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fpdの「映画スクラップ帖」 (名作に進路を取れ!)
★「9月1日から「はてな」ブログに移りました。https://fpd.hatenablog.com/

書庫▶邦画'40-00年代

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日本列島」(1965)を見た。
当時新進気鋭の熊井啓監督のデビュー作「帝銀事件 死刑囚」に続く作品。
戦後日本の暗部をドキュメンタリータッチで鋭くえぐり出している
原作は、吉原公一郎の小説日本列島」。音楽は「ゴジラ」の伊福部昭

戦後の日本で起こった謎の多い諸事件を米国の謀略と関連付けて追及し、日本映画監督協会新人賞を受賞。骨太の社会派監督として、この作品以降注目されるようになった。

出演は、宇野重吉、芦川いづみ、二谷英明、鈴木瑞穂、佐野浅夫、加藤嘉、大滝秀治ほか。アメリカ人の死亡事故から、次々に謎の死亡事故が続く藪の中の話。


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(ストーリー)昭和34(1959年)、埼玉にある米軍基地、キャンプスコット、CID(犯罪調査課)のポラック中尉は、通訳主任秋山宇野重吉に、リミット曹長事件の解明を命令した。

リミット事件とは、1年前、米軍人のリミットが水死体となって発見されるや、米軍は死体を本国に送還、日本の警察を無視して事故死と発表した事件のことだ。秋山はかつて結婚して1年経った頃、妻が米兵に暴行を受け、事故死として死体が引渡された事件を思い、怒りを新たにした。

この事件を執拗に追う昭和新報記者の原島二谷英明と共に、秋山は、警視庁捜査三課黒崎鈴木瑞穂から、リミットが死の直前日本に出た贋ドルを追っていたこと、そして、精巧なドイツ製印刷機「ザンメル」とその技術の責任者で印刷工の伊集院元少佐が消えた事実を知らされた。


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伊集院の一人娘和子芦川いづみを訪れた秋山は、伊集院が数年前正体不明の男に連れ去られ、涸沢(からさわ、大滝秀治と名乗る男が他言せぬよう家族を脅迫すると立ち去ったことを聞いた。

涸沢(からさわ)は米軍占領時代謀略(スパイ)機関で活躍した謎の男であった。昭和29年、贋ドルにまつわる事件に、当時検事として立ち会った弁護士日高は、滝沢の部下佐々木の口から、サン・ピエール教会を根城として、不良外国人がたむろすることを調べていた。

佐々木を訪れた秋山、原島は、佐々木が滝沢にリミットが贋ドルを追及していると知らせた事実を知り驚愕とした。やはりリミットは涸沢に消されたのか

数日後、佐々木は水死体となってあがった。
突然秋山にポラック中尉から調査中止命令が出た。
秋山はキャンプをやめて調査を続行した。

昭和35年外国航空スチュワーデス椎名加代子が水死体となってあがった。
容疑者として出頭したサンピエール教会サミエル神父は、取り調べの終らぬまま突然帰国した。

多くの疑問を残したまま3年が過ぎた。
昭和38年、スペンサー大尉から沖縄に伊集院らしい男が陳陽成と名乗っていると聞き、秋山は和子に了解を得ると沖縄に飛んだ。

だが秋山も、陳陽成と名乗る男も何者かに殺害され、当局は真相は永久にわからぬだろうと発表した。

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昭和39年、この事件を追及するため沖縄に飛ぶ原島を和子は、励まし見送った。国会議事堂を背景に、力強く歩く和子の姿があった(MovieWalker)

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終戦後、日本で起こった未解決事年の松川事件や下山事件に続いて、次々に起きた事件の背景にスパイ組織の極東ブランチや機関の存在があり、日本の政治にも少なからず影響を及ぼしていたことを描いている。

熊井啓監督というと、リアルタイムで見た映画では「忍ぶ川」(1972)が印象に残る。この映画は、1972年キネマ旬報ベストテン第1位・監督賞・脚本賞、毎日映画コンクール大賞、芸術選奨文部大臣賞などを受賞した。
(「忍ぶ川」熊井啓監督逝く:https://blogs.yahoo.co.jp/fpdxw092/47155616.html )

生涯でもっとも大きな存在感を示したのは「黒部の太陽」(1968)かもしれない。
三船プロダクション石原プロモーションが共同制作した大作黒部の太陽」では監督に抜擢された。当時の映画界に厳然として存在していた五社協定の圧力にも負けず、三船敏郎石原裕次郎佐野周二滝沢修高峰三枝子ら豪華なスター共演によって黒四ダムの建設を見事に描き、成功を収めたのだった
(「黒部の太陽」:https://blogs.yahoo.co.jp/fpdxw092/61837064.html )

