|
(「山上憶良」の万葉歌碑 2007年3月2日撮影)
「山上憶良」
『官人。万葉の歌人。67歳の726年ごろ、筑前守(ちくぜんのかみ)(筑前国の役所の長官)
として太宰府に下る。約2年後に赴任してきた大宰帥 大伴旅人と太宰府で沢山の歌を詠む。
「万葉集」に憶良が約78首、旅人が約76首の歌を残しているが、そのほとんどが筑紫野地
で詠まれたもの。憶良は数年間、大宰府で過ごし、732年ごろ、帰京、翌年なくなったので
はないかと考えられている。74歳。』(太宰府市商工会作成のパネルより)
都府楼跡から約0.5キロ東、観世音寺・戒壇院に行く途中、「学校院跡」の一角に、
「山上憶良」の万葉歌碑が建っている。
「子等を思ふ歌」 万葉集巻5−802
瓜食(うりは)めば 子ども思ほゆ 栗食(くりは)めば まして偲(しぬ)はゆ
いづくより 来きたりしものそ
まなかひに もとなかかりて 安眠(やすい)しなさぬ
「反 歌」 万葉集巻5−803
銀(しろがね)も 金(くがね)も玉も 何せむに
まされる宝 子にしかめやも
(大 意)
瓜を食べると子どものことが思われる。栗を食べると一層子どものことが偲ばれる。
子供はどこから来たものであろうか。眼前にむやみにちらついて、安眠させてくれる事が無い。
銀も金も玉も子供の愛に比べれば、何になろうか。どんな優れた宝も、子供には及ばない。
山上憶良が筑前国守として国内を巡航し、神亀五年(728年)7月が21日に嘉摩郡(かまのこおり)
で選定した歌6首(800−805)の中の二首である。
始めに序文があり、釈迦の「衆生を等しく思うことラゴラ(釈迦の一子)のごとし」という
一句を引用して、子を思う親心を詠った万葉集の中でも特異な歌である。(歌碑の説明文より)
|
山上憶良は確か中国に留学していますね。貧窮問答歌や子を思う歌は憶良の真髄。私も好きです。この歌も良い歌ですね。
2007/3/3(土) 午後 4:15
「花と風景」さん、ありがとうございます。山上憶良は中国に留学したのですか、学者だったのですね。子供を思う気持ちは、1000年以上経った今でも同じですね。
2007/3/3(土) 午後 6:50 [ ftomoki2005 ]
この歌は高校のときに習いました。素晴らしい歌です。今の時代にも、す〜〜と心に響きます。人間の基本だからでしょうね。
2007/3/5(月) 午前 10:34
「あだーじお」さん、ありがとうございます。ほんとに、今も昔も親子の絆は、人間の基本ですよね。
2007/3/5(月) 午後 2:33 [ ftomoki2005 ]