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 実は、「石橋志郎」さんを思い出して検索して見つけた記事を忘れないようにメモ代わりにここにコピーしたのですが、コメをいただき恐縮です(うっかりUPしてしまいました汗!)。以下の文面は、ある記事をペーストしたものです。もし、何かありましたら、非表示にいたします。書かれた方、すいません!!
 
≪ 68年秋に「バニーズ」は、一人前になったという事で寺内タケシから独立いたします。

 寺内タケシはソロになりまして「エレキギターのすべて」などレコードを発表しておりますが、やはり、「ブルージーンズ」再興の思いがあって69年「石橋志郎とストーンズ」の二人とジョー水木、ルイ高橋を加えて再結成に踏み切ったのでありました。

 真赤は危険/寺内タケシとブルージーンズ
 太陽に叫ぼう/寺内タケシとブルージーンズ

 太陽に叫ぼう/寺内タケシとブルージーンズ 1969.6

 再編された「ブルージーンズ」の第一弾シングル「太陽に叫ぼう」 寺内タケシのジミヘン風ギターをバックに
ルイ高橋がソウルフルに歌い上げる、ニューリズム♪ファンキー&ウォーク♪を取り入れたというR&Bルイ高橋時代の音源は人気が高いようです。その前に聴いていただいた

 真赤は危険/寺内タケシとブルージーンズ(1970.7

 歌詞、演奏ともに強烈激レアシングルです。ニューロック時代に流行したロックンロールリバイバルを意識したものですがこういった曲調で成功した日本では数少ない例の一つでしょう。

それから幾多に及ぶメンバーチェンジを繰り返しながら「ブルージーンズ」は全国津々浦々、世界各地で無数の公演をおこないエレキ文化の継承と発展に努め、現代に至っているわけであります。 』
 
 自分はルイ高橋さんのその後(の活動)も知りたい気がする。町田義人氏らと同様にとてもいい声だから。合わせて田川ジョウジさんも。「491」の1stシングル時のメンバーではないか!!
 
 亡き黒沢進が言われた浅草国際劇場で行われた『(裏)ウエスタンカーニバル(日劇に出演していないと思われる後のカルトgsスターの方々)』 のイベントをご存じの方はいらっしゃらないでしょうか。 田川さんの「ブルージーンズ」をはじめ、古賀さんの♪赤く赤くハートが♪の「レンジャーズ」も出ていたはずです。時期も不明ですが昭和42年から44年の頃のはず!!
 
 石橋さんのバンドが収録されたオムニバスCD は、収録曲を見ると以前ご教示いただいた有馬龍之介の20年前の♪リンダ,リンダ♪の「ザブルーハ―ツ」よりも早いパンキッシュなあの曲♪ハートに狙い撃ちも入っていたことにびっくり!! http://www.youtube.com/watch?v=2l7wWcttcqg
 そつのない演奏は感動もの!!  演奏は「津々美洋とオールスターズ・ワゴン」で、ギターは郡さん。「アイジョージ&ジャパニーズ」、「ペトロ&カプリシャス」に在籍、「森田公一&トップギャラン」にも居た。昨年(?)見つけて購入した、「森田公一&トップギャラン」の解説本で初めて郡さんのインタビューを見たのであった。
 
V.A.昭和元禄トーキョーガレージ
徳間ジャパン&日本クラウン編≪恋のサイケデリック≫
Japanese Rockin’psyche & Punk 65ー71 psychedelic of love
 
徳間ジャパン 2005年12月7日発売TKCA72966国内盤 CD 定価2,300円(税込)
1.フリフリ/田辺昭知とザ・スパイダース
2.シェビデビいこう/ザ・プレイボーイ
3.ハートを狙い撃ち/有馬竜之介
4.赤く赤くハートが/ザ・レンジャーズ
5.レッツ・ゴー・レインジャーズ/ザ・レンジャーズ
6.恋はふりむかない/リンガース
7.テクテク天国/ザ・クーガーズ
8.アフィロデティ/ザ・クーガーズ
9.東京・ア・ゴーゴー/高木たかし(演奏:田辺昭知とザ・スパイダース)
10.鳥の涙/ザ・ターマイツ
11.恋のサイケデリック/ザ・デビィーズ
12.ベイビー/ザ・デビィーズ
13.ブーガルーNo.1/ザ・マミーズ
14.二人のブーガルー/ザ・マミーズ
15.風がさらった恋人/ザ・シルビー・フォックス
16.うわさの二人/ラ・シャロレーズ
17.恋のシンガリング/石橋志郎とソールフォー
18.夢みるツイッギー/レモンレモンズ
19.自由の賛歌/ザ・ヴァイオレッツ
20.本牧ブルース/平田隆夫とセルスターズ
21.夏の夢(イタリア語ver.)/ミッキー・カーチスとザ・サムライズ
22.夏の夢(英語ver.)/ミッキー・カーチスとザ・サムライズ  
 
 
 赤字が本アルバムにて発表された未発表曲。 石橋さんはミノルファンの倉庫から残り3曲みつかっている。
 
 なんと石橋さんを発見!! ラッキー。
 
 
2005年08月24日(水)ミノルフォン・レコード
 演歌の大御所作曲家、遠藤実がつくったからミノルフォン・レコードって名前なのは有名な話し。それを見習って、近田春夫だからハルヲフォンなんですね。
 で、ミノルフォンのマスターテープ倉庫から「石橋志郎とソウルフォー」の69年の音源を4曲発見。当時リリースされた記録はないらしい(?)。メーカーにも判る人はいないようで、誰か詳しい事知らないかな? 
 寺内タケシとブルージーンズの初代ベースだった石橋志郎は、69年のブルージーンズ再編時に参加するのだが、その時のボーカル、ルイ高橋は「石橋志郎とソウルフォー」のボーカルでもあったのだ。
 その4曲には、徳間ジャパンのオムニバスLPに収録されたことがある「恋のシンガリング」もはいっている。この曲はブルージーンズの「パパンパパンパン」と異名同曲。どちらもソウルフルなニューロック風R&B。
 レコーディング直後にブルージーンズ再編のため、お蔵入りした音源ってことなのだろうか? 謎だ。  サミー前田さんの日記より』
 
