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あんなにうるさく鳴いていたセミもいなくなり、紅葉も散った冬のある日。
俺と雪歩はいつものように、家の屋根に登って月を眺めていた。
「雪歩、月が綺麗ですね」
「ありがと、えへへ」
ぼんやりと明るくなった雲しか見えない曇り空を見上げ、そんなことをつぶやいた。
満月の日も、新月の日も、曇りの日も、雨の日も、雪の日も。
毎日、この言葉を言っている。
もちろん、月が綺麗であるという目の前の事実を述べているのではない。
「I love you.」ということを伝えているのだ。
雪歩が俺に、この言葉の意味を教えてくれたあの日から、俺たちの間では、夜空の下ではこの言い方が主流になった。
次の日も。またその次の日も。
屋根に登って空を見上げる。
「月が綺麗だね」
「私も。月が綺麗だね。うぅっ、ちょっと寒い……」
「そうだな。もう少しこっちへおいでよ」
今日は雨だ。
俺たちは、びしょびしょに濡れながら、夜空を見上げていた。
月に語りかけるように、今日一日のことを話す。
毎日のことだ。
月が話せるのならば、「今日は笑顔だね、いいことあったんだ」とか、「今日はなんだか悲しそう……」とか言うのだろうか。
うれしいことがあっても、苦しいことがあっても、俺たちはその嬉しさや苦しさを、ここで分かち合ってきた。
「やっぱり昼間は楽しくないな。全然楽しくない」
「そう……いつも私といるときも、楽しくないんだ……」
「いや、雪歩と一緒にいられないときだよ」
俺の嘆きを雪歩が聞いてくれる。
「私、やっぱり弱いな……もっと強くならなくちゃ、生きてけないよ」
「無理しなくていいんだよ。俺が助けてやるから」
雪歩の嘆きを、俺が聞いてあげる。
「日本人の2.6%は自殺して死んでるんだって」
「結構多いね」
「俺も、そこに入るだろうな」
「そんなこと絶対にないよ。私が許さない」
時には力強く言われ、
「ダメだよ……私、やっぱりなにやってもダメダメだよ……」
「泣くな雪歩。もう少しだったじゃないか」
時には優しく抱いて、
「やっぱり俺、生きてけない。もう限界だよ」
「ダメだよ、私が許さないから」
「明日、帰って来なかったらごめんな」
「――っ!」
時には頬をきつく叩かれ、
「意味分かんないよ、いっつも私のこと何もわかってくれない」
「いつもじゃないじゃないか。雪歩だって、俺のことなにもわかってないよ」
「……もういいよ。私、戻るね」
時には喧嘩して、
「……昨日はごめんね」
「俺も……悪かった」
「さ、寒いから……そばに行っていい?」
「いいや、俺が行くよ」
仲直りして、
「お、今日は満月か。明るいな」
「そだね。えへへ、顔赤いよ?」
「ゆ、雪歩もじゃないか……」
「そんなことないよー……ふふ、えへへ」
「フッ、ハハハ」
形を変えて毎日昇る月のように、俺たちも毎日ここへ来る。
どんなつらいことがあっても。
未来に希望が持てなくても、目的がなくても、死にたくなっても。
「ずっと変わらないといいね。俺たちがここで見た月と、俺たちが10年後に見る月と」
「その頃には、家族も増えてるかな」
「さぁな。俺がいるかも……」
「えっ?」
「冗談だよ、冗談」
このときだけは、未来は希望に満ち溢れている。
最高の未来を想像していると、空は明るくなり始めた。
明日も遅刻だ。
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