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額縁工房 日記
雲の切れ間にきらりと光る、 星が頼りの人生さ。

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  横浜の根岸にある 「馬の博物館」に行ってきた。
 家からバス、JR横浜で根岸線に乗り換え、そこからまたバス。
 なんと美術館到着まで約3時間の道のり。
 18日朝の日曜美術館、今週のギャラリーのコーナーのおしまいの頃、
 「神田 日勝」の展覧会が横浜でと・・・の告知。
 誇張ではないけど ほんと驚いた。えっと 思わず。
 神田日勝の作品はそのほぼ全ての作品が北海道内の三館の集中しており
 それは 鹿追町の神田日勝美術館、 札幌の北海道立近代美術館、帯広の道立美術館
 あとは個人蔵となっていて、作品を観るには北海道に行き、しかもその代表作は
 札幌、帯広、鹿追町を回り、運よく常設の展示になっていればと見る事が出来る。
 という、東京在住の者にはなかなかの難関でした。
 しかしこんな朗報があっていいものか、
 
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 ボクは北海道旭川の出身で、祖父が馬を飼い、森林からの材木や 建設用の砂利の馬車による
 運送や 冬の時期などはむかしの北海道の風物詩でもあった「郵便馬そり」などを仕事に
 していた事もあって 幼いころから馬はとても身近な動物でした。
 若くして亡くなった神田の作品は以前からどうしても一度見てみたいとは思ってはいたのですが
 たまに、ふるさとに帰っても冠婚葬祭などでバタバタと余裕無く戻ってきてしまうのが常で、
 今回初めて 見る事が出来ました 神田の主要な代表作が先の三館から一堂に展示されており
 素晴らしい。とくに神田日勝美術館はこんなに作品を貸し出して大丈夫なのかと 心配になる。、 
 
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  64年  「牛」                神田日勝美術館
  この迫力はものすごい、観る者に強裂な圧力でせまってくる。
  死んだ牛は、まれに胃が発酵のガスにより膨らむので破裂をさけるため 
  腹を大きく裂くことがあります。
  死してなおその四肢に鎖とは・・・・
  末期の水をとらせたのか
  空になったバケツ。
 
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 70年の 「室内風景」          札幌 北海道近代美術館
 作家で美術評論家でもあった 、宗 左近がこの年の独立展に平出品されていた
 この作品を激賞し世に知られるきっかけとなったもの、
 新聞紙面を執拗なまでも描きこんでいる、そしてさほど大事なものとは思われない
 マッチ箱、灰皿、ものさし、紙袋。  自画像だ。
 「神田日勝」に向かい合う。
 梃子でも動きそうにない 何を考えているのかわからない男が、
 目の前にいる。
 
 
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  そしてどうしても見たかった鹿追町にある神田の「絶筆」 馬。 この作品一点のために一室が
 用意されて 作品のまえにソファーも置かれて静かに鑑賞できるようになっていました。
 
 馬の毛いっぽん一本まで描きこんでくる、
 どこか悲しげな大きなひとみ、
 この馬がどんな馬かは胸元など馬具で擦れ、毛が無くなっているのをみれば
 すぐに想像できる。
 小学生の頃 馬の死にあったことがある、
 見開いた馬の目がとても恐ろしかった事を思い出す。
 
 昭和53年発行の北海道新聞社刊「神田日勝」画集より、 
 もう絶版になっているようなので、引用したい。
 1970(昭和45年)
 7月 全道展帯広巡回展にあたり目録に「結局、どう云う作品が生まれるかは、どう云う生き方を
     するかにかっかている、どう生きるかと、どう描くかの終わりのない思考のいたちごっこが
     私の生活の骨組みなのだ」と記す。25日帯広市内で巡回展最終うちあわせ、会場設営チーフ
     だった。27日陳列作業中に微熱があり椅子に休むが、ブロック運びのため車を運転、
     帰宅して発汗。28日初日会場点検。記念講演の国松 登(注1)を囲み歓談。のち自宅で
     休み8月2日昼に会場に現れて友人に体の不調を告げ、事後の作業を託す。11日新得町の
     医院へ入院。病名不明のまま急激に悪化、23日清水町の日赤診療所に移った。
     腎盂炎による敗血症という。25日午後6時25分永眠。
     32歳8ヵ月の生涯だった。同夜、雨激し。
 