 この事情をある方から2013年8月終わりにお聞きした。自分にはタイムリーな話であった。了解がとれれば、ここでお伝えできるのだけれど…。いつかきっと…。
塩塚博さん(※6文末)の情報をもとに少しだけ追記したいと思います。題を変更します。割と見ていただいている内容のようです。ご覧いただきありがとうございます。
旧題
『宮内さんにききたい !! 「マリアンヌ」→「WHY」→「ローズマリー」の流れ』
WHY」というバンドの情報を求めて
 
WHY(※1)」は、ロック雑誌では、後の「BEING」創立社長の弟の居たバンドが有名だが、アニメ特撮ソングで有名になった宮内タカユキ氏が実はその昔、ロックバンドにいたことを知り、そのバンド名も同じWHY」。時期も1981年〜1983年あたりと聞く。リアルタイムでロックに目覚めた時期だが、一切自分のアンテナにひっかからず、最近、当時の雑誌を見てもまだWHY(宮内氏在籍)」の掲載雑誌を発見できずにいる。今回、幻のバンドについて判明したことを知らせるとともに関係するアーチスト、バンドマンもここで紹介したい。ただネット上でわかったことをここにお示しできれば。
※1 織田哲郎氏、長戸秀介氏(長戸大幸氏の弟)と 「WHY 」を結成。1979年EPI Cソニーよりアルバム『WHY』でデビュー。EP1枚、LP1枚リリースし、解散。
 
宮内タカユキ氏は茨城県出身で高校卒業後上京し、1970年代中盤から(恐らく新宿あたりの)ハコバン生活。時期は不明だが、「内山田洋とクールファイブ」にもお世話になったらしい。以前山形ユキオ氏の「ハリマオ」の在籍説はご本人様が否定。実は宮内氏ではないかと思うが、詳細は全く不明。可能な範囲で確かめるが、宮内氏が「ハリマオ」の在籍は今のところなさそう。ご存知の方はご一報を。
 
惟一の(ネット)情報からhttp://risurock.blog34.fc2.com/blog-entry-8.html#comme
 「WHY」EP『愛なら潮騒』に記載メンバーは以下の通り。 
 リーダー/vo 柳田史郎(水野シロー)氏(元「マリアンヌ」のvo)
   vo 宮内英明氏(アニソン歌手、アニソン界の「四天王」) 
 B 宮森紀雄氏、Ds 植竹進 氏(BとDsの二人はおそらくGS末期「ザ・ジャガーズ」 → この「ジャガーズ」は、オリジナルメンバーがvoの岡本信氏だけでクラブで活動していたと言われた時期と思われる。二人が在籍したのは、もしや岡本信氏が昭和51年あたりにソロデビューした時期かもしれない。さらに、元「マリアンヌ」) 
 Key 早川英一氏  G 島田淳
 ある方の話をそのまま転載(ご本人から了解をいただく、感謝)
 
私は「WHY」のメンバーとは、ほぼ、毎日のように飲んでいた。特にベースの宮ちゃん(宮森紀雄)とは仲が良く色々聞いたが、確か「WHI」結成の時、Vo水野シロー氏とDr植竹進氏 G永井(オ)サム(「サム」と表記) がメンバーを探し、Key早川英一氏、VOヒデ(宮内英明Bミヤ(宮森紀雄)が加入し、バンド名が「フライデー」で六本木あたりで、活動していたらしい。因みに植竹進氏と宮森紀雄氏は元々面識があり、二人とも後期の「ザ・ジャガーズ」に参加していたらしい。 
 その後、GS「オックス」の福井さんの店に出演するようになり、面白いバンドだったので(水野のしゃべり、宮森のものまね、楽屋ネタとか)、「デラ」とか「デラパート2」とか結構出演したみたい。デビューは店に来ていたプロデューサー(ビクター、テイチクとか)と後のマネージャー寒河江さん、福井さんとの話合いでテイチクに決まったようで、宮森紀雄氏は後に「テイチクは嫌だった」って言ってた。オリジナルの殆どは、宮森紀雄氏が作って、早川英一氏も何曲か作ってた。デモをテイチクに出し、決まったのが 、♪愛なら潮騒♪と言う曲で、宮森紀雄氏は残念がってた。なぜなら早川英一氏の曲か宮森紀雄氏の違う曲が決まればいいと願ってたから、ビクターだったら 、どうだっただろう?デビューにあたりメンバーの永井が抜け、島田淳氏に変わっているが、これは永井氏の素行に問題があり、事実上は首らしい。 
 レコード発売とともに、色々なライブハウスをまわり、TV、ラジオにも出て活動していたが、2・3年後位で?突然植竹氏が脱退(宮森紀雄氏と何かあったらしい)代わりに古田(マミー※2;Ds)氏が参加、この頃から宮森紀雄氏も抜けたがってた、酒の量が増えていた。それから、一年位で解散。G島田淳氏が明け方、飲酒後バイクで人身事故を起こしたからで、もう無理だと全員が思ったのだろう。
宮森紀雄氏の音楽性についての?(音楽の方向性への疑問)は実は早かったとのこと。
 
※2マミー(古田政幸);オールデイーズ&ディスコバンド「ストロベリー、ラブキャッツ」の バンマスで活躍。
 
http://blog.excite.co.jp/t-miyauchi/ 宮内タカユキ氏のHP
 
 
WHY」の解散後のメンバーの動き(「ローズマリー」へとつながっていくのか?)
 