また「からゆきさん」に題材をとった田中絹代が出演の「サンダカン八番娼館 望郷」(1974)も忘れがたい。

主演の宇野重吉は、戦前から戦後にかけて、演劇界をリードしてきた名優の
1人であり、滝沢修らと劇団民藝を創設。「日本列島」でも、その飄々とした風貌で、独特の雰囲気を見せていた。

松竹から移ってきていた北原三枝とともに日活の中心的な存在となった芦川いづみがいい絶望を大声を挙げて絶叫するシーンは見どころ。脇役陣では、鈴木瑞穂、加藤嘉、佐々木すみ江北林谷栄、大滝秀治などが脇を固めている。

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旗本退屈男」(第1回、サイレント、1930)を弁士付き(活動弁士:澤登翠:さわと・みどり)で見た。新宿・紀伊国屋ホールにて(29日18:00)。

直参旗本・早乙女主水之介さおとめ もんどのすけを主人公とする痛快時代小説。昭和4年(1929年4月の「文芸倶楽部」に初登場し、以後11作が発表された。サイレント時代から昭和中期まで30本映画化され、テレビドラマとしても何度もリメイクされている。

決め台詞は「この眉間に冴ゆる三日月形は天下御免の向こう傷、直参旗本早乙女主水之介、人呼んで旗本退屈男」。

第一回作品の「旗本退屈男」は、映画初登場の無声映画で、無声映画時代のフイルムで現存するのはこの1本だけだという。フイルムはマツダ映画社が所蔵していて、第713回無声映画鑑賞会の「第29回澤登翠リサイタル」の中の3本上映のうちの1本。

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12月中旬の「江東シネマフェスティバル」で、初めてサイレント映画の弁士付き上映(弁士:澤登翠)を見て、その際に澤登翠さんが「ぜひ見に来てください」とPRしていたので、再度、足を運んだ。

映画の上映前に楽団(カラード・モノトーン)による演奏があった。

これが感動!なんとあの”ニューシネマ・パラダイス”の音楽でスタートしたのだ。
ピアノ、ヴァイオリン、フルート、パーカッション、楽長などの演奏だが、見に来て良かったと思った瞬間だった(笑)。2曲目は原節子、佐野周二主演の「お嬢さん乾杯!」(1949)だった。3曲目は美空ひばりの「港町三番地」(1957年リリース)だった。

「港町十三番地」の曲に合わせて、活動弁士の澤登翠さんが歌いながら登場したのには驚いた。まるでミュージカル(笑)。

澤登さんは「歌うつもりはなかったが、楽団の楽長から、歌ってみては、と言われて得意ではないが歌うことにした」という。弁士は、声優のようなしごとの一方で、ミュージカルスターのように歌うのにも驚き。

澤登さんが「旗本退屈男」について概略を説明する。
「この映画は1930年(昭和5)の作品で、今日いらっしゃている方々が誰も生まれていません」と言うと場内から、笑いが起こった。1930年生まれというと、87歳になるわけで、さすがに会場にはいないようだった(笑)。俳優・女優で言えば、高島忠夫、岸田今日子、中谷一郎、監督では深作欣二などがこの年の生まれだ。

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幕間に、売り子が「御煎おせん)にキャラメル」と座席まで売りに来たのもびっくり。250円で、袋には「キャラメル」1個ととせんべいが入っていた。40数年前までは、映画館や、駅などで聞いたことはあるが・・・。

サイレント映画の時代の雰囲気を味わってもらおうというのか、「最後の5個です。
1個です」と女性がアピールした成果もあって完売だった(笑)。

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「旗本退屈男」(1930)は市川右太衛門の代表的なシリーズとなったが、その原点とも言うべき第1回作品を見ることができたのは幸運だった。

右太衛門1907年2月25日-1999年9月16日)は、本名は淺井善之助愛称は「右太(うた)さん」。次男は俳優の北大路欣也

戦前・戦後期の時代劇スターとして活躍同時代の時代劇スターである阪東妻三郎大河内伝次郎嵐寛寿郎片岡千恵蔵長谷川一夫とともに時代劇六大スタアと呼ばれた。歌舞伎役者から映画俳優となり、美剣士役で人気を得た。当たり役の「旗本退屈男の早乙女主水之介(さおとめ・もんどのすけ)で、30本のシリーズ作品を生み出している。1966年に引退。映画主演総数は300本を超える。

