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2006年12月31日の23時ごろ、観世音寺方面へ車で向ったが、すでに
自宅前の旧国道3号線は、すてに太宰府天満宮行きの車で渋滞していた。

普通の日なら、15分でいけるところであるが、このままのペースで行けば、
1時間以上はかかので、裏道を抜け、都府楼跡の駐車場に車を留め、観世音寺まで歩く。

都府楼跡の前の道は、真夜中にもかかわらず、のろのろ運転で車がつながっていた。

「戒壇院」に入るとすでに、多くの参拝客でいっぱいであった。「戒壇院」を
通り抜け、観世音寺境内へ入る。すでに観世音寺の、除夜の鐘が鳴り響いていた。

国宝の除夜の鐘は、普通の人がつくことが出来る。
すでに、鐘をつきたい人は並んでおり、すでに限度の人数で終わっていた。

国宝の梵鐘を傷つけない為に、観世音寺の除夜の鐘は、24時までできっちりと終わる。
その後は、戒壇院の梵鐘をつくことができる。ここにはまだ多くの人が並んでいた。

戒壇院の境内は、初詣の人ですでにいっぱいであった。

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2007年の年賀状は、昨年11月24日に撮影した、都府楼跡から眺める
四王寺山(旧大野山)の風景の写真にしました。

毎朝、この都府楼跡まで散歩し、1300年の悠久の歴史に浸っています。
この都府楼散歩を退職後すぐにはじめ、丸6年3ヶ月が経過しました。
ここを散歩しながら、氏神様である「坂本八幡宮」に行くまでに般若心教を唱えています。

昨年末、坂村真民さんの悲報を知ったのが、12月16日の知人の「ブログ」
からで、その後自宅の西日本新聞で確認しました。九十七歳でした。

悲報を知った日の前日(12月15日)の都府楼跡は、めったに見られないほどの
濃い霧に包まれていたのが、いつまでも脳裏に焼きついています。
http://blogs.yahoo.co.jp/ftomoki2005/42974288.html

山上憶良の万葉集に、
「大野山 霧立ちわたる わが嘆く 息嘯(おくそ)の風に 霧立ちわたる」
という有名な句があります。この大野山が都府楼跡から見える四王寺山のことです。

山上憶良は、67歳の726年ごろ筑前守として太宰府に下り、その2年後に赴任してきた大宰帥大伴旅人とたくさんの歌を詠んだ。
この憶良の歌は、大伴旅人の奥さんが亡くなった時、旅人に捧げた歌であったという。
息嘯(おくそ)とは、ため息の事。

因みに、「坂本八幡宮」は大伴旅人の屋敷後であった。そういう意味でも、
12月15日朝の霧は、心に残る霧であった。


昨年は世間を暗くする事件があいつぎましたが、2007年は、そのような霧が晴れ渡り、
輝かしい新年が迎えられますよう、皆様の益々のご活躍とご健康をお祈りします。

本年も宜しくお願い申し上げます。

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