水野シロー氏、宮森紀雄氏、古田氏は『ローズマリー(店)』で「ローズマリー」に加入、何ヶ月か活動、その後解散 

 VO友也(現生沢祐一氏、元「ローズマリー」旧芸名;弾ともや)がオーナーの『タイアン?タイヤン?』と言う上野のライブハウスで活動。
メンバーはVo? G永井氏(元「フライデー」)、Drチャッピー(「白竜バンド」のDr武田治氏)key遠山裕氏、B伊藤重雄(元「セブンワンダース」)氏そして、たまに生沢祐一も歌う、ほぼ、元「ローズマリー」のメンバー。 
 この店で宮森紀雄氏はバーテン見たいな事をしていた。しかし、このバンドはDrのチャッピーだけ残り、他の人は?。宮森紀雄氏と、演歌のバックバンドでGしてた? とチャッピーさん でその場しのぎ、 生沢祐一レコード再デビュー!
(1983年)その曲を演奏したりしていたが、店は下降線、結局友也はオーナーから退き 他は解雇。
その後、宮森紀雄氏と会った事はない。噂では、大きな事故に遭い、後遺症が残りどうとか? その辺詳しい方いませんか? 

 「WHY」で僕が一番好きな曲は♪どうして?どうして?♪というスロー曲!   
 
生沢氏ソロ活動 1983年〜1985年 シングル、アルバムを発表。
ミステリアス・センセーションCM song /レーサ   (1983年5月16日)CM曲
   1ST アルバム ミステリアス・ウーマン(1983年5月16日)
ラヴ・イズ・オーヴァー/ 52階のチャーニーズ   (1983年9月25日)
 ?夜ヒットでもしやデュェット
花別離(わかれ)/ LAST LADY ~最後の女~ (1984年3月1日)
   2nd アルバム 花別離(わかれ)  (1984年3月1日)
HOT NIGHT/ 哀愁ダンス            (?年?月?日)
SUMMER TIME/ 悲しみの雫           (1984年6月21日)
不思議に愛して CM song /スタジアム      (1985年2月5日)
 
  その時期の前後の「ローズマリー」は?
 みむろのぼる氏、奥本亮氏、古田政幸氏、元「ローズマリー」の上田耕三氏(「キングス」、「ピープル」)、榊原克美氏で結成した「ニューローズマリー」はいつの時期になるのだろう(伊丹幸男が脱退したすぐ後であろうか?もしや、ニャロメと「アロウズ」を作る、1979年位より前の時期か) 以下の①よりも前の時期になるかもしれない。
 
 ① 1980年7月東京プリンスホテルで開催「ローズマリー結成10周年ライ
    ブ「Ten 」名義? バンド名はメンバーが10年以上のキャリアがあることから命名されたらしい。
 「Ten」名義のEP ♪夢のシンガポール/アイ スティル ラブ♪ 6名の写真掲載。 
70年代後半頃、主に六本木のサパークラブなどで活動していた「ローズマリー」のメンバーが
TEN」という名でレコードデビュー。近未来的()な衣装は、その後ゴルフウェアで有名にな
 る上迫ミエコさんの新人時代の作品。
 イメージ 1メンバーは 
イメージ 2
 
メンバーは
   Lg  福井利男(元オックス)氏はライブで1曲は披露。
 Vo  市川克ちゃん 別名 榊原(仲原)克彦=仲原かつみ シンガポールへ在住? 
 Vo  キー某  中尾善紀=仲村正明(本名?
 b  伊藤重雄氏 
  ※岡田史郎(元「オックス」)は脱退
 Key 堀としゆき(後の遠山友)氏 ds夕己ハルオ氏≪ハッピー≫
 
 1982年夏位徳間ジャパンEP「ハチのムサシは死んだのさ(カバー)」
 
 ② EP発売から1985年の、この時期が不明であり、「WHY」が解散し、メンバーが「ローズマリー」へ関わっていくことになるように思われる。       
   ↓ 貴重なライブの情報 ↓
 六本木のローズマリーに加入時代、場所は忘れたけど 、ロックンロールのLIVEがあってなぜかそこでやってるLIVEのテープが ある(コピーだが、宮のBがかっこよくてダビングしてもらった)。
 メンバーは、voキーボー?、シロー、gかっチャン?key?,drマミー、b宮ちゃんっだったような気がする。出るバンドが皆リーゼントなのになんでみたいな・・・・。 来てる女子もみんなヤンキーみたいな子ばかりだってたのは覚えてる。 みてみたかったなー。その光景!!
 
   ↑ 時期、ライブ名は不明、情報を求む!!
 
 ③1985年初夏から多分2年位の間 御徒町の『PLAZA』というライブハウスのハコ
 ン福井利男のプロデュース。福井氏は半年で手を引く?
 メンバーは
  Vo ≪キー某≫86年3月に脱退!
 Vo 水野シロー=柳田シロー氏  EPのvo
  b 伊藤重雄氏 ds夕己ハルオ氏≪ハッピー≫ G 市川(克紀?)氏
  KEY 克ちゃん?(坂本克美;「ミッシエル」1977年デビュー)   
 1986年、88年 ビクターレコードとコロムビアレコードからローズマリーのEP発売!!
   サンセットストーリー/あなたと揺れてPRA-11593 ビクター カスタムレコード 
 リーダーB 伊藤重雄 G 田辺信蔵 G 発地伸夫 DS 夕己治夫 
 VO柳田シロー、市川克紀 KEY 青柳克紀
 早音女ミュージックオフィス 
 サンセットストーリー/あなたと揺れて AH-901 コロムビア 1988(S63).1.21
 リーダーB 伊藤重雄 G、KEY 松田健美 G 発地伸夫 DS 夕己治夫 
 VO柳田シロー KEY 青柳克紀
 
 後期「ローズマリー」と「TEN」から枝分かれ「スクラッチ」と
 「ニューオックス」→現「ローズマリー」となったのか ?
 
