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11月3日(正確には4日)の朝まで生テレビでは北朝鮮問題と日本の核保有問題について取り上げていた。実際には核保有については終了近くの短い時間であったが、色々と参考になった。
番組には、様々な立場の人が参加しているのだが、どの立場からの見かたをしても、「日本が核兵器を持つことに賛成できない」と言う結論になっていた。
まず、感情論では、「唯一の被爆国として、核兵器の悲惨さを伝える立場にある」「広島、長崎の地で、被害者やその家族の前で核兵器の保有を言えるだけの信念があるのか」等で、わたしの、核兵器保有反対意見はこのあたりに立脚していた。現実世界に目を移した場合、「北朝鮮(と言うより金正日国防委員長)は、体制の保障がされるのなら核兵器をあきらめるかもしれない」と言う楽観論もあるが、「国民的合意を取り付けるのは不可能である」、「核兵器の開発に必要な実験場所が日本国内に存在しない」、「アメリカ・中国を敵に回す可能性が高くなる」、「核兵器開発を行おうとしら、原子力発電所(原発)の燃料供給や使用済みの燃料の再加工先である国々との条約を破棄されることになり原発がストップすることになるが、現在平均3割(関東では4割)を原子力発電に頼っている日本の電力事情がそれを許さない」など、これは何をどう考えても「核兵器の保有は出来ない」と思わせる内容の話になっていた。
一般的に、日本人は、核兵器は恐ろしい兵器で、それを使うことは絶対の禁忌なのだということを、あらゆる場面で教えられて育っている。それは、ほとんど狂信的宗教だと言っても良いくらいであろう。昨今の核兵器を保有すべしという勇ましい意見も、多くは「ブラフ」に類するものであろうと思う。しかし、もしかすると、世界は理想郷ではないことに気が付き始めた我々は、そのことに怯え、これまでとは逆の方向に走りかけているのかもしれない。このような時に、一方の意見を封殺するのは決して正しいことだとは思われない。核兵器の保有に反対の人々は、堂々とその理を説き、保有すべきと説く人々を諭すべきだと思う。
もし、議論に負けそうだから議論をしないと言うのであれば正しい態度ではないと思う。
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