    * (注1)北海道の画家 流氷をテーマにした作品などで知られる
    
 
 

 
 

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    海を隔てた北海道までを思えば地続きの3時間はなんのその。
    それでも大変な距離ですが、千載一遇の想い人との邂逅のチャンス、
    ときめきを抑えながら駆けつけた――
    このように、ぜひ出会いたい、直に接したいものが(たくさん)あることは
    どんなにか豊かな、張り合いのある人生なんだろうと、考えさせられます。
    ぶりきの笛さんの過ぎ越しと近しい息吹をそのままに発している(馬)肉筆の画面を前にして、感慨どんなにかと、つい、
    拝見しながら感情過多に想像を誘われます。
    牛の絵も、馬の絵も、愛情・憐れのこもった眼差しを感じます。
    いつしか涙ぐんでしまいます。

    ご紹介ありがとうございました。感謝のぽち、を。

    str*yca*

    2011/9/21(水) 午後 0:18

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    神田日勝の大事な作品はすべて観る事が出来ました
    とくに 絶筆・馬 は 北海道に行かなければ見る事が出来ないと
    思っていましたから。
    神田日勝記念美術館からあの作品がよそへ出るなんて考えられなか った、今回は絶対見逃せないとこでした。観に行った甲斐があり ました。美術手帖の70年の記事を目にしてから、やっと
    思いがかないました。

    [ ぶりきの笛 ]

    2011/9/22(木) 午前 7:46

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    ああ、ほんとうによかったですねぇ…

    今またこの馬の絵を見ていて、
    いまさらですが、パネル――板の上に直接描いているのに気がつきました。
    描かれていない腰から後ろ足の部分、最初からそうであったかのように、
    板目の色合いと共に、まるでそこ――木・森羅の中――から馬が現れた、つながっているのを
    表現しているような印象です。
    あるいはまた、どこかへと歩を進めたいけれど、日々課せられた労働・生まれついた運命に
    しっかり繋がれていることを、静かに受け入れているようにも見える、この馬、
    何故だか、どうしても涙が出てきます。
    二度も失礼しました。

    str*yca*

    2011/9/22(木) 午前 10:35

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    そうなんです、彼はほとんどの作品を自作のパネルに直接、しかも
    美術教育を受けた多くの画家たちが薄描きで始めて画面全体で進めていくのとは違い、馬の場合ですと頭部から順にいきなり完成画面にもっていくという独自の方法です。独学のなせる技でしょうか。
    この絶筆は未完成ですが、その訴求力はすごいものだと思います。
    ある人が彼の作品をみて、アートではなくイコン 聖像だとかいています。 ボクもまったく同感です。
    馬の美術館の実に親切な展示方法もあり 向かい合う時間が持てて
    しあわせでした。神田日勝記念美術館のサイトに他の作品もあります

    [ ぶりきの笛 ]

    2011/9/23(金) 午前 7:05

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    ああ・・・今更ですがHPを見ました。
    近くに絵が来ていたんですね。

    僕は1970年8月、神田日勝の死の直前に生まれました。
    神田日勝を知った20歳のころ、
    粘着質な焦燥と孤独を彼の絵に感じながら、
    「俺もこいつと同じだ」と思い込み
    青年期特有の激しくも屈折した日々を送っていました。

    一度だけ仕事で北海道行った事がありますが、美術館は工事中でした・・・。おかげで未だ「本物」を拝んだことありません。

    ただ、今本物を前にしても、あの作品から若いころに感じたエネルギーを再び感じることは、ないでしょう。そう思うと、一生本物を拝まずに生きていく方がいいのかも、と思っております。。。。

    [ mbb*h02* ]

    2012/2/23(木) 午前 0:44

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    この投稿は神田日勝でブログ検索してもヒットしないのに
    よくぞお出でいただきました。
    青春時代の思いはそのままに・・・ですか
    この作家の作品はやはり一度、見るべき価値があると
    ボクは思いますが。

    [ ぶりきの笛 ]

    2012/2/23(木) 午前 9:08

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