水城・衣掛天神

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先日(24日)のブログで「衣掛天神」の話を次のように紹介しました。

「都より左遷された菅公は、長旅の後やっと「水城」に着き、旅衣を脱いで、傍らの松と石に掛け、新しい衣に着替えました。その旅衣をかけた「松」と「石」を祀ったのが、衣掛天神とされています。」

「松」に関しては、どうなったかお話しましたが、「石」については話しておりませんでした。実は「衣掛の石」は、神社近くのクリーニング工場の中に祀られていたのです。

昨日は、どうしてもその「衣掛の石」を見たくて、クリーニング工場の中に入らせてもらいました。工場の中の一番奥に、祀られていました。

石には「宝篋(ほうきょう)印塔」が浮き彫りされていました。

2007年2月24日撮影 衣掛天神
http://blogs.yahoo.co.jp/ftomoki2005/44990048.html

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前日の「衣掛天神」の横、当時「鏡ヶ池」があったといわれている場所に、

「児島・大伴旅人の歌碑」がある。

『凡ならば かもかもせむを 恐(かしこ)みと 振りいたき袖を 忍びてあるかも』
(万葉集巻6−965 おとめ娘子)

『ますらをと 思へるわれや 水くきの 水城のうえに なみだ拭(のご)はむ』
(万葉集巻6−968 大納言 大伴卿)

天平2年12月、大納言になって奈良の都に帰る大伴旅とは、水城に馬をとどめ大宰府の方を振り返るのでした。ここまで部下の官人たちや名残を惜しむ人々が見送りに来ていて、その中に児島という遊行女婦(うかれめ)も混じっていました。

 彼女は太宰府館人たちの宴席に呼ばれて、歌や踊りを見せる娘子だったのでしょう。その児島ガ、「旅人が大宰帥という偉い人ではなく、普通のお方であったなら、お別れにああもこうもしましょうが、恐れ多くていつもなら激しく振る袖を、今日はこらえて振らずにおります。」(太宰府市「大宰府いしぶみ散歩」『太宰府市史文芸資料編』より)

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昨日のブログ「特別史跡 水城跡」のすぐ近く(自宅から5−6分歩いた所)に、「衣掛天神」という、
小さな天神様を祀る神社がある。この付近は昔、「衣掛」(写真2)と呼んでいた。

この「衣掛天神」には、菅原道真にまつわる逸話が伝わっている。

『都より左遷された菅公は、長旅の後やっと「水城」に着き、旅衣を脱いで、傍らの松と石に掛け、
新しい衣に着替えました。その旅衣をかけた「松」と「石」を祀ったのが、衣掛天神とされています。

その「松」は今は枯れてて無く、この松を板にして、一枚は松の絵を描いて絵馬とし、
もう一枚は「衣掛天満宮」と書いた扇額として拝殿に掲げられています。

「衣掛の石」は、神社近くのクリーニング工場の中に現在も祀られています。

また、この神社の近くの「池」は、菅公が、この水に姿をうつして身だしなみを整えられたので、
「鏡ヶ池」の名がついたといわれています。

菅公が、ここで衣を替え、この池で姿を映した時、あまりにもやつれた自分の姿を悲しみ、
池の水をかき回した。すると、水はたちまちにごり、その後決して澄む事はありませんでした。

ここで身だしなみを整えられて、おそろしい番人のいる「刈萱の関(現在の太宰府市関屋あたり)」
を通って、ようやく、長い旅を終え、大宰府にお着きになりました。(太宰府市史文芸資料編より)』

この「鏡ヶ池」は埋められて今は無く、現在は大伴旅人の「水城」にまつわる万葉歌碑が建てら
れている(写真6)。この大伴旅人の万葉歌碑の物語は、次のブログで紹介します。

「特別史跡 水城跡」

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(水城跡模型および水城の木桶 九州国立博物館蔵 2007年1月23日撮影)
(現在の水城跡 2007年2月20日午後撮影)


私の自宅から10分ほど歩いた所に、「特別史跡 水城跡」がある。
都府楼跡とは反対の方向である。

その付近の地名は「水城(みずき)」と呼ばれている。

「水城」は664年に築造された土塁で、663年白村江の戦いで敗北後、大野城や
きい城などとともに築造された防衛施設。

長さ1.2キロメートル、基底部巾80メートル、高さ10メートルを超える人口の城壁である。
1350年経った今も強固な姿を残している。

九州国立博物館には、当時の水城築城の様子と現在の姿の模型および水城の「木桶」が展示されている。「日本書紀」に水城は「大堤を築きて水を貯えしむ」と記されている。水城土塁の外側の掘りには
内側から導水した巨木な木桶(写真4)が存在した。

「特別史跡 水城跡」の岡にのぼると、長さ1.2キロメートルにおよぶ土塁の跡が
見渡せる(写真8、10)。
写真8の中央の森の部分、及び写真10の森林が続いている部分が水城跡。 

1350年も前に、人の手で作られた土塁の上の道を歩いている(写真11)、と考える時、
言い知れぬ、人間の歴史の重みが感じられます。

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