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( 写真は、2008年5月3日市民の森にて撮影 朴の花 )
『老いをどう生きるか』 坂村真民 一日一言より 「5月26日」
一遍上人も芭蕉も、五十一歳でこの世を去られた。二人とも老翁の感じがする。
十分に生き抜かれたからだろう。特に芭蕉は自らを翁といっている。四十歳になると世を
譲り隠居した時代だから、五十歳になると翁という感じがしたのだろうが、現在は六〇歳
になっても翁どころではなく溌刺たるものである。でも後もそうないから老いは老いであ
る。この老いをどう生きるか、これが今後の一番大きなものになってゆくだろう。
ぼけず、寝たきりにならず、家族に迷惑をかけず、どう有意義に生きてゆくか、それは老
いてから考えてはもうおそい。若い時から考えておかねばならぬ重大な問題である。
今日の老人の悲劇は、そんなことを元気なとき考えなかったことからきている。
いつ死んでもいいと、日本人はよく言うが、それは根本的に間違っている。
釈尊は、そんな事は一度も言っておられない。熱砂を踏んで八十歳まで教えをといて歩か
れたのは、衆生よ、私の如くあれと、自らお示しになったことを思わねばならぬ。
私は釈尊の晩年に、そしてその死に人間としての最高の美しさを感じる。
二度とない人生を、どう生きるか。開きはじめた朴の木を仰ぎながら、切に思った。
この文章は、坂村真民一日一言より、今日(5月26日)の言葉です。
私も今年の9月で63歳となります。芭蕉や一遍上人より10年以上長生きしたことになります。
この文章を読んで、真民先生の言われる通り、「老いをどう生きるか」は、若い時から考えて
おかねばならぬ重大な問題、と認識いたしました。二度とない人生を、どう生きるか。
「自分は広大無辺の時空の中で、たった一つの、たった一回しかない命を生きている存在
なのである(致知六月号より)」・・自覚したいと思います。
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