水城・衣掛天神

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前日の「衣掛天神」の横、当時「鏡ヶ池」があったといわれている場所に、

「児島・大伴旅人の歌碑」がある。

『凡ならば かもかもせむを 恐(かしこ)みと 振りいたき袖を 忍びてあるかも』
(万葉集巻6−965 おとめ娘子)

『ますらをと 思へるわれや 水くきの 水城のうえに なみだ拭(のご)はむ』
(万葉集巻6−968 大納言 大伴卿)

天平2年12月、大納言になって奈良の都に帰る大伴旅とは、水城に馬をとどめ大宰府の方を振り返るのでした。ここまで部下の官人たちや名残を惜しむ人々が見送りに来ていて、その中に児島という遊行女婦(うかれめ)も混じっていました。

 彼女は太宰府館人たちの宴席に呼ばれて、歌や踊りを見せる娘子だったのでしょう。その児島ガ、「旅人が大宰帥という偉い人ではなく、普通のお方であったなら、お別れにああもこうもしましょうが、恐れ多くていつもなら激しく振る袖を、今日はこらえて振らずにおります。」(太宰府市「大宰府いしぶみ散歩」『太宰府市史文芸資料編』より)

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私はあまり詳しくはありませんが、万葉集には、このように庶民的な歌がありますね。児島の気持がなんとなくわかる気がします。その頃の風景はとか、そこにいたらとか、思いを馳せるのも楽しいものです。

2007/2/26(月) 午前 10:20 あだ〜じお

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「あだーじお」さん、ありがとうございます。1300年も前から、このような心情を詠った万葉歌が、残っていることは素晴らしいですね。今も昔も人の「心の思い」は、変わらなく霊妙なものですね。

2007/2/26(月) 午前 11:35 [ ftomoki2005 ]

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児島は才色兼備の女性だったようですね。大友旅人の宴席での歌も知っています。暗記はしていませんが・・・

2007/2/26(月) 午後 2:39 -

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「花と風景」さん、ありがとうございます。児島といい、大伴旅人の宴席での歌といい、さすがによくご存知ですね。こんなに近くに住みながら、私は今回始めて知りました。

2007/2/26(月) 午後 5:54 [ ftomoki2005 ]


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