クロールのライフワークs

https://ameblo.jp/fpkks223/ ネット小説「works」にて短編連載ちう。

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一体どこのテレビ局でCS戦は放送してたんだい!?
てなわけで、インターネットで野球中継見てました。
始めての観戦手段でしたが、そこそこ面白かったのでヨシとします。
最終戦いい試合でした。
来年はリーグでトップに立っていただきたいものです!

昨日は午前、家でピアノ弾いていました。
「音楽の天使」が空から舞い降り(一人はーちゃんがいた)20年に一度の名曲が産まれる瞬間でした。
すると突然の轟音!
ビックリして空みたら自衛隊機がお構いなしに空を闊歩していました。
「航空祭だから仕方ない」
ってわけですかね?
一度浜松市役所の前で腕利きのパンクバンド連れてきてライブしてみたいと考えました。

結局20年に一度の名曲はできませんでしたが(笑)、それなりのそこそこの歌が出来ました。
そして、そのそこそこの歌を披露できるライブも決定しました。
12月11日、半田山ビーフラットです。
今回ご一緒するのはこの方!

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BIN&Kanacoのお二人です。

私自身ソロの出演なので今までユニットやバンドさんは敬遠していたのですが、どうしてもビーフラットにてのお二人を観てみたく、今回オファーさせていただきました。

昨日は飛行機の音ですっかりご機嫌悪くした私は、電車でプレ葉へ。
浜名湖フォークジャンボリーPRライブにてのお二人です。
先週のやらフェスでも感じた素晴らしさは、Kanacoさんのボーカリストとしての姿勢です。

以前は緊張なのかなんなのか、持ってるものを発揮できない、いわば「ムラがある」歌い手さんの印象がありました。
ホント失礼なこと言うクロールです、BINさんに怒られるのは覚悟の上です(笑)。

ここんところのBIN&Kanacoはお互いの信頼がライブに表れています。
BINさんが以前からギターが上手く私なんぞは文句のつけようのないお方ですが(笑)、ユニットとなると話は別です。
歌唱力、表現力、もちろん大事ですが、人前で歌う限り必ず持たなければならないものがあります。
ライブ前にどれだけめそめそしても、ステージで歌う「覚悟」です。

「この二人でしか届けることのできない歌」

私の中で「BIN&Kanaco」さんはそんなユニットになりました。
これでオリジナルなんか作って歌った日には・・・って考えると怖いので考えないようにしています(笑)。


ライブタイトルは「かつて降った雪の足音」です。
おそらくお二人は冬の歌を選んでくるであろうという予測の元、深く考えず決めました。
私も航空祭で邪魔されたそこそこの歌をグレード上げて育てて歌いたいと思います。
12月11日、19時半からです。
皆様のお越しをお待ちしております。

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ベイファンは卑屈です。
自分が「ベイファン」だと悟られぬよう、極力野球の話から逃げようとします。
シーズン始まってオールスター前にいい位置にいても「どうせこの先ダメなんでしょ。。」と考え、大概はその予想通りになるのです。

「良い打率だね〜、これどの選手の?」
「いや、それ今年のベイの勝率です」

なんて会話に涙する10月。

思えば10代、「大洋ホエールズ」の応援団なんぞに半ば強引に入団させられて以来、良い事なんて1998年以来ございませんでしたからね。

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私の部屋に貼られたこの号外。
1998年日本シリーズ優勝の際、関内駅前で配られたものです。
18年前の紙切れです。

当時、リーグ優勝が賭けられた時期は会社を3週間近く休み、マジック3まで見届けました。
さすがに社会人としての生業がよろしくなくなって(笑)、一時帰社。
その日は10月8日。
甲子園の外野席は用意されていましたがそれまでに費やした金欠も手伝いやむなく欠席。
大魔神が新庄を三振にねじ伏せたのをテレビで観戦したのでした。

「優勝は嬉しかったけど、なんという不運!!」

その前の優勝はなんと1960年ですから38年ぶりの優勝だったわけで、ベイファンは高望みはしない人種の集まりでした。
もうリーグ優勝だけでお腹いっぱい!
「西武さんに勝てるわけないよ〜、もういい夢見たし〜〜♡」ってなもんだったんですが、なんと日本シリーズも制覇!!
「この後30年は優勝なくてもいい!!」と叫ぶファンもいました(私だよ!)。

いや〜こんなに早く嬉しい結果が出るとは!
見たか!中畑!お前じゃダメだったんだよ!!
いやもうCSファイナルステージ進出だけで十分です、もうこれ以上食べられませんよ。

それにね、やっぱセリーグで今年1番強かったのは広島さんであり、そんなそんなカワイ子ちゃんいっぱいのカープ女子に嫌われたくありませんし、えっ?ベイファンの女の子?そんなの8割元ヤンキーですよ!「CS」なんて煮え切らずわけわからんシステムに踊らされちゃいかんですよ!


