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12月4日、福岡の弟の家の棟上が行われたので、行ってきました。
棟上式は,施主がここまでの現場の慰労と感謝のために行う。
施主の挨拶からはじまり、施主側の関係者の紹介、および工務店側の各担当の作業主の紹介があり、参加者全員、お祝いの赤いタオルを首から下げ、祝いの弁当を食べながらこれまでの関係者への感謝と今後の作業の無事を祈った。

棟上は、屋根からの餅撒き、と相場が決まっていたが、今は諸般の事情でやらないところが多い。

棟上といえば、お「酒」がつきものであるが、今回は昨今の事情も考慮して、お「酒」なしという事で、各参加者へ「ビール券」が配られていた。お酒なしの宴会であったが、これからは、このような「宴会」の形もいいものであると感じた。

福岡は言うに及ばす、日本全国、飲酒運転禁止の大キャンペーン中である。参加者の多くが「車」で参加している関係上、このような取り組みが今後普及していけば良いと切に感じられた。

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11月1日 発行の「写真ハガキ」の裏面全面写真と表面半分下の文面です。

「天満宮 飛龍天神ねぶた」

太宰府天満宮では、10月7日から31日まで「特別受験合格祈願大祭」行われました。
写真は、この大祭の為の「登龍門伝説」にちなんで、青森「ねぶた」飾り付けを、
天満宮の「楼門」に施したもの。10月18日、夜のライトアップを撮影したものです。

10月18日は、天神様が当時最大の難関の登龍門とされ、学界の頂点であった
文章博士に登用された日とのこと。この日にちなんで、祈願大祭が行われました。

この「楼門」の登龍門を通りご本殿へ参拝すると、難関を突破し躍進の栄光を
得られる・・・と言われています。

(後、各人宛ての文面が続きます。)

10月18日の「ブログ」です。参考まで。
http://blogs.yahoo.co.jp/ftomoki2005/41165516.html

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昨日(27日) 、朝の散歩で出会ったMさんの話に刺激され、「コスモス」を見に、
「能古島(のこのしま)」に行ってきました。

Mさんの話は、九州のキリンビール工場の敷地の「コスモス」が見事であったという話であった。
「コスモス」といえば、能古島(のこのしま)アイランドパークの「コスモス」が思い浮かび、
そうだ、久しぶりに能古島に行ってみよう、と思い立ちました。

『博多湾の真ん中に浮かぶ美しい島、能古島』(案内パンフレットより)
『周囲約12キロの小さな島は自然に恵まれた歴史のロマンがあふれています。
その昔、奈良時代(7世紀ごろ)の防人を歌った万葉歌碑や黒田藩時代に作られた
鹿の御狩場「鹿垣」の跡が残っています。
放浪の作家、壇一雄が魂のふるさととして晩年を過ごしたとして広く知られています。
また、井上用水の隠れた名曲「能古島の片思い」がほろにがい青春時代を
偲ばせてくれるでしょう。現在の喧騒を忘れさせてくれる能古島でのんびりとした時間を楽しんでください。』

太宰府から西鉄電車で福岡へ30分、福岡天神よりバスで姪浜渡船場へ30分、
姪浜渡船場からフェリーで能古島まで15分。
太宰府より1時間半程度で、博多湾に浮かぶ島、「能古島」に行く事が可能。

「能古島」につき、バスで「アイランドパーク」まで行く。
一番有名な、博多湾を見下ろしながらの「コスモス畑」の景観を、期待しながら
いったが、すでに盛りは終わっており、残念な結果であった。

目標のコスモス畑は見られなかったが、そこそこの「コスモス」や花たちは
まだ咲いており、観光客の目を楽しませてくれた。

四月の桜の頃も有名であるが、行った時に桜がちらほら咲いていたのには驚いた。
暖かかったせいか、桜が狂い咲きしていた。

能古島からは、福岡ドームやホテル、福岡タワー、巨大観覧車など、町の景観が眼前に見渡すことが出来た。

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昨日(10月22日)の日曜日、フルートを習っているサークルの演奏発表会(コンサート)があった。
娘も習っているので、親ばかで、発表会を見に行く。

同時にミニコンサートとして、「津軽三味線」の森永基木さんによる演奏があった。

発表会場は、福岡の「九州キリスト教会館」、演奏会場の「ステンドグラス」が印象的であった。

フルートは聞きなれているが、「津軽三味線」は生での演奏は始めて。マイクを通さず、眼前での「生演奏」は、迫力があった。

とくに、「津軽じょんがら節」は、その繊細なバチさばきと、圧倒される迫力に、聞き入ってしまった。

管楽器であれ、弦楽器であれ、西洋の楽器であれ、日本の楽器であれ、音楽は素晴らしい。
芸術の秋に相応しい、コンサートであった。

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(2006年10月14日 撮影)

太宰府には、多くの万葉歌碑が建っている。
昨年(2005年)11月、「都府楼跡」から「観世音寺」へ行く途中の「学校院跡」に、
「山上憶良の万葉歌碑」が新たに建てられた。
先日、ひさしぶりに、その歴史の散歩道を歩いた時に撮影した。

「子らを思う歌」――万葉集巻5--802   山上憶良

瓜食(うりは)めば 子ども思ほゆ 栗食(は)めば まして偲(しぬ)はゆ

いづくより 来たりしものそ

まなかひに もとなかかりて 安眠(やすい)しなさぬ

「反 歌」 ----万葉集巻5—803

銀(しろがね)も 金(くがね)も玉も 何せむに まされる宝 子にしかめやも

(大意)
瓜を食べると子供の事が思われる。栗を食べると一層子供の事が偲ばれる。
子供はどこからきたものであろうか。眼前にむやみにちらついて、安眠させてくれることがない
銀も金も玉も子供の愛に比べれば、なんになろうか。どんな優れた玉も、子供には及ばない。

「山上憶良」
67歳の726年ごろ、筑前守として大宰府に下る。約2年後に赴任してきた大宰帥大伴旅人と
太宰府で沢山の歌を読む。「万葉集」に憶良が約78首、旅人が約76首の歌を残しているが、そのほとんどが筑紫の地で読まれたもの。
憶良は数年間、太宰府で過ごし、732年ごろ、帰京、翌年なくなったと考えられている。

(2005年11月に建てられた、都府楼跡の万葉歌碑)
http://blogs.yahoo.co.jp/ftomoki2005/17100217.html
http://blogs.yahoo.co.jp/ftomoki2005/38079282.html

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