  関係者の方に伺った話(ネットからの情報で自分が直接聞いたものではな
い)によると、後期「ローズマリー」以降も、メンバー出入りがたびたび
VOには、その後ホッチ(※3)、柳田シロー氏が参加、一度抜け
人が戻ってきたり、流動的だったようだ。ある時期ま「ローズマリー」
を名乗り続け、その後、福井氏の仕切りでない時は、名義をTEN」とし
て活動した。
 「ローズマリー」の名前はそのまま残して「店付きのハウスバンド」にな
ったようだ。
 
 1988年 波多江美鈴氏(※4)が女性ボーカルとして参加。同郷の森口博子氏の紹介。
 1989年 元「カーニバルス」「寺田十三夫&信天翁」の長洲辰三氏がギターで参加。
  この頃は六本木「最後の20セント」のハコバンだった。
 
【このバンドはその「スクラッチ」と改名し、メンバーチェンジを繰り返しつつ
 2007 411日の時点)でもライブハウスのトラやイベントなどの活動
 1990年頃(美鈴加入から2年後)、新開店した横浜「リトルダーリン(のちに目黒にも出
  店)」のレギュラーバンになったのを機に、バンド名を「スクラッチ」に変更。当時のメ
  ンバーは、伊藤重雄氏(リーダー、b)、長洲辰三氏(g)、夕己ハルオ氏(ds)、波多江美鈴氏
  (vo)、遠山裕氏(kb、レギュラーではなく何人かでまわしていた)、これの他に男性voが
  いた。
 
 ※4 1992年 波多江美鈴氏はトーラスレコードから「水沢瑤子」の芸名でメジャーデビュー。
  シングル5作、アルバム4作(オリジナル3作、コンピ1作)を発表している。この時美鈴をプロ
  デュースしたのは、ビーイング長戸大幸氏の弟で「WHY(今度は冒頭のロック雑誌でよく見
  たロックバンド)」のメンバーだった長戸秀介氏。
 
 1992年の初頭に、あの「平井堅」が男性voとして数ヶ月加入していた。
 その後「スクラッチ」はメンバーをチェンジしながら、長らくオールディーズ系人気バンド
 として活躍、今なお存続している。美鈴は2015年現在も在籍、長洲氏は2014年惜しまれつつ
 退団。
 
 
「スクラッチ」のHP
 SAMMYさんから教えていただいた。現在も活動中。2013年5月14日(水)追記
 ※3 ホッチとは? 発地伸夫と名乗り、ソロ歌手活動にて1971年EP♪恋人になってあげよう/薔薇に降る雨♪発表。本郷直樹・青山一也(?)とトリオで売り出されたらしい。 その後70年代後半から1980年代初頭は、バンド活動、アニメ映画サントラを手掛ける。
 「クロニクル(東芝EMI)」→「タリスマン(『ウルトラマン80』主題歌など)1979年〜1981年、タケカワタカユキのバック1983年活動停止」 「ローズマリー」→「スクラッチ」と渡り歩く。最近、また、ホッチさんはソロ活動を再開。 
 
※「ニューオックス」は福井氏、岩田氏、岡田氏の「オックス」勢にキー坊、柳田シロウ氏とのこと 
 
  柳田史郎(水野シロー)氏について、1970年代の活動について
 1978年「マリアンヌ」としてデビュー。メンバーは小田切真一氏、永井オサム氏、上野マサル氏、植竹進氏、加藤ヒロミ氏。EPは、「シャープホークス」の♪遠い渚♪をカヴァー。アレンジは、いかにも70年代ぽいのだが、歌は、ドスの効いた安岡力也さんよりもむしろGSぽい。このEPは、裏面に各メンバーの顔写真と名前(勿論ニックネームも)、プロフィールを書くという当時すでにアナクロだったフォーマットを使用。歳もごまかしてたみたいでこのあたりも、GSの伝統にのっとっている!
 因みに、彼らは、1978年の8月に行われた当時のGSリヴァイヴァルのイベント「あのGSが帰ってきた」というGS再結成のはしり(※5)となったライブにも前座出演した。「ジャガーズ」、「カップス(メンバー;デイヴ平尾、エディ藩、林恵文、アイ高野、柳田ヒロ」、「オックス」が出演。シロ―氏は「アリス」のナンバーなどを歌ったらしい!
 
 現在、水野シロー(柳田シロー)氏がオックスメンバー直伝のパフォーマンスにより「ローズマリー」名義で活動。自店(?)で演奏する!
 dsトルーサー、bブー (「ラウドネス」亡き樋口さんと交流あり)Gアッキー(一番若い!) 
 CD制作し、まだ未発売。発売が待ち遠しい、もう8年はたった。なんとかしてくれー。
もうすぐ発売かも!!
 
 http://blogs.yahoo.co.jp/frictionreck/4218519.html トルーサーさんの活躍
 
 ラビアンローズタオズ六本木のHP
 /pine.zero.ad.jp/gsox/frame.html オックス情報
  ここに出てくるアーチストの当時のインタビュー記事も見たことがない。もし情報をお持ちでしたらお知らせください。
 2015年2月26日 新たに「スクラッチ」について追記!!
 ※6 作曲家ギタリストで、近年は駅メロディの作者としてよく知られる
 塩塚博さん。「ローズマリー」や「スクラッチ」にサポートで何度も参加。彼のブログ「鉄のみゅーじしゃん」http://blog.goo.ne.jp/tetsunomusicianプロフもあるので、ご覧ください。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A1%A9%E5%A1%9A%E5%8D%9A 2014年2月26日(木)
 
