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(2006年10月14日 撮影)
太宰府には、多くの万葉歌碑が建っている。
昨年(2005年)11月、「都府楼跡」から「観世音寺」へ行く途中の「学校院跡」に、
「山上憶良の万葉歌碑」が新たに建てられた。
先日、ひさしぶりに、その歴史の散歩道を歩いた時に撮影した。
「子らを思う歌」――万葉集巻5--802 山上憶良
瓜食(うりは)めば 子ども思ほゆ 栗食(は)めば まして偲(しぬ)はゆ
いづくより 来たりしものそ
まなかひに もとなかかりて 安眠(やすい)しなさぬ
「反 歌」 ----万葉集巻5—803
銀(しろがね)も 金(くがね)も玉も 何せむに まされる宝 子にしかめやも
(大意)
瓜を食べると子供の事が思われる。栗を食べると一層子供の事が偲ばれる。
子供はどこからきたものであろうか。眼前にむやみにちらついて、安眠させてくれることがない
銀も金も玉も子供の愛に比べれば、なんになろうか。どんな優れた玉も、子供には及ばない。
「山上憶良」
67歳の726年ごろ、筑前守として大宰府に下る。約2年後に赴任してきた大宰帥大伴旅人と
太宰府で沢山の歌を読む。「万葉集」に憶良が約78首、旅人が約76首の歌を残しているが、そのほとんどが筑紫の地で読まれたもの。
憶良は数年間、太宰府で過ごし、732年ごろ、帰京、翌年なくなったと考えられている。
(2005年11月に建てられた、都府楼跡の万葉歌碑)
http://blogs.yahoo.co.jp/ftomoki2005/17100217.html
http://blogs.yahoo.co.jp/ftomoki2005/38079282.html
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この歌は親の心・・・素直に頷けます。まさにその通りです。子を思い働き・寝ても思い。心配性が直ぐ顔をだします。禅のお陰で心配しないで済んでいます。今、今、只、今している事にのみ心(頭)と身体を一つにす る様に努力してます。子は何とも思ってないのに・・・
2006/10/17(火) 午後 4:51 [ さくら ]
[ さくら ] さん、こんばんは。「禅」は「今」に集中し、心を「空」にする事。母親が子供を思う気持ち、よくわかります。だからこそ、「禅」が生きてくるのでしょう。仏は自分の心の中にある、と聞いた事があります。「空」すなわち「何事にもとらわれない心」に到達した時に、仏になるという事でしょうね。
2006/10/17(火) 午後 6:26 [ ftomoki2005 ]
記憶が定かではないのですが、万葉の花探訪のような企画もあるようですね(専門家評論家はいざ知らず・・、)万葉人のおおらかさを愛でたい気持ちですーぽち
2006/10/18(水) 午前 2:21 [ 人生謳歌 ]
こんばんは お久しぶりです。宮崎からのカキコです。 私も頻繁に更新はできないけれどブログを始めました。 子供を思う親心がにじみ出ていますね。 子供たちが一人立ちをすると・・・なおさら小さい時の頃をよく思い出します。 大宰府の紅葉はいかがですか?
2006/10/18(水) 午前 2:52
銀も、金も‥‥。むかし、学校で習いましたね。ほんとうですね、その通りです。人の思いは大昔にも通じるんですね。
2006/10/18(水) 午前 8:56
[ jinnseiouka ] さん、ありがとうございます。ここ太宰府は、筑紫の万葉の里でもあります。多くの万葉集がこの太宰府で読まれています。大宰府に赴任した、中央の万葉歌人達が多くの歌を残しています。 と
2006/10/18(水) 午前 10:38 [ ftomoki2005 ]
「ふうたん」さん、お久しぶりです。「宮崎からのカキコです」を読んで驚きました。お元気だったでしょうか。まだ、絵手紙はやっておられますか。ブログを始めたとの事、今度訪問してみたいと思います。
2006/10/18(水) 午前 10:43 [ ftomoki2005 ]
あだーじおさん、いつもありがとうございます。山上憶良のこの歌は、誰でも知っていますよね。親の思いは、昔も今も変わりませんね。一番強い人間のつながりは、親子の関係ではないでしょうか。
2006/10/18(水) 午前 10:50 [ ftomoki2005 ]