 
オムニバス映画「世にも怪奇な物語(1967)の第1話で、姉のジェーン・フォンダと共演。
 
やがて、自らの製作会社パンドを設立。
“アメリカン・ニュー・シネマ”の代名詞ともなった「イーイメージ 4ジー・ライダー1969を製作し「さすらいのカウボーイ1971)からは監督業も手掛けるようになった。
 
その後はダーティ・メリー/クレイジー・ラリー(1974)ダイヤモンドの犬たち」(1975)などB級作品で活躍を続け「グランドキャニオンの黄金1979、未公開)では父ヘンリー・フォンダと唯一の共演。
 
以降、低予算映画への出演が増えていくが「木洩れ日の中で」でアカデミー主演賞候補になって注目を浴びた。しかし本人はハリウッドの生活を嫌い、ハリー・ディーン・スタントンや親友だったウォーレン・オーツの誘いでモンタナの山里に定住し、自由を満喫してい。最初の妻との間に生まれたブリジット・フォンダは女優となって活躍、息子も撮影助手となって同じ世界にいる。

・・・
イージーライダー」が公開されたのは1970年1月で、有楽町のスバル座で見た。ベトナム戦争が泥沼から脱する時期で、アメリカでは若者のヒッピー族が台頭していた時期。そんな長髪の反体制の若者を煙たがる大人たちが改造バイクの若者を銃で撃つラストシーンは衝撃だった。

この映画はデニス・ホッパーとピーター・フォンダが主役だったが、”第三の男”ジャック・ニコルソンを一躍有名にする映画となった。ステッペンウルフの主題歌「ワイルドでいこう」(Born to be wild)は有名。


ご冥福を祈ります。


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                    「ラ・ラ・ランド」のミア(エマ・ストーン、左)

映画「ラ・ラ・ランド」(2016)のエマを描こうとしたら、ちょっと怖そうな「キャリー」になってしまった。

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怖いですね。

・・・

今月の回転寿司は、なにを食べようかな・・・。

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高校野球で、地元の「花咲徳栄(とくはる)」が優勝したら、大トロだが。
ベスト4以下だったら、中トロだ。

■追加:花咲徳栄、初戦(2回戦)突破ならず。残念。



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イメージ 1ブレードランナーのロイ・バッティ役で知られるルトガー・ハウアーが死去した。享年75今月19日(現地時間)、オランダの自宅で亡くなったエージェントのスティーヴ・ケニスが「Variety」誌に明らかにした。

1944年、オランダのブルーケレンで誕生したルトガー。両親ともに演技指導者だったが、ルトガー本人は15歳で家出してしばらく海軍に在籍一年後、家に戻った彼は、3年間、電気技師や大工として働きながら夜間学校の演劇クラスに通った。
実験的演劇集団に参加して5年後、1969年にテレビドラマシリーズFlorisの主役に選ばれた。これは中世アクションドラマで、彼は向こう見ずな冒険家を演じた。
 
ポール・バーホーベン監督の危険な愛(1973)の主役をきっかけに俳優としての評価が上がった。シルヴェスター・スタローン主演のナイトホークス(1981)で、アメリカで本格的デビュー。冷血なテロリスト役で強い印象を残し、翌年、リドリー・スコットSF映画ブレードランナー(1982)でハリソン・フォードと対決するレプリカント(アンドロイド:人造人間)のリーダーという大役を得た。 

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            「ブレードランナー」のレプリカント、ロイ・バッティ

近年ではシン・シティ」「バットマン ビギンズトゥルーブラッド」などで活躍。
サムソン 神に選ばれし戦士」(2018)が遺作となった。

ご冥福を祈ります。

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イメージ 4俳優の高島忠夫が老衰のため26日13時に自宅で死去した。88歳。所属事務所が28日にファクスで発表した。

高島忠夫は、1951年に映画会社新東宝のニューフェイス「新東宝スターレット」の第1期生として芸能界入り。翌1952年、映画「恋の応援団長」でデビュー。同年に「チョイト姐さん思い出柳」で初主演し、以後、新東宝で主演級の歌うスターとして活躍した。

妻で女優の寿美花代とは寿美が司会のテレビ番組「季節のミュージカル」にゲスト出演したことから知り合い、2年間の交際を経て1963年に結婚。
 
1964年に生後5カ月の長男・道夫を当時17歳の家政婦によって殺害されるという事件に見舞われたが、悲劇を乗り越え、現在は俳優として活躍する次男・政宏、三男・政伸をもうけた。政宏、政伸は共に俳優として、とくにバイプレイヤーとして活躍している。

糖尿病、アルコール依存症のほか、1971年から1997年まで26年間続けて愛着のあった仕事である「ごちそうさま」の司会交代や母親の入院などがきっかけで、1998年に重度のうつ病を発症。また、パーキンソン病や、2010年には不整脈のため心臓にペースメーカーを取り付ける手術を行うなど、病とも闘い続けた。

ゴジラ映画のほか、舞台ではミュージカル俳優として一時代を築いた。
映画は「女ざかり」(1994)が遺作となった。

テレビの司会では「クイズ・ドレミファドン!」(フジテレビ、司会) などが有名。

印象に残るのは、テレビの「ゴールデン洋画劇場」の映画解説。
初代の前田武彦の後を引き継いで2代目だった。

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テレビの映画解説者としては、淀川長治(「日曜洋画劇場」)、荻昌弘(「月曜ロードショー」)、水野晴郎(「水曜ロードショー/金曜ロードショー」)などと並んで人気だった。ご冥福を祈ります。

■主な出演映画: 遺作は「女ざかり」(1994)。
恋の応援団長(1952) 
浅草四人姉妹(1952) 
愛の砂丘(1953)
愛の砂丘(1953) 
戦艦大和(1953) 
青春ジャズ娘(1953) 
純情社員(1953) 
重盛君上京す(1954) 
鶴亀先生(1954) 
爆笑青春列車(1955) 
皇太子の花嫁(1955) 
のんき裁判(1955) 
初恋三人息子(1955) 
お嬢さん女中(1955) 
北海の叛乱(1956) 
君ひとすじに(1956) 
大学の武勇伝(1956) 
栄光と驀走王(1956) 
思い出月夜(1956) 
新妻鏡(1956) 
明治天皇と日露大戦争(1957) 
坊ちゃん天国(1958) 
大江戸千両祭(1958) 
爆笑王座征服(1958) 
女王蜂の怒り(1958) 
貞操の嵐(1959) 
影法師捕物帖(1959) 
暴力娘(1959) 
嵐を呼ぶ楽団(1960) 
珍品堂主人(1960) 
別離の歌(1960) 
太陽を抱け(1960) 
若旦那奮戦す(1960) 
がめつい奴(1960) 
弥次喜多珍道中 中仙道の巻(1960) 
七人の敵あり(1961) 
女家族(1961) 
花影(1961) 
ガンパー課長(1961) 
重役候補生No.1(1962) -
キングコング対ゴジラ(1962) 
新・狐と狸(1962) 
ハイハイ3人娘(1963) 
イチかバチか(1963) 
海底軍艦(1963) 
君も出世ができる(1964) ・・・以下、文字制限で、切れました。

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