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「旗本退屈男」(1930)は、額に三日月の傷があり、決め台詞は「この眉間に冴ゆる三日月形は天下御免の向こう傷、直参旗本早乙女主水之介、人呼んで旗本退屈男」。後の水戸黄門の(あおい)の紋章や「月光仮面」の三日月のようなものの原点かも知れない。

物語は盗人を捕らえてみたら、前に悪事を働いていた男と分かり、主水之介が「この三日月に身をぼえがあるだろう」というもの。原作は佐々木味津三、監督は古海卓二。出演は市川右太衛門、大江美智子など。上映時間は15分。

イメージ 2昭和の初期の映画館の館内はこうだっただろうとおもわせるような雰囲気を味わった。

紀伊國屋ホールの客席数は418席で、ほぼ満席だった。東京都新宿区の紀伊國屋書店本店4階にある劇場。
1964年に開館した。


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イメージ 1今朝の「サワコの朝」のゲストは小柳ルミ子だった。
歌手と女優としての話が興味深かった。この話を聞いて、これまで見逃していた小柳ルミ子主演の「白蛇」(はくじゃしょう、1983)を見た。東映の文芸エロティシズム路線の1本。

この映画で小柳ルミ子は、日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を獲得した。5人の優秀主演女優賞はアカデミー賞で言えばノミネートだが最優秀はアカデミー女優ということになる。評判にたがわず熱演だった。
 
女優になるきっかけは、歌手として1970年代から活躍していた小柳ルミ子がデビューから5年経った頃、違う表現をしたいと思い「星の砂」という曲に出会ったことだという。この曲は、作詞は関口宏、作曲は出門。出門が小柳のために書いた曲と聞いて、周囲の反対を押し切ってこの歌を歌ったという
 
この歌を情感を持って歌う小柳ルミ子を見て、伊藤俊也監督が女優の素質を見抜き「誘拐報道」(1982)に抜擢されることになった。

といっても、当時製作出資サイドは主演には大物女優の吉永小百合や大原麗子を望んでいたのだが、伊藤監督が小柳に固執し、東映の岡田社長に直談判して実現したという。結果、小柳は最優秀助演女優賞を受賞。翌年の「白蛇抄」へと続くことになった。
 
小柳ルミ子の言葉を借りれば「演技に関しては、それまでドラマには出ていたが、誘拐報道と白蛇抄によって、映画女優として開花した」と言い切った。
 
白蛇抄」は、若狭の山寺を舞台に、そこに後妻として住みついた女と住職、その息子との愛を描く。水上勉の同名小説の映画化脚本は「南極物語」の野上龍雄、監督は「誘拐報道」の伊藤俊也、撮影は「陽暉楼」の森田富士郎がそれぞれ担当。
 
石立うた小柳ルミ子は、二年前、京都で火事にあい、夫を失って絶望のあまり若狭の心中滝に身を投じた時、華蔵寺の住職懐海若山富三郎に助けられ、そのまま後妻として寺に住みついていた。

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懐海にはひとり息子昌夫杉本哲太がおり、彼は出家ずみの身で来年高校を卒業すると本山に行くことになっている。
 
ある日、華蔵寺にうたの遠い親戚に当るという十五歳の少女鵜藤まつの仙道敦子:せんどうのぶこ)が引きとられてきた。この寺での初めての夜、まつのは異様な女の呻き声を耳にした。その声は隠寮から聞こえてきた。夜ごとうたの体に執着する懐海。それを覗き見する昌夫。彼はうたに惹かれていた。
 
もうひとり村井警部補夏八木勲:当時は夏木勲もうたが身を投げ救助された時に立ち会って以来、彼女に魅せられていた。投身の時、うたが抱いていた石骨の中味に疑問を抱いた村井は、石骨を取り戻そうとするうたに力づくで情交を迫った。その石骨はうたの死んだ赤ん坊であった。
 
イメージ 2かけつけた昌夫は村井の後頭部に石を投げつけうたと共に逃げた。雨が降り出し、山小屋へ駆け込んだ二人はいつのまにか抱き合っていた。その日から昌夫は大胆になり、うたも日ごと昌夫の体に溺れていった。
 