 以前GS男さんから教えていただいた(もし何かありましたらお知らせください)
 オックス再結成について  追記いたします。
初再結成
1978年は夏に解散後、初めてとなる「オックス」の再結成が実現(赤松愛ちゃんは不参加「ロ
ズマリー」のキーボードの大久保ひとしという人がトラを務めた)。先述のGSイベント「あのGSが帰ってきた(※5)」に出演時。その後、「オックス」は80年代には頻繁に再結成を実現
? ひろAの所持ビデオはこの頃でしょうか。赤松愛氏を除く4名による「オックス」
81年?
福井音楽事務所が主催したGS大会でオックスのサポートメンバーし登場。ちなみにこの時のドラムスはハッピー、キーボードは遠山の金ちゃんが担当していて、「オックス」と「ローズマリー」が同時に「再結成」した趣があった!後のレコーディンク(♪可愛いひとよ)てはベースは小原礼氏が担当してるとの事が判明!
 スキー場で行われたGS大会に赤松愛氏が出演した!という情報があったが、真相は真木さんがメンバー紹介の時、トラとして参加していた遠山の金ちゃんを冗談で「赤松愛」と紹介したことが「勘違い」を招いた!
 テレビ東京♪スワンの涙♪を演奏。
84年
埼玉会館、後楽園ボールで「再結成」ライヴが開催
埼玉会館でのキーボードは遠山の金ちゃんが担当
80年代の後半にはフジテレビにも出演。この時のキーボードは見た事がない人でしたね!誰でしょうね?この時の「再結成」が最後の再結成で。90年代以降「再結成」は実現してないみたい!
 ある方にみせたく再UPしました。藤タカシさんのことは文末に書いてます。
今回の話は、 自分に返る というお話でござる。
 
 内容は、リアルタイムで知ることはなかった!!、「ハリマオ」のボーカルのひとり、「ニャロメ」こと矢栄さんについてのお話。「ニャロメ」は、宇崎竜童(マネージャー時代)がスカウトし、「キャッシュボックス(ギターが郡さん)」に参加。そして、幻の「ザ・カニバルス」に加入、そして、鳴り物入りで「ハリマオ」のボーカルとなった。
自分は、彼らを知って10年たっただろうか。ネット生活を送るようになり、「ハリマオ」を知り、「ニャロメ」を知った。もう彼この世にいないことも…。何年か前は、「ハリマオ」ファンによる掲示板があった。確か、EMAさん(お元気ですか?最近見かけない)とゆう方の掲示板だったと記憶する。多くのハリマオの写真が紹介された。
いや、そうだその写真(との出会い)の前に「魔女リー(GS関係サイト?)」さんところの掲示板で、「ニャロメ」さんについての質問が沢山出たんだ。で、その中に、「ハリマオ」解散後の「ニャロメ」さんのバンドの写真がUPされたんだった。メンバーがのっているのだけれど、「ニャロメ」を含め5名、このバンドについて教えてほしいとのことだった。 そのUPした方=「ニャロメ」さんのファンの方が遺族(母上様)から譲り受けた写真をBBC上に紹介した。
 その後のファンからの書き込みで「ニャロメ」の写真の活動したバンドは「アロウズ」といい、既存のバンドに「ニャロメ」が参加したことが分かった(真相は不明)。
 掲示板を見た別の方の証言から「アロウズ」のメンバーが判明する(これは前回お知らせしたことのある内容 )。ベース以外の方の名前はわかり、写真に写る残りの方(を除く)とKさんが加入して、幻の「ローズマリー」の弟バンドとして(マーガレット)活動していたことがわかった。実はKさんはそのメンバーの本名を知らぬまま、そのバンドをやめたそうです。在籍期間も短い。写真に写るベース担当の方のことはわからぬままとなった。それが2年前だった「アロウズ」の前身バンドがわかったことになる。  
 http://blogs.yahoo.co.jp/frictionreck/11805822.html
 http://blogs.yahoo.co.jp/frictionreck/11861096.html

 実は、この前、ネット情報で「ニャロメ」とバンド活動をしたと思われる方のことが、わかっていたので、勇気を出して(笑)連絡をとってみた。その方からニャロメさんとバンド活動した時のことを聞くことができた。とても親切な方で丁寧に答えてくださった。私がネットで見た写真も現物をご存知のようで、「帽子をかぶっているのが、僕だよ」と言われていた。30年前の写真で、いや(帽子をかぶる彼は)かわいらしい。自分からの連絡を受け、ベースの彼は、昔のアルバムを見たりされて、あるはずの写真がはがれてなかったそうだ(ネットで自分が見た写真)。彼が記憶をたどると、
ニャロメがなくなった時、ファンの方にあげたような気がするとのことだった。
 なので、私が見た写真(DLしていたので、)を持ち主に添付画像で送信した。戻るべきところに戻したので、良かったことにしよう(笑) 今回の題名はここからとったのだ!!
 
 ニャロメについて、歌がうまかった。甘い声が魅力的だったと。幻のベースの方はニャロメが不調の時は、ステージのセンターでボーカルを担当することもあったらしい。残念ながら録音音源は残っていないとのこと。彼は晩年はロッカーとして、もしや「ニューヨークドールズ」のジョニーサンダースのような生き方をしたのかもしれない。 彼はお通夜、葬式にも出席した(実家はI県で電車で行った)。供花には生前交流のあった 研ナオコの名前もあったとのこと(デビュー時にユニットで活動したらしい?)。 そうそう亡くなった日は…。 合掌。 ニャロメは写真を見るかぎり、痩せ男でハンサムで人柄もよさそうだ。 もし生きていれば、今何をしていただろうか? 
 