いや〜でも嬉しい!
天国で大洋の元団長も喜んでらっしゃることでしょう南無南無。
もう私もすっかり大人ですので会社に「休暇届」なんて出さず、ファイナルステージは楽しくお家で観覧したいと思います。

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ふぉとばい もやし(妹)嬢。 お疲れ様でした〜!

Tシャツがキュアマジカルだということが重要でしたが、案外突っ込まれず、それだけ私の認知度があがったせいでしょうか?。
第10回のやらフェス、無事終了です!
集まってくださった多くの皆様、心より感謝申し上げます。

思えば10年前、O会長が「こんなイベントあるんだ、バルンガも是非!」と声かけてもらったのが最初だったと思います。
浜松の街中すべてを使う音楽イベント。
そんな壮大さに「企業使わずそんなもんできるのかよ?」と案疑心を持ったと同時に、「できたら面白いな」という興味で乗りました。
1回目はまだボランティアスタッフもまばらでみんな掛け持ちの嵐!1日だけの開催でした。
瀕死で働くスタッフ。
街中路上に転がるオレンジのジャンパーのスタッフの屍。
そんな悲惨な姿に、メンドクサガリ〜タなも2回目には舞台監督として手伝わさせていただいたのもいい思い出です。
そして昨日、第10回やらまいかミュージックフェスティバルも幕を下ろしました。

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そんな忙しいやらフェス、「皆勤賞の授賞式とかないの?」と聞いたところ「ねえよ!」と一喝されたので、自分たちで勝手に授賞式しちゃいました。
内容は見た人だけの秘密です。
やらフェス上層部に知れたらバルンガ抹殺されてしまいます(笑)。

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土曜日は久々にうろうろ回りました。
今回も同じ時間で重なり合って、どっち選ぼうか迷いました(一部で話題の「もやし」と「朋」クロールはどっち選ぶか?の正解は「もやし」でした)。

通りすがりにいろんな方や音楽仲間に声かけていただき、うれしかったです。
鍛治町交差点のステージでは所見のバンドさんが多く、新しいお友達も出来ました。
音楽をやってるから出来る絆です。
これだからきっと「音楽」はやめられない!
そう思います。

ボランティアスタッフの皆様も、音響、司会、裏舞台で電話なりっぱなしの方も、ありがとうございました。
第11回も必ずや行って頂きたいです。
企業団体に頼らず、皆さんからのカンパ、おそらく14時半にバルンガを見た人は財布ごと募金してくれたとは思いますが(笑)、集まったでしょうか?
足らない分は(白)さんに言っていただければ調達しますので、連絡くださいませ(嘘)。

やらフェスになるとやってくる、帰ってくる人もいます。
バルンガにとって「やらフェス」は、年に一度帰りそんな仲間と会える故郷です。
次は20回を目指します!
今後は連習云々より体のいたわりが大事な時期になってまいります(笑)。
とりあえずは来年、がやがやと音楽が垂れ流されるアノ場所でみなさまに逢いたいと思います。

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シイナリメッチちゃんと。いや〜〜かわいい!4半世紀遅く生まれてきてたら絶対告白してたね!


。。お別れの挨拶みたいになってしまいましたが、その前に次回のバルンガは10月29日街中千歳町で「行われる「職人市場」です。
夜です。千歳町です。ハロウィンです。
路上でコスプレ見ながら「バルンガ」見てビール飲んでくださいませ。
よろしくお願いいたします!