そうしたある日、懐海はうたと昌夫が密会している場所に動ける筈のない体を引きずっていって殺された。昌夫は本山に修業に出た。懐海の死に不信を抱いた村井は、まつのに死んだときの様子を問いただし、うたと昌夫が愛し合っていることを知った。
 
うたは昌夫に会うべく京都に向ったが、昌夫もうたに会いたいために寺を飛び出していた。若狭に戻り、心中滝に立つうたの背後に村井が近づいて懐海を殺したのではないかと詰め寄った。
 
口論のうち村井は足を滑らせて滝壷へ落ちた。
華蔵寺に着いた昌夫にまつのは愛を告白するが、彼は振り切って外に飛び出した。そこにうたの姿が。本堂に走ったうたを昌夫は追うが、うたは「来たらあかん」と斧を持ちながら叫ぶ。斧を奪った昌夫が激昂してふりかざした下にうたは微笑みながら身体を入れてきた。血飛沫が舞った。昌夫も自殺し、心中を眼にしたまつのは本堂に火をつけた(MovieWalker)。
 
小柳ルミ子が「サワコの朝」で語っていたが、「歌手は、衣装やヘアメイクなどで綺麗に撮るという面があるが、映画ではまったく違って、全てをさらけ出すという気持ちだった」という。映画では、ヌードも惜しまず、濡れ場を演じていて、まさに体当たり演技だった。バレー、ダンサーとしても鍛えていて、プロポーションに自身もあるようで、”見事な”豊満バストを見せていた(笑)。
 
この映画は杉本哲太の映画デビュー作でもあった。当時17、8歳。
高校生の血気盛んな少年だが、セリフなどはややぎこちないものの、今の50歳前半のヤクザっぽいイメージもかいま見られた。映画出演にあたり、それまでのリーゼント頭をすべて剃って住職の息子という役であり、丸刈りにした。日本アカデミー賞の新人賞を受賞した。


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イメージ 2赤い天使」(1966)を見た。監督は増村保造、主演は若尾文子野戦病院を舞台に、若尾文子演じる従軍看護婦が傷ついた兵士や軍医に深い愛を注ぐ。凄まじいほどのリアリズムを基調とし、過激描写も厭わない徹底した増村保造の演出が、戦争の暗部を抉(えぐ)り出す屈指の問題作と言われている。
 
映画のキャッチコピー「天使か娼婦か」。今では、差別的放送禁止用語の「きち〇い」「かた〇」などの言葉が飛び交い、テレビでの放送は難しい映画かも知れない。

赤い天使」は戦争という最大の暴力の下で人間の生性と死を描く衝撃作で、モノクロ映像の中で描かれる人間という動物の有り様(よう)とは・・・を問う。反戦映画としても有名で、フランスでも支持された映画という。

増村保造と若尾文子は、監督第2作目の青空娘以降、清作の妻」「妻は告白する」「赤い天使」「「女の小箱」より 夫が見た」「刺青」「」「妻二人」「千羽鶴など20作にわたってコンビを組み、多くの名作映画を残した。
 
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昭和14年、西さくら若尾文子)は従軍看護婦として中国天津(てんしん)陸軍病院に赴任した。その数日後、消灯後の巡回中、西数人の患者に犯されてしまった。その後、深県分院に転属となった西は、岡部軍医芦田伸介)の下で多忙な日々を送っていた。

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一つの作戦ごとに、傷病兵は何台ものトラックで運ばれてきた。
大手術が毎日のように行なわれ、手術台の傍の箱には切断された手足があふれていた。そんな精神をすりへらす仕事に、岡部軍医はいつしかモルヒネを常用するようになっていた。西は岡部がモルヒネを常用していることを知る。
 
勤務交代で天津に戻った彼女は岡部のお蔭で命が助かったものの両腕を切断された折原一等兵(川津祐介)と出会う。そして、哀願する折原のために、さくらはホテルの一室で全裸になった。男の機能を復活させることが、自分の使命だと思ったからだった。しかし、あくる日、折原は病院の屋上から投身自殺を遂げた。
 
再び深県分院に戻った西は、再会した岡部がモルヒネのために不能になっていることを知西は、それを治そうと一緒に寝た。さくらは岡部をいつしか愛してもいたのだった。やがて岡部は応急看護班を編成して前線にいくことになり、西も行動を共にした・・・

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野戦病院の現場がいかに過酷で地獄のようであったかが、主人公の西の回想のような語り口で描かれていく。病院では、ベテラン婦長によると、負傷した兵隊の中には、病気のふりをしている兵士もいるから気をつけるようにと若い従軍看護婦たちに釘を刺す。体温計をわざとこすって38.5度にするなど細工をするというのだ。
 