 (Kさん)は、その後バンドを少しだけ続けたがやめ、結婚して就職したとのこと。

 そうだ、魔女りーさんところで「(「アロウズ」の)ベースは全学連で爆弾をつくってた」と書き込まれていたけれど、それは誤報!!と判明。それもここに訂正しておこう(笑)。

  お答えくださった関係の方々 本当にありがとうございます。 
 もし、EMAさん、みていらしたら、コメください!!
 
  今読み返して、すごいわかりにくい事に気付きました。すいません。
 
  「マーガレット」 → ベース Kさん
  「アロウズ」   → ベース kさん(上のKさんと別の方)
             こちらのkさんに連絡を取り話をきいたのでし
            た。
             偶然にもKさん以外は同じメンバーで。
             ニャロメが加入した。
             kさんの話では、ニャロメが見付けてきた
            メンバーで偶然にも「マーガレット」と同じ
            メンになった思われる。
 
 こぼれ話;びっくりしたのは、そのベースの方は後の「Mーバンド(今年再結成活動中)」のボーカル藤タカシさんのバックバンドをしていたとのこと。恐らく、「ザ・スティング」時代より前だと思う。 アイドルような売り方をしていたらしい。TV「銀NOW」あたりに出ていたのだろうか? 人気があったらしい。 タカシ氏のパブリックコメントで、あまり聞いたことのない高校卒業時ぐらいの若かりし頃の話だろう。 また、Kさんに藤タカシさんについても今度聞いてみたいと思う。 「スティング」よりも前に作品を残していないのかになるところだ(今のところ不明)。
 
 Kさん及びニャロメ氏の写真はもしかしたらミクシーの私のフォトにあるかもしれません。
今回はKさんとSさんの話をもとに、第4、5、6期の「ハリマオ」について語りたい。
 
現在、「K.M.J」で活躍中のお二人からの情報。
 
Kさんが、『池袋メモリー』で、前半、後半でハコバンをされた時、もうひと方のバンドが、「ハリマオ」だったとのこと。
 
池袋メモリー』ッて今もあるのかな?
 
 80年代後半もトミーは「ハリマオ」で活動していたということになる。
 トラで演奏された方から聞いたのだ。『池袋メモリー』というところで、箱バンされていたそうだ。
 当時はパブのようなところで演奏してましたよ。とのこと。 Sさん情報。

Wine Spot(Kさんの当時のバンド※1)」が浅草に出演している時(時期は定かでない)、「ハリマオ」がツインボーカルになったとは聞いていましたよ(第5期?、第3期?)。その時のボーカルが山形ユキオ氏?と思われます(この頃、黒さんは居なかったようだ。 別の方の情報)。という証言をもらった。
山形さんが、アニメ系のレコード会社で売り出されていたのが、1984年あたりなので、その前か、その後が「ハリマオ」との関わりと思われる。
1970年代、山形氏と行動を共にしたMさんは、「トッシュ」解散後表舞台からいなくなったこともあり、「ハリマオ」の件を伝えると初耳と驚かれていた。
 
※1 80年代前半から中期に活動されたバンド。
   ライブハウスではなく、夜の街で箱バンとしてライブを行なってい
  た。メンバーに、町田義人のバンド、さらに、横山剣とバンドを組む
  ことになる方もいる。Kさんは、70年代にシングルでデビューをされ
  ている。

 (Sさんが)トラで参加した時の第6期「ハリマオ」のメンバーは、
 ヴォーカルトミーさん(ツインではなく、おひとりだそうです。)。ギター
 は、○○さん。ベースは、今のjazz界で活躍してるベーシストの池田達也(※2)。キーボードは大畑朋美(現在画廊を経営?) ドラムは特に書か れていない、誰だろう?
 
※2 池田達也Tatsuya Ikeda)ベーシスト、作編曲、音楽プロデュース、  etc...
 
 (以下は、ネットで見つけた関連情報を引用)
インタビュア 相当な練習やご苦労はおありでしたか?
I / 東京に来てキャバレーのバンド(これらが第6期「ハリマオ」であるかどうかは不明。)に入ったんですよ。まだ当時は日替わりでショーがあって・・・。ショーっていっても大したことなくて 新人の演歌歌手とか ヌードショーとかマジックとかね。毎日繰り広げられるショーが違うので、毎日違う譜面を読むことになりました。毎日違う譜面をさらって、休憩中もその譜面を読んでという感じで勉強しましたね。だから、19歳くらいからキャバレーの世界に入って、21歳くらいにはジャズクラブで演奏していましたね。だから、現場で覚えていたんですよ。先輩たちに怒鳴られながら、落ち込んだり、しょぼくれたりもしたんですけど。楽しくやりたいなってのがあったんで、苦労ってのは、なかったですね。その頃に知り合ったミュージシャンとは今でも仲良くできてます。
 
 K.M.J」のBassの Sさんが、この池田さんのトラで演奏したとのこと。
 
 それから、このKさんは、実は「ハリマオ」にいたという噂があったらしい。
 その一端は、ハコバンのタイバンをした第6期から、はるか昔、第1期「ハリマオ」結成の寸前(?)、Kさんは(確か、実さんでしたよね)誘わ
れたからだそうだ。Kさんは一緒に活動していたドラマーと一緒ならとゆう話をしたら、ドラムは、「堀内勉」さんに決まっていて、スタンバッテいるところだった。なので加入しなかった。その堀内さんは当時かなりの評判が良く、ひっぱりだこだったとのことだった。
 
  さて、第6期 「ハリマオ」は、その後どうなったのかはわからない。そして、2005年の第7期に正式に再結成するに至った。 再結成の前夜のバンドメンバーは判明している(※3)
 
 
 えーっと、お話していただいた、「KMJ」のSさん と Kさんに感謝です!!
 