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後編です。

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カーチャンと買い物へ行った帰りに「最近オープンしてライブもやるらしい」と言う話を聞き、ちょっと寄ってみました。
1Fが駐車場でお店は2F、メガネのマスターが一人で切り盛りしているお店でした。
コーヒーを頼み店内を見回してたところ、マスターが「バルンガさんですか?」と聞いてきました。
ビックリでした。

お店にはバルンガのCDが置いてあり(購入してくれた誰かが置いてってくれたらしい)、なんか有名人になった気分を味わえました(笑)。
まだお店でライブする人は少なく、マスターは「毎日ライブやってる店にしたい!」とおっしゃいました。
当時のライブハウスは「週末ライブ」が基本であり、そんな店ありませんでした。
それまでライブしてた「ゆるゆるライブホール」から移動し、バルンガもそのお店でお世話になる事となりました。

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そのお店は「なんでモール」。
まだ開店半年経たない頃でした。
そして2004年、バルンガ(緑)が新加入したのでした。

始めは「研修生」扱いして(薄緑)という名前でした、今思えばほとんど嫌がらせですね。
(緑)氏はギター担当で、当然バンドにギター3本も普通要らないわけで、私はベースもしくはキーボードを担当することとなりました。
正直言って不満でした。

私も(白)氏もそれぞれシンガーソングライターです。
そのうち(緑)氏が自分のオリジナルを持ってくるようになりました。
そんな(緑)氏の書いた1曲。
それは(緑)氏を迎える覚悟を持たざるを得ない歌でした。
その歌は「Dry Rain」。
ソングライターの自分を差し置いて(笑)、「バルンガの中で1番のお気に入りソングは?」と聞かれたら、私は(緑)作詞曲のこの歌を挙げます。

なんでモールでは毎週第2土曜日にワンマンライブもやらせていただきました。
それでもまだ「毎日ライブ!」というお店の野望に届くほど出演者は集まりません。
そんなマスターが取った強硬手段が「バルンガばら売り」!
3人ではなくそれぞれがソロでやるというものでした。
これこそが「クロール」を誕生させるきっかけだったのです。

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いろんな方とライブをご一緒しました。
3人になってのセカンドCD「バルンガ2」(もう全くひねらない単直さが嫌い(笑))もリリースしました。
2004年10月9日の記念ライブでは、ほんと多くのお客様がなんでモールに集まってくださいました。
もちろんこのCDももう絶版、二度と世に出す気はございません。

(白)(黒)(緑)と、3人のソングライターがそれぞれの作ったオリジナルを各々歌う。
3人ボーカルなのにコーラスワークが絶妙なわけでもなく、1曲1曲が違うカラーを見せる。
そんなバルンガの持ち味が確立されてきた時期でした。

やがて「ビーフラット」さんにもお世話になり、それまで楽器持ち変えたりしてた私のポジションが、「ベース一筋にしなければ生き残れない」的な強迫観念に襲われるようになりました。
マジでベースを特訓しましたよ。
そして本当にベースを弾く喜びを見出しました。

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2011年、お友達のバンド「〇ll Beat」のパーカションが抜けた、という情報を聞きつけスカウト。
バルンガ(灰)氏の誕生です。

これについて「(黒)が〇ll Beatからメンバー引き抜いた!」「私と〇ll BeatのH〇RU君がケンカ中だ!」という噂が立ち、私も面白いのでH〇RU君と示し合わせて一緒のライブの時は口を利かないという演出をし、みなさんをやきもきさせました。今更ですが謝りますごめんなさい(笑)。
なにはともあれ(灰)氏は我々にとって必要な音を持つ者であったのには変わりありません。
そして、バルンガとして「理想の音」が生まれました。


4人というそれぞれの時間や都合の調整により、ここんとこライブ回数は減っています。
今はライブハウスに出ることもほとんどなくなりました。
それでも呼んでいただけるライブに向けて、密度を持って向かえるようになった気もします。
沢山の方に関わっていただき、今のバルンガがあります。

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「第10回やらまいかミュージックフェスティバル」、バルンガ10年欠かさずの参加です。
結成して17年、最近ではバルンガ結成の時にまだ生まれてなかった子と一緒のライブをするときもあります。
年数(キャリア)の重みなんてもん、ひけらかすものではありません。
そして「重鎮」扱いされると不思議なモンで、新しいお客さんにそっぽ向かれるような気もします。
いつまでも新しい気持ちでやっていきたいです。
そして「クロールの本気と本業」をバルンガで知ってもらえると嬉しいです。

「応援してる」って言葉は実は嫌いです。
まず触れてもらいたいと思うのです。
10月9日、14時半から鍛冶町交差点ステージです。

(白)さんの立ち位置はいつも向かって右です。
私の立ち位置はいつも向かって左です。
1999年に並んだ二人の間に今、私以上にバルンガを楽しみ大事にしてる二人が鎮座しています。
この上ない心強さを味方に、楽しいライブを見せられればと思います。







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改めて言います。
私は実はベーシストなんです。

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ほらね。

というか、1番好きな楽器はベースであり、どうにも「マルチプレイヤー」とか呼ばれるのは「浅く広く」みたいな軽薄な感じがしてホントは嫌なのです。
楽器やったり詩や曲作ってなければただのプリキュア好きなおっさんですよ。