次々に運び込まれる負傷兵に対して、軍医の岡部(芦田伸介)は、「弾丸摘出!」「切断!」と衛生兵や看護婦などに指示する。

のこぎりで足をギリギリと切っていくさまは凄まじい。麻酔も少ないので「局部でいい」といい「押さえていろ!暴れるぞ。しっかり押さえろ」と切断するのだ。「今度は腕を切る。飛ばされるな!」。
 
次々に負傷兵が運ばれるが、大半が直ぐに命を落とし、死体置き場び運ばれる。
そこで「認識票を取るのを忘れるな」と檄が飛ぶ。認識票により、亡くなった兵士たちは、名誉の戦死ということになる。
 
看護婦、衛生兵は三日三晩、不眠不休で手当てを行う。三日目に、坂本という兵士が出血多量で担ぎ込まれてくる。実は、この坂本、西をレイプした兵隊たちのリーダー的な存在だった。

西を見て「俺は、坂本だ。助けてくれ。いつかはすまなかった。助けてくれ」と命乞いをするのだ。普通だったら強姦した相手を許せないはずだが、「軍医殿、輸血をお願いします。知り合いです」と助けるのだ。

軍医(芦田伸介)は「輸血は幹部だけだが、俺の部屋に来るというのなら輸血してもいい」というのだった。輸血しても、坂本は死ぬ。貴重な輸血の無駄遣いだという声が上がる。
 
軍医は西に言う。「兵隊は人間じゃない。モノだ。認識票だと思え。」「おれは”切りっぷり”がいい軍医と言われている。かた〇を何百人作ってきたことか。かた〇になった人間が幸せか?兵隊を見殺しにするか、かた〇にするかだ。」
 
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両手を切り取られた折原(川津祐介によると、同じように腕をなくした兵隊が日本に帰ったが、日本では、手足のない兵隊専用の秘密の病院に入り、家族にも会わせてもらえないのを知っている」という。戦争が”負け戦さ”だと世間の思われるのを避けるためだという。

軍医は「軍隊というところは、人を殺せば殺すほど位が上がる。おかしなところだ」と語る。ある若い看護婦が、兵隊に犯されそうになったとき、西(若尾文子)が毅然として「看護婦は娼婦じゃありませんよ」といい、男を払いのける。男は「戦場の男は、戦争をするか、メシを食うか、女を抱くことしかすることがないんだ」とうそぶく。
 
この映画でも、若尾文子の気丈さが目立つ。上官である軍医の男の軍服を来て、軍医を部下に見立てて、靴を履かせたり、にわか上官になって振舞う仕草なども絵になっている。反戦悲劇を骨太に描いている。
 
監督:増村保造 
原作:有馬頼義 
脚本:笠原良三 
撮影:小林節雄 
音楽:池野成
出演:若尾文子芦田伸介川津祐介

 予告編

若尾文子は1960年代以降、日本映画を代表する正統派美人女優の一人であり、京マチ子、山本富士子と並ぶ大映の看板女優と謳われ、260本以上の映画に主演した。和服姿の艶やかな美貌から、未だに海外での人気が高い。1933年11月8日生まれで、あすで84歳になる。

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バルトの楽園」(2006、東映)を見た。
ベートーベンの第九を日本で初めて演奏したドイツ人捕虜の実話を壮大なスケールで映画化。真の正義感にあふれた人情派の収容所所長を「暴れん坊将軍」の松平健が熱演。共演は、高島礼子、阿部寛、國村隼大杉漣、平田満、市原悦子など。
 
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1914年に勃発した第一次世界大戦。
日本軍はドイツの極東における拠点地である中国・青島(チンタオ)を攻略した。
この戦いで敗れたドイツ兵4700人は捕虜として日本国内の12ヶ所の俘虜(ふりょ)収容所に送られた。(俘虜は捕虜の古い言い方)。
 
徳島県鳴門市にある板東俘虜収容所では、松江豊寿所長(松平健)の指導の下に、地元民と捕虜の融和を図ろうとする方針が取られていた。

ここでは捕虜たちによるオーケストラが活動し、パンを焼いたり、収容所内向けの新聞を印刷・発行することも許されていた。

ソーセージを肴にビールを飲む自由さえあった。脱走を計った捕虜・カルルがパン焼き職人だと知った松江所長はパン焼きを任せることにする。

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捕虜たちは松江所長の温かい人柄に惹かれていくが、軍部からは、手ぬるいと批判を受けてしまう。しかし松江は妻・歌子(高島礼子)の励ましもあってへこたれなかった。
 
