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東日本大震災では私の住居周辺でも大きな被害がありましたが、道路に面したお向さんの建物の解体工事がはじまりました。 こちらの建物の1階部分は私も月極の駐車場として借りていたのですが、今回の解体工事により引越ししました。 この建物のお隣にあった家具屋さんの建物は先週解体工事が終わり、今は更地になって今日は工事車両の置き場になっています。 お向が2軒とも解体されると、家の前がとても寂しくなりそうです。 こちらは今日市役所でもらってきた被災証明。 これがあると来年6月20日まで東北の高速道路の無料通行が出来ます。 私の住んでいる湯本地区と県中を結ぶ主要道路である御斉所街道が長期に亘り通行止めの見込みのため、石川方面への迂回路に湯本ICから勿来ICや三和ICまで無料通行出来るのは助かります。
その他、週一ペースで水戸方面に食材買い出しなどにも出かけているので、有効に使わせていただくつもりです。 |
日常の話
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3月11日2時46分頃は店舗内のTVでNHKの参院国会中継を見ておりました。 すると、画面に突然緊急地震速報が流れ、非常に強い揺れに警戒せよという。おおよそ10秒位経ってからだろうか、強烈な揺れに見舞われた。揺れは今まで経験したことのない位に強く、非常に長く続く。暫くは店舗内に留まっていたが建物の各所からミシミシと音がし始め、ふと外を見ると向かいの家具屋さんのビルの柱の外壁板がバキバキ折れるのが見えた。さすがに店舗倒壊したら助からないかもしれないと思いそれから慌てて外に飛び出した。外に出てからもまだ揺れは続いている。道路に出たものの揺れが非常に強く立つのも困難な位の凄い揺れ。両足を斜めに大きく開いて踏ん張ってやっと立った。自宅は鉄骨コンクリート造の丈夫な建物なのだが、正直倒壊するかもと思いながら見上げていた。家具屋さんの建物からは外壁の化粧ガラスブロックが次々と落下してきて道路一面にガラス破片が散乱している。本当に生きた心地のしない恐ろしい地震でした。 地震の揺れが治まった後、店舗のアナログTVにはNHKが写ったままでしたが、すぐに大津波警報を連呼。妻や母の安否が気になりTELするも携帯も固定電話も繋がらない。向かいの家具屋さんのガラス破片の掃除を手伝っていると、携帯に妻から無事とのメールが入った。その後固定電話にも妻から連絡が入る。どうやって電話出来たか尋ねると、公衆電話から掛けたら繋がったとのことだ。そこで、妻に母の方にも電話してもらい安否を確認してもらった。母の方も無事とのことで、ここで漸く安心することが出来ました。 その後は店舗を早めに閉めて平まで妻を迎えに行き、帰宅してからはTVに映し出される信じられない津波の映像に釘付けになり・・・。 屋上の観測所内の望遠鏡は当然転倒しているだろうと思いながら、屋上への階段に散乱した荷物を片づけて昇ってみると、観測所のスライディングルーフが半開きになっていた。なんと、激しい揺れでスライディングルーフのストッパー3か所の止め木が引きちぎられて閉まっていたスライディングルーフが開いていたのだ。良く見ると観測所の束石も尽くずれている。これは中はただでは済まないなぁと思って中を覗くと、なんとGINJI250とEM200が転倒もせずに立っていた。奇跡だな。おそらくフードを付けたままだったのでスライディングルーフにフードが引っかかって転倒を免れたのだろう。ST-8300は乾燥剤を入れたタッパ―に入れて床に置いていたので無事でした。観測所の土台に修理が必要だが機材は概ね無事だったらしい。 と、ホッとしたのも束の間だった。 福島第一原発である。 1号機で水素爆発を起こした時点で第二原発の4基も含め原発10基中半分以上で緊急事態となっていた。原発が最悪1基でも水蒸気爆発を起こした場合、私の自宅付近は人体に影響のある汚染に曝されることになるがその危険も十分に高いと考え、14日早朝に妻と母を連れて横浜の親戚を頼り避難することとした。 幸いなことに全くの偶然なのだが地震の日の朝にガソリンを満タンにしていた為、いわきから横浜までノンストップで走ってくることが出来ました。避難する途中のラジオで3号機の水素爆発のニュースを聞き避難が正しかったのだなぁと思いましたが、現状は自分が想定したよりは悪化しておらずややホッとはしております。現状は冷却作業の段階で、放射性物質の封じ込めに成功するまでは自宅に戻ることが出来ないかもしれません。 