 ご協力いただいた方々のおかげで、「ハリマオ」について少しだけではありますが、まとめることができました。 ありがとうございます。
 
 今もロックバンドで精力的に活躍中のお二人、これからも応援したい方々です。
 お二人にスポットをあてて、いつかご紹介したいものです。
 
  ※3トミーさん、RYUさん、Gt.: Viper中村(博英?)さん、DS 工藤(彦?)さ
   ん、Bバウハウス」にいたブーちゃんにて活動!!
 
   2005年 12月13日 香川ニュース  
   復活コンサートは18日午後四時から、西新宿の東放ミュージックカレッジ
   内ライブホールで開催。入場無料。解散後、富永さんはソロシンガーとして活
   動を続けていたが、一年半ほど前に音楽仲間と「これまでの総決算として、も
   う一度ロックをやろう」と意気投合。七人が集まってハリマオを再結成すること
   になった。オリジナルメンバーは2人。
  
   さらに、2005年12月15日  EBONY EYES」というライブハウスにて
  「(店の)25周年パーティー
   Vo.: 富永"Tommy"正廣 Vo.: 早見"Ryu"龍二
    Gt.:
黒澤ケンゴ Gt.: 中村博英 (六本木「BE」、今は無き「ViperClub」で
    活躍したとのこと。) DS; 不明  Key.: 河原豊
   B.: 宮沢啓光(プーちゃん FROM「ローズマリー」)  
    このメンバーから、第7期の「ハリマオ」に再編されていくのだと思います。
   
    実際のライブには実さんも参加されませんでしたか?
   その後のライブでは、 第3期のメンバー品川圭介さんもギターで参加しておりまし
   た。ドラムはハルポンだ。
 
  少し今回多くなりそうです。 情報提供者 K,さん。次回はもうひとりのKさん、Sさんということになります。
 
で、実は、第1期のGの黒さんに「ハリマオ」名義での活動したのは2006年のみとお聞きしたので、「第1期と第2期ハリマオ」がニャロメ在籍時ということで、統一することに。2期は、 ギター (クロさん  →  多田勇さん)とドラム( 堀内勉さん → 斎藤A2cさん)がチェンジするのであった。
「第3期と第4期と第5期と第6期ハリマオ」は、一応オリジナルメンバーはトミーのみの「ハリマオ」ということに。その時のメンバーが判明していないので、大雑把に第3期から第6期としている。Kさんのいた時期と、タイバンで演奏した別のKさん(もうひとり情報提供者)の情報をもとにしている。第3期か第5期に山形ユキオさんがいたと思われる時期ではないかと。
1979年〜1982年ではないかと思うのだが(「トッシュ」を解散しているので)、 自分はユキオさんは1980年代初期から中期と思い始めているのだが…
さらに、山形さんの後を平野さんがボーカルとしてついだのでは?確認できずにいるが、どうも 平野さんは「ハリマオ」には在籍していない
80年代初頭に山形さんがいた「トッシュ」とは別で、箱バンド(平野さんがいた「ハリケーン:※1」)の可能性が大 】と思われるのだが…。もしや、ベースの亡き藤澤さんもこの時期「ハリマオ」に参加したことも考えられるのだが(藤澤さんは1981年〜1984年にバンドを結成しているらしい。
山形ユキオ氏は、藤澤さんのバンドにいたという情報もある。 時期は不明だが、トミーと山形ユキオさんがツインの「ハリマオ」を見ている方も他にいらっしゃる。情報が錯綜して謎は深まる)? 
 
 だけれども、以下に示すKさんが「ハリマオ」に居た時期(第4期)には、山形ユキオさんはいないことはわかっている。

では、「アロウズ」の前身バンドに在籍した、Kさん(ベース担当)のバンド遍歴を追ってみよう。
 
テイク・ファイブ(「ペドロ&カプリシャス」のギター狩野敏勝さんがいた。                   37年前、1973 ←あくまで予想)」
 
マーガレット【かっちゃん(榊原克美)、マミー(古田政幸)、みむろのぼ
   る、ノン(奥本亮)のバンド】」
     そこまで活動は長くはいない。Kさんもすぐに脱退した模様。なので、メンバ
  ーの本名をご存じなかった。時期は、伊丹幸雄(ナベプロアイドル♪青い麦♪。
  同期は郷ひろみ)が『ローズマリー』にいた頃とのこと。
                          1976年←あくまで予想
 
「マーガレット」は、「ニューローズマリー」と名乗ることもあったらしい。 別の方の証言。
 この「マーガレット」が、「ニューローズマリー」と名乗り、ニャロメと活動したと言われる「アロウズ」となるのだろうか? 
   Kさんのあとのベーシストは運動家のようだ(笑)。
 
    ノンは16歳〜19歳(1975年〜1978)の頃、箱バン経験との事。「アロウ
      ズ」も含むであろうか?
 なお、「クリエーション」つながりで、70年代後半ジョー山中のバンドに
もノンは在籍したようである。
 
→「スモーキー【モト冬樹さんが作ったバンド。リュウ;早見龍(2006年再結成。第7期「ハリ マオ]のボーカル)、小林武史が在籍。このバンドが「ビージーフォー」へ発展する】」       1977←あくまで予想
 
