カトリンの黄昏。

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『昨年公開された映画、『ボヘミアン・ラプソディ』が大ヒットし、アカデミー賞各省を受賞。現在、クイーン及びフレディ・マーキュリーが再び注目を浴びている。

フレディの父親は植民地政府の会計係として仕事を続ける為、妻のジャーと共にザンジバル島(現在はタンザニア連合共和国)のストーン・タウンに引っ越してきた。ザンジバル島は、かつてイギリスの保護国だったが、現在は『アフリカのハワイ』と呼ばれ、リゾート地としても人気が上昇している。

1946年9月5日、クイーンのボーカリスト「フレディ・マーキュリー」はこの島で産声を上げた。出生時の名前は「ファルーク・バルサラ」。幼い頃、ゾロアスター教徒であった母ジャーに連れられて近所の寺院を礼拝していたのではないか?と言われている。

1954年、インド・ムンバイにある全寮制の英国式寄宿学校「セント・ペーターズ・ボーイズ・スクール」に進学の為に離島。(彼がピアノを始めたのはその少し前)。フレディはこの頃から複数のロックバンドで活動し、ピアノとヴォーカルを担当。12歳でスクールバンドの「ザ・ヘクティクス」を結成。当時の友人は、「ラジオを聴き、その後で聴いた曲をピアノで再現する、異様な能力を持っていた」と述懐している。

1963年、ザンジバルに戻り、つかの間の家族との団欒を過ごす。しかし翌年、「ザンジバル革命」が起き、沢山の被害者が出た為、身の危険を感じた一家は安全上の理由でイギリスへと引っ越した。

現在もフレディの生家はストーン・タウンのケニヤッタ・ロードに、『マーキュリー・ハウス』として残されている。建物は現在もアパートとして使われており、観光客が中に入る事は出来ないが、建物の窓などにはフレディー・マーキュリーの写真が飾られている。

愛の為に生きた生粋のスターであるフレディ・マーキュリーの人生を弔う人々が遠方からもやって来るとの事。この地で彼が育んだものはどんなものだったのか?我々に知る由は無いが、訪れる事で感じられる何かがあるかもしれない。』

*元記事は余計な言葉が多かったので、勝手に編集・減筆してみました。゚(゚^ω^゚)゚。

時は3月、日本では卒業の季節、桜の開花と共にYahooブログも卒業?|・_・`)チラリン

*移転先 黄昏カトリン https://ameblo.jp/katolinn91/


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