昨日発表されたSPEEDIの分布図を見ると、12日〜22日のわずかな期間でも、いわき市内で既に100mSvを超える地域があり、自宅周辺の値も50mSv位と読めることから、ここに留まって長期に生活を続けるのは危険であるという自分の判断は間違っていなかったようです。わずか10日程度の甲状腺被爆レベルが50mSvであれば1ケ月では150mSvという高い値ですし、この状態が1年続けば1800mSvですから私はここでは怖くて生活できません。 心配なのは、長姉の家族が一旦東京に避難したものの、仕事の都合で昨日再びいわきに戻ったのと、次姉の家族がいわきに留まり待機生活を続けていることです。願わくば西風で放射性物質が海の方に抜けて陸地に向かわないことを願います。 原発の問題では、中部大学の武田邦彦先生のブログを毎日参考にさせていただいております。非常に分かりやすい解説で、私のような素人にも大変良く理解することができます。 望遠鏡機材はすべて自宅に置いてきてしまったので、避難中は天文活動はお休みです。
また自宅に帰れるようになったら再開したいと思います。 |
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3日程前に、母が私のところにこんな変わった500円玉を持ってきた。 お店に買い物に来たお客さんがこの硬貨で支払いをしていったそうで、後で通常の500円硬貨と違うことに気付いたそうだ。 近所に切手コインを扱うお店があるので、母がそこに持って行って聞いてみたが、「おもちゃのコインじゃないか」と言われたとか・・・。 このコイン、良く見るとちゃんと「日本国 五百円」と書いてある上に「茨城県」って書いてある。 え゛、茨城県? コインの裏はこんな風だ。 JAPAN 47 PREFECTURES COIN PROGRAM って? 直訳すれば 47都道府県コインプログラム? 何のこっちゃ? コインを良く見ると真ん中の四角い枠の部分は見る角度によって「60」という数字と「47」という数字が見えてくる。お札のホログラムのような感じだ。 まあ、これはどうみてもオモチャコインじゃ無いよな。 地方自治とか書いてあるので、最初は 「かつての地域振興券のような、茨城県限定のコインだったりして?お隣の茨城県ではそんなものもあるのか」 とか一瞬思ったりもしたが、そんなニュースも聞いたことないよなぁ、何だろう?と悩んでしまいました。 でも、今はインターネット時代。ネットで JAPAN 47 PREFECTURES COIN PROGRAM を検索したら、私と同じように悩んでいた方がたくさんヒット。(笑) 独立行政法人造幣局のホームページにちゃんと出ていました。良かった、やっぱり本物の硬貨だったのね。 左からつくば万博記念コイン、今回のコイン、通常の500円コイン 今回のコインは500円硬貨と同じ大きさ 独立行政法人造幣局のHPによれば、地方自治法施行60周年の記念ということで、平成20年7月から平成28年度前半までの約8年間にわたり各都道府県のコインが発行されるらしい。 ということは、我が福島県のコインもいずれ発行されるわけだ。 でも、この記念硬貨は全然知らなかったなぁ。 47都道府県全部が流通すると何が何だか分からなくなりそう。でも裏面は全部同じデザインなのかしら。よくわかりませんが。 47全部集めるのもなにかたいへんそうですね〜。8年かかるしね。
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ということで、先程近所のお寺の豆まきが町内を歩き回りました。 私も御利益に肖ろうと豆をもらいましたョ! 豆をもらい損ねた人は、私の店で売っている落花生はどう? 一袋250円! んんん・・・、この豆って・・・ おおー、ウチで扱ってたのね〜、今まで気付かんかったヮ この豆に肖ったら超新星が発見出来たりして・・・(^o^) カタチもなんとなく小惑星イトカワみたいに見えてきた・・・
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遅ればせながら明けましておめでとうございます。 今日1月5日は、いわき中央卸売市場青果部の恒例初荷式がありました。 いわき市長の挨拶 恒例の投げ餅では4個ゲット! 今日の夜にストーブで餅を焼いて食べよう・・・(^^) 元旦の月食は全国各地で見られたようですが、残念ながら私のところでは雪雲に阻まれて月食を見ることができませんでした。 今年は幸先悪いかなぁ〜〜〜。 もっとも去年は1月1日にパソコンが故障したので、それよりはマシかな。 今年は良い年になりますように・・・! (^A^) ・・・大彗星、今度こそ北半球に来て!!!
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