イメージ 3そんなある日、日本とドイツの混血少女・志を(しお、大後寿々花が、ドイツ人の父を探してやってくる。調べによって志をの父が戦死していたことが判る。ある兵士から父の形見のロケットを渡され、泣き崩れる志を。
 
そんな頃、捕虜たちが作った製品や菓子、演奏などを披露する世界でも類を見ない俘虜製作品博覧会が開催された。そこで出会ったカルルと志をの間に親子のような交流が生まれる。
 
1918年11月11日、第一次世界大戦はドイツの敗北により終結。
所内では青島の戦いを指揮したクルト・ハインリッヒ総督(ブルーノ・ガンツ)が自殺未遂をおこ。一命を取り留めたハインリッヒに、松江は自らの会津人としての誇りを語り、勇気づけるのだった。
 
終戦によって解放されたドイツ人たちは松江所長や地元民への感謝を込めて日本で初めてベートーヴェンの第九を演奏した。その高らかな演奏が響き渡り、日本人とドイツ人の間に敵味方を越えた一体感が生まれるのだった

ハインリッヒは感謝の印に松江に愛用のステッキを贈呈し、カルルは日本に残って志をを養女として引き取り、共に生きていく決心をした。様々な人々の想いを乗せて、第九は熱狂的な大団円を迎えるのだったMovieWalker)
 
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映画は、収容所もので、戦闘シーンはあるものの、舞台はほとんどが収容所の中だけ。「第十七捕虜収容所」にも似た設定だが、収容所・所長が、それぞれが敵・味方ではなく、祖国のために戦った人間として、平等に扱う姿に捕虜たちも所長を信頼して行く姿を描く。
 
第一次世界大戦が勃発した1914年(大正3年)から1919年(大正8年)のベルサイユ宮殿における戦争終結までの数年間を史実を元に描いている。
 
模範収容所として2年半ほど実在した坂東収容所というのがあったことも、この映画で初めて知った。
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阿波の国「徳島」が本場であるである阿波おどり(♪えらいやっちゃえらいやっちゃ、よいよいよいよい〜♪)を陽気に踊るシーンがあるが、これには収容所・所長も捕虜だった一部の兵士も参加していた。
 
映画のほぼ半分近くはドイツ語が使われているが、所長をはじめ、軍人の一部がドイツ語を話していたが、映画だからか(笑)。副所長役の国村隼は、通訳も兼ねて流暢なドイツ語を話していたが、もしかしたら、吹き替えかも。

ベートーベンの「第九」(第4楽章の旋律は有名な「歓喜の歌(喜びの歌)」)が日本で初めて演奏されてという史実が興味深い。映画の最後に、ベルリンフィルを率いた故カラヤンの演奏風景と、元ソニー社長&会長でバリトン歌手の故・大賀典夫の指揮する姿も見える。

出演者では、松平健が、貫録と存在感を見せていたが、阿部ちゃん(阿部寛)は主役級の役者だが、堅物軍人を演じて、似合わずもったいない。

子役の大後寿々花おおご すずかがなかなかよかった。当時12歳で、前年の「SAYURI」(2005)に出演し、章子怡(チャン・ツィイー)の子供時代を演じていた。
 
タイトルの「バルト」とはドイツ語で「ひげ」の意味。主人公の松江豊寿ドイツ人捕虜が生やしていたひげをイメージしている。そういえば、当時の日本では、伊藤博文、板垣退助も見事なひげを生やしていた。

主人公の松江は、会津の出身ということで、ドイツ人将校に、会津人の歴史について説明するシーンがある。将校が自殺を図ろうとしたからだ。老人、子供、女性が戦争に駆り出され、日本の悲しい歴史があり、会津は日本政府の敵とみなされたこと、生き残ったものも、日本のシベリアといわれた北の極寒の地に追いやられたことなどについて説明したのだ。

今は、テレビなどでは、ハーフ・タレントが多くなっているが、当時は、差別用語ともいうべき「混血」「あいのこ」といった言葉が(映画の中でも)使われていた。

映画としての一般的な評価は低かったようだが、第一次大戦中のさなかにあった史実を、一部脚色しているものの、うまく再現しているので、歴史の一端を知るには面白い。

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