平和への祈り

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今日は、広島に原爆が投下された、広島原爆の日でした。
1945年8月6日8時15分、原爆は世界ではじめて広島に投下されました。

今年に入り、5221人の犠牲者、原爆での犠牲者トータルで、253008人にのぼります。

『原爆が投下された午前8時15分、遺族代表の会社員黒田由希子さん(32)と、
次代を担う子どもを代表して、市立天満小6年惣田亮介君(12)が「平和の鐘」を打ち鳴らし、
全員が1分間の黙とうをした。

 続いて、秋葉市長が平和宣言を朗読。「被爆者の努力にもかかわらず、膨大な量の核兵器が
備蓄・配備され、核拡散も加速。人類は今なお滅亡の危機に瀕(ひん)している」と指摘。
核兵器を保有するなど、「時代に遅れた指導者たち」が、被爆者のメッセージに背を向けている
と強く批判した。』(読売新聞より)

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昨日、太宰府市中央公民館で見た「原爆の火」について、NHK総合テレビ、
8月6日7時45分〜8時で、ニュースでこのことが放映された。

星野村出身の山本達雄さんの息子さんが出られ、当時のビデオ映像を交えながら
「原爆の火」について話がなされた。

(ビデオ映像は、生前の山本達雄さんが、子供たちに語りかける映像。)

今日は、広島に原爆が投下された、広島原爆の日。
星野村の平和の塔の「原爆の火」も、この火、この広島にも灯された。

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(1枚目の写真=中央公民館前の星野村から持ってきた原爆の火。)
(2枚目の写真=山本達雄さん、3年前に84歳?で亡くなられた。)


2007年8月5日、太宰府市中央公民館で、「筑紫地区 8・6平和のつどい」
が行われ、内容も全く知らないまま、知人から誘われるまま見に行った。

まず最初に、「ヒロシマ・ナガサキの祈り」・・と題して、ギター演奏をバックに、
詩の朗読と星野村の平和の塔の由来のスライドが上映された。

内容を見て、驚かされた。
1945年8月6日、広島に投下された原子爆弾の火が、今も星野村で燃え続けて
いるという話であった。

『星野村出身の山本達雄さんは、その原爆投下の日、広島近くの汽車の中で被爆、
叔父さんの安否を調べるために、広島市内に向かうが、惨状がひどく一歩も進めなかった。

半月後、やっと広島市内に行き、叔父さんの死を知る。そしてせめて遺品になるもの
はなかろうかと、まだくすぶり続けている地下倉庫におりた。そしてそこに燃え続けている
小さな炎を発見し、持参していたカイロにそっと転火し、350キロ離れた星野村まで
持ち帰った。

そしてその火は、仏壇に灯され、二十数年の間家族の手で、丁重に守り続けられ、
1968年8月6日には、全村民に引継がれ、「平和を願う供養の火として永遠に灯し
続けよう」と「平和の塔」として建立され、62年後の現在に引き継がれている。』
・・という内容。

全く知らなかった私は、帰宅後、インターネットで調べてみた。多くが検索できたが、
その中のひとつ。http://www.union-net.or.jp/cu-cap/heiwanohi0516.htm

この原爆の火は、日本の各地や外国にも移され、灯されていることがわかった。

明日は原爆記念日、NHK総合テレビ、8月6日7時45分〜8時で、ニュースでこのことが放映
されるとの事であった。8月3日星野村ブログhttp://donkujira.blogzine.jp/

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(写真は、2007年6月10日冷泉公園にて撮影) 

今日(1945年6月19日)は、福岡大空襲の日です。
米軍の爆撃により2000人を越す死傷者が、この福岡大空襲で亡くなられました。

先日(6月10日)、父の命日に因み、兄弟4人、生まれ育った博多の実家に集まりました。
実家は今レストランになつており、二階の窓から懐かしい博多川を眺めながら、思い出話に
花が咲きました。

この博多の家も1945年6月19日夜、福岡大空襲で、焼失いたしました。

姉から聞いたところによると、母は逃げる準備をするとき、まず第一にご仏壇のお位牌を
持ち逃げたとのこと。その時、父は戦争に行って留守、母は長兄(当時5歳)、姉(小学校二年)を、
両手で引き、次兄を背負い、お腹にいた私を抱えながら逃げ出しました。

今はこの写真の「戦災記念碑」が建っていますが、その冷泉公園を左に逃げれば、
地下で約70人が亡くなったという伝説の「15ビル」があります。我われは、左に曲がらず
右に逃げその先のお寺で一夜を過ごし、一命を取り留めました。

その日の翌日、志賀島から迎えにきたおば(母の妹)と一緒に、志賀島に疎開し、その年の
秋、私は疎開先で無事生まれる事ができました。感慨深い出来事です。


2005年6月21日「ブログ」福岡大空襲に思う 
http://blogs.yahoo.co.jp/ftomoki2005/5228016.html

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今日(1月15日)、ハガキ人の仲間である福山のI.Tさんから大きな封書が届き、
その中に大きな「世界地図」(写真1)が入っていた。

I.Tさんは、今年の1月6日の真民先生の誕生日に、四国・松山の朴庵を訪ねられ、
そのとき真民先生のご自宅へ案内され、ご仏前におまいりさせていただいたとの
封書だった。

同封の大きな「世界地図」は、その時、真美子さんから頂いたもので、私に送ってきた。
「2007年世界が見える世界地図」とうたってあり、その地図には世界中の
「国旗」・「人口」・「言語」・「宗教」が記されており、

また「青年海外協力隊派遣国」・「PKOの派遣国」・「救急消防隊派遣実績」・
「文民警察派遣国」・「自衛隊緊急援助活動」・「夏期・冬期オリンピックの開催地」

そしてそれに加え、「世界に井戸を掘る会」・真民先生の「念ずれば花開く」詩碑の
設置場所(国)、まで記されていた。

坂村真民詩碑の設置状況は、平成16年2月1日現在
日本国内は655個、世界各地に、アジア19か所、アフリカ2、北アメリカ7、南アメリカ1、ヨーロッパ2、オセアニア2 全世界に合計33箇所。

真民先生は、『日本民族は大きな使命を授かっていると私には思えてなりません。
反目しあう民族を和解させ、宗教の争いを超えて、大和楽の世界を実現するという聖なる使命授かっています。それを成就させる為に私は詩を書き続けるのです。』と語っておられた。

そして真民先生最後の言葉は『国境のない鳥になる』と土生神社の宮司さんからお聞きしました。

先日、テレビで言っておりましたが、「世界には17952のNGO団体があり、
そのうち日本には800のNGOの組織がある。 日本人だからこそそのように
多くのNGO組織が可能だと。」


この世界地図には「この世界地図をみることにより、私たちは今、なにをなすべきかを
考える材料になれば幸です」と書かれていた。

真民先生の偉大さがあらためて身に沁みると同時に、考えさせられる「世界地図」であった。



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