最近縁となった人には、どうも私が「バルンガ」というバンドのメンバーだという認知度がアレです。
今日は私の住む「バルンガ」というバンドの、武勇伝も含めおさらいしときます。

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バルンガは1999年に私「バルンガ(黒)」と「バルンガ(白)」によって結成されました。
(白)さんとは私が高校生の頃同じサークルにいた縁がありました。
(白)さんの歌は「めじゃー7」や「でみにっしゅ」なんてコードをふんだんに使い、フォークと一線を越えたアーバンな楽曲が良い塩梅でした。

それから数十年の時がたち、再び会う機会がありました。

当時、私もオリジナルの自主制作カセットをシコシコ作ったりはしてましたが、ライブに関しては様々なバンドの助っ人を引き受けるくらいでした。
自分のオリジナルをゆるりとやってみたく、確か私から声かけた気がします、そんな気がします。
「お互いのオリジナルをやっていこう」というコンセプトは今も変わらず、当時は私もギターのギターデュオでした。


練習場所はアクト周辺の夜の広場でした。
まだ「ストリートミュージシャン」という言葉がない時代でした。
練習中に様々な人に出会いました。
ロシア人観光客に向けて「ふぇいますじゃぱにーずみゅーじしゃん!」ってうっかり言ったのらバシャバシャ写真撮りまくられたのも今じゃいい思い出です、いずれプーチンさんに謝らんといけません。
そんなある日、今は無きフォルテガーデンでフリーマーケットやってるという人がやってきて「うちらのフリマで歌わない?」と誘われました。
道端から卒業して、初めて「ライブの場所」を手に入れたのです。

フリマのライブはほとんど聞く人もいませんでした。
そしてそのライブに当時出ていたのは、今をときめく「遠州ギタートリオ」の長谷川さん。
それでもやれる場所、歌える場所があることが嬉しかったのを今でも覚えています。


2000年、時々ジャズライブを観に行ってたライブハウスから「出てみない?」とお誘い受けました。
バルンガ初のライブハウスです。

毎回、ライブが終わる度にマスターが「お疲れ」と言ってビールを注ぎに来るのです。
最初の10分くらいはライブの褒め言葉なのですが、後半は酔いも任せてダメ出しの嵐。
「オリジナルばっかやりやがって」だの「アンサンブルがどうのこうの」だの。
毎回ケンカモンカで「もうバルンガなんか出さん!」「あ〜結構!もうこんな店出るか!」と言って帰宅。
そして2週間後マスターから「次のライブ〇日でどう?」私「オッケ〜!」ってな間抜けな恒例行事が2年くり返されました。
店の名は「フルハウス」。
店主は悪名高きKさんですよ。
同期ってわけじゃないんですが、当時時々店にプラッとやってきて空気読むことなくバンジョーかき鳴らしてったのは、まだデビュー前の「Kingsize」の「てらだっち」でした。


2003年、知り合いがライブホール作ったっていうので、そこのライブに参加させてもらいました。
ここで運命の出会いがあります。
当時一緒に出ていた男女混合バンドさんが、いたくバルンガを気に入ってくれたのです。

そのメンバーの一人は勝手にうちらの曲をコピーしたりする始末。
そして(白)さんが後に、「彼、メンバーに入れちゃおう」と衝撃の発言をするのでした。
それこそが「バルンガ(緑)」、我らがリーダーです。
その後、その男女混合バンドは解散。
そのバンドには「もやし(妹)」「にゃーご」が在籍していました。

このライブホールのライブは中々身勝手ゆるゆるだった!(笑)。
告知もろくにしないばかりか、開演30分前になっても誰もいないときもありました。
それでもそこのライブにて「奥山会長」とも出会い、当時は「今の因縁」が起きるとは思ってもみなかったのでした。

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2003年2月にはバルンガ初CD[バルンガ」を発売(まだ2人バルンガ)。
絶対「ジャケ買い」しないであろう、このセンスのなさ!(笑)。
もう発売してません。

ないと分かると「欲しい〜!」とおっしゃる輩が多くて困ります。
たった100枚売るのにどれほど苦労したことか!もうその手には乗らんぞ!!再発なんかするもんか〜!!(笑)
(一部で海賊版が出回ってるらしい)

その後乗り込んだあるライブハウスでバルンガは大きな転機を迎えるのでした!

(続く)



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