都府楼 朝の散歩

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( 画像はクリックすると大きくなり、説明板も読みやすくなります )

大伴旅人邸は、都府楼跡の西北、坂本八幡宮あたりにあったと言われています。
その坂本八幡宮のすぐ近く、隣に都府楼跡の石碑が見渡せる梅林の中に、万葉歌碑が建てられています。

その万葉歌碑は、大宰帥大伴旅人邸で盛大に催された「「梅花の宴」で歌われた歌が
書かれています。

『 正月(むつき)立ち 春の来きたらば かくしこそ 梅を招(を)きつつ 
楽しき終(を)へめ 』  大弐紀卿(だいにきのきゃう)

大意 「正月になり春がきたなら、このように梅を招いて楽しい日を過ごそう」

『 万葉集の中で最も華やかな「梅花の宴」が天平2年(730年)正月13日、大宰帥大伴旅人邸で
盛大に催された。九州管内諸国の官人32名は中国渡来の梅を題材に歌を詠んで、春の一日を楽しんだ。この歌は、宴の開始にあたり、主賓の大弐紀卿(だいにきのきゃう)の挨拶として、梅を客人のように
みたてて歓迎したお祝いの歌とされている。 』
(万葉歌碑の説明板より)

正月13日は太陽暦の2月8日のこと、渡来の梅の花が咲き始める頃。
大伴旅人邸での『梅花の宴』では、集まった九州諸国の官人32名の中に、
主賓の大弐紀卿とともに、山上憶良、小野老、沙弥満誓、大伴百代らがいたとされて
います。

主賓の大弐紀卿の挨拶の歌に次いで、山上憶良は
『 春さればまづ咲く屋戸の梅の花独り見つつや春日暮らさむ 』と詠う。

やがて大伴旅人が『 わが園に梅の花散る久かたの天より雪の流れ来るかも 』とうたい
宴が進められたと記録されています。

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( 画像は、クリックすると大きくなります。)

今朝(2008年2月13日)の日本列島、今年一番の寒さで冷え込んでいます。
ここ太宰府も朝から、小雪がちらついています。
一昨日は、晴れのいい天気でしたので、この天候の変わりようには、戸惑っています。


連休の最終日(2月11日)は、久しぶりに晴れのいい天気になり、都府楼跡に散歩に行ってきました。
今朝の写真は一昨日(2月11日)の都府楼の風景です。

散歩の途中の 御笠川にはサギの姿を見かけました。
都府楼では、朝の散歩の姿が見受けられ、早咲きの白梅は、満開に近い状態でした。

都府楼跡裏の坂本八幡宮の手前に咲く白梅も、同様に花ひらいておりました。
いつもの様に、都府楼跡裏の坂本神社にお参りしてきました。
『 宇宙の無限の力が凝り凝って真の大和のみ世が成り生った 』

境内の大伴旅人の万葉歌碑前の「紅梅」は、まだ蕾の状態でした。
歴史の散歩道の途中にある「坂本公園」の白梅もほぼ満開の状態でした。


願い   坂村真民

念ずれば花ひらく

八字十音の真言を

流布させ給え

風の如くに

花の如くに

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都府楼までの朝の散歩では、御笠川の公園を通ります。梅の咲き始めの頃は、
この公園の梅の咲き具合が楽しみです。1月の半ばには、すでに5〜6輪の
梅の花を見つけました。その公園の梅が5部咲き位(1月24日撮影時)に
なっていました。

都府楼跡の前の道(政庁とおり)には、盲人用に黄色い道路の標識が続いています。
この道沿いに、「学校院」「戒壇院」「観世音寺」などの史跡がづらっと並んでいます。

都府楼跡の万葉歌碑横の紅梅ば、ほぼ満開になっていました。

いつもの様に、都府楼跡裏の坂本神社にお参りしてきました。
散歩中の中年のご夫婦が、神社の前で、お祈りしてあるのに出会いました。

境内にある大伴旅人の万葉歌碑前の紅梅は、まだ蕾の状態でした。


念ずる心   坂村真民


善根熟すまで

念々怠らず精進して

自己を作っていこう

そしたら

春風吹き来った時

芽を出すこともできよう

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( 写真は2008年1月2日撮影、クリックすると大きくなります。 ) 

2008年元旦は、この冬1番の寒気到来で、この太宰府も初雪が降った。
翌、1月2日は、昨日までの荒れ模様もおさまり、朝は曇り空であったが、昼前には太陽も顔を出す
いい天気になった。

2008年1月2日、10時頃より今年初の「都府楼 朝の散歩」に出かけた。
この日は、いつものルートとは違う、自宅近くの国道旧3号線を「都府楼跡」の方向へ歩く。
いい天候になったせいか、すでに道路には太宰府天満宮への初詣の車が、延々と繋がっていた。

旧3号線より、左折し「政庁通り」に入りまっすぐ歩くと、左側に「都府楼跡」に出る。
都府楼跡入り口の石段を登ると、「太宰府政庁跡」の広大な敷地が広がる。
正面の山は、四王子山(旧大野山)で薄っすらと雪が積もっているのが見える。

1300年前に建てられていたであろう太宰府政庁の建物の柱の「礎石」が、点々と見えるだけ
の空間であるが、この広大な空間が何とも言えない歴史への郷愁を誘う。
中央石碑の右手には、この地域で一番高い山、「宝満山」にも雪が積雪していた。

この都府楼跡のすぐ裏に、この土地の氏神様である神社がある。
いつも散歩時におまいりしている「坂本八幡宮」。境内の「猿田彦大神」の石碑
に正月の注連飾りが飾られていた。
今年一番の初詣として、世界、家族、知人、もろもろの安寧をお参りしてきた。

都府楼跡の角の万葉歌碑横の「梅ノ木の花の蕾」が、膨らんでいた。

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私は毎朝、都府楼跡まで散歩をしていますが、そこで、3基の大伴旅人の万葉歌碑
に出会います。

1基目は、都府楼跡の入り口。2基目は都府楼跡裏の小道。3基目は坂本八幡宮境内。


1基目 万葉集巻六 九五六  (都府楼跡の入り口)

『 やすみしし わご大君(おおきみ)の 食国(をすくに)は 
倭(やまと)も此処(ここ)も 同じとぞ思ふ 』

( 私がお仕えする大君が、安らかにお治めになる国は、中央の大和もここ大宰府も同じ、
異なることはないと思っている。)


2基目 万葉集巻五  七九三 (都府楼跡裏の小道)

『 世の中は 空(むな)しきものと知る時し いよよますます かなしかりけり 』
先日の私のブログで紹介http://blogs.yahoo.co.jp/ftomoki2005/50754779.html


3基目 万葉集巻八  一五四一 (坂本八幡宮境内)

『 わが岡に さ男鹿(をしか)来(き)鳴く 初萩の 花嬬(はなづま)問ひに 
来(き)鳴くさ男鹿(をしか)  』

( 私の住む岡に牡鹿が来て鳴いている。今年初めての萩の花が咲き、
牡鹿がやってきて妻問いをしている事よ )

この坂本八幡宮があったあたりは、大伴旅人邸跡と伝えられています。

( 写真は、2007年12月10日に朝の散歩時に撮影 )
( 写真の説明版は、クリックすると大きくなり、読みやすくなります )


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