     →「スピリッツ(テイチクのブラックレーベルからデビュー。シングル1枚)」
昭和53年/1978125日テイチクレコードから、「 機嫌を直してもう一度cw ラブ エンド」でデビュー。レコーディングには不参加。ボーカルは佐賀の方。今も地元で活動中。シングルジャケットにはKさんが映っているとのこと。まだ見つけていない(発見2014年8月北海道の中古レコード専門店、実は昔北海道で人気があった)。メンバー;木原慶吾さん、菅原さん、安田さん。1978年夏前旭川ツアーで解散したとのこと。            
                             1978
→「ドライブ」 小林武史、 龍、ジェフ;g 、HIROTO;DS(かも?)
→ 「ストーミー」 小林武史、龍、ジミー;g(箱バンで活躍「ハリケーン」、銀NOW出演の後藤ジロウ氏在籍のバンドと多少関係のあるバンド 訂正 )、

   →「リボルバー」Kさんが小林武史と一緒に在籍したのは僅か8ヶ月程。                       1979年(の後半かな)
武史が先にやめて杏里のバックを務めた。「リボルバー」以降は武史君と会っていない。武史は「ザ・ロックバンド(元アナーキー)」、「ミスチル」を手掛け有名なプロデューサーへ。その後の「リボルバー」のベースは確か松尾さんは、「オフコース」に参加。
 
実は、「トッシュ」のメンバーのギターユキさん(長尾行泰)は、「リボルバー」に加入している(1979年頃?)。ドラム(名前は不明 、Kintoki 金時さん)は1977年頃に「リボルバー」に加入していた。
1981年山形ユキオのアニメ「銀河旋風ブライガ」のシングルにも、小林武史さん(ピアノ)、長尾行泰さん(ギター)の名前が見られる。ワンショットのレコーディング契約であろう。彼らは、「リボルバー」と近いところで活動されいたと思われる。
 
   →パラキン(4年ほど在籍)では、ハルちゃん:斎藤晴久第2期「ハリマオ」「ザ・スティング(今関タカシ後の藤タカシ、「スロッグ」の鈴木正人在籍)」「ジュエリー(?)」と渡り歩き、「パラキン」へ。実は、「M−バンド」の誘いを断ったらしいさん、リュウ;早見龍2006年再結成、第7期「ハリマオ」さんと一緒にやった時期もある。 
                                          1980年〜1984
 「パラキン」のレコードでKさんのベースが録音されているものは2枚組のラ
イブ盤(有楽町そごうの最上階にあった読売ホールで行われた『ウェスタンカーニバ
ル』的な??よく覚えていないのですが、多数の歌手やグループが出演した催し物のラ
イブ盤。VO清水さんが♪ヒッピーヒッピーシェイク♪を歌ったとのこと)があるらしい。
 
「パラキン」の所持するビデオ映像は26年ほど前だと思う(1984年)。「懐かしのヒットパレード」とかいうタイトル?昼の番組?
NHKの昼のプレゼント」や、「テレビファソラシド」なんてのも出演。タモリさんのバックも勤めた。確か♪ ロック・アラウンド・ザ・クロック ♪ を歌われた。
 緑の文字表記は、私とKさんのメールでのやりとり。20104月時点で作成。もう1年以上も前の話。

→バイク事故で4ヶ月入院。
 
→「第4期ハリマオ」アン・プロダクション所属。他に「ザ・ヴィーナス」、大貫妙子さんがいたと聞いた。オリジナルメンバーはトミーさん。(黒さんも後半いたのかも ゲスト扱いかなー。)。トミーさんの誘いで、憧れの「ハリマオ」加入となり、大変嬉しかったのだが、箱バン生活に疲れ、1年で脱退したそうだ。        1984年〜1985                                                                            1985年ぐらい
この「ハリマオ」の流れを組む、このバンドはいつまで続いたのだろうか?(トミーさんの活動を確認するしかないようだ。2006年から 第7期 と第8期の再結成「ハリマオ」スタートする!!)
 (「ハリマオ」脱退後)当時「レベッカ」のディレクターをしていたというノブ(「パラキン」のボーカル)と一緒に少しだけバンドをやって、Kさんが作ったバンドが3つ程あるが、「ナイト・クローラー」というバンド名は思い出せるが、他の2つは忘れたと(笑)。本人の弁。現在はバンドはされていない。
  
※1「ハリケーン」については、メンバーも不明。もしやあの「銀NOW」に出演していた「ハリケーン」ではないか と思うのだが。もし、そうだったら、また話がやしくなる(笑)。たぶん、別物ではないかといまのところ判断している(※2)。平野さんの居た「ハリケーン」についてまだ不明である。ギターは、ジミーさんと呼ばれる方であることが判明(Kさんと龍と六本木でバンド活動した)。     
「ハリケーン」のツインボーカルで平野さんでない方とKさんはお話をしたことがあるとのこと。そして、このバンドが活動したのは1979年以降のことで、1984年ぐらいまでの間でだろうか?厳密には1982年までということにしておこうと思います。なぜなら別バンドで活動していることが判明したので。
    
  第2期「ハリマオについては 以下を参照 
 
 
 Kさんは、このブログの方ではありませんので、お伝えしておきます。
 
  ノブとは、一体誰なんだろう?これは、今気付いた(笑)。 
   
 Kさんから新たにご教示あり!! ありがとうございます。
 時期は不明であるが…、早見龍さんとKさんは「ドライブ」や「ストーミー」というバンドで活動したとのこと。また、ハルポンさんとは六本木のハコバン時代にお世話になったとのこと。
 
※2レコードデビューしていた「ハリケーン」の追っかけをされた方にハコバン「ハリケーン」画像を確認いただいた。同じメンバーはいなかった。厳密に判断したほうがよいのか? (その後)
 テレビで出た「ハリケーン」と同じメンバーがほとんどいない。
 前期の「ハリケーン」のメンバーが在籍していることが判明。話がややこしいことに(笑)
 

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