都府楼 朝の散歩

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毎朝散歩する都府楼跡のすぐ近くに、「古代米」の栽培を行っている場所があります。

その場所には、「赤米」と「黒米」の「古代米」が植えられており、赤米が丁度赤く染まり、
実りの頃となったので、昨日の午後と今日の朝、「赤米」を撮影してきました。

最後の写真は、昨日の撮影の「普通の稲」、今実りの季節でもあります。



『史跡地の管理・景観維持のため、また時代を担う子供たちに田植え稲刈り、などを体験
してもらうことを目的に、古代人が食べていたといわれる「古代米」の栽培を行っている。

「赤米」・・玄米の色が赤褐色で、少し精米するとうすい赤色になる。
野生稲の大部分が赤米であることから、米のルーツであり赤飯の起源であると言われている。

「黒米」・・玄米の色が黒色で、少し精米すると米が黒色になるため、
紫米や紫黒米とも言われている。ミネラルやビタミン類を多量に含み、植物繊維も豊富。』
( 古都大宰府保存協会のたて看板より )

2006年9月7日ブログより
http://blogs.yahoo.co.jp/ftomoki2005/39688715.html
昨年の今頃(9月6日)、西日本新聞に載り、このブログに掲載したのを思い出しました。
今年も9月9日、西日本新聞朝刊一面に掲載されたそうです。
(私は、現在毎日に切り替えておりますので見れませんでした。)

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今朝(8月22日)の太宰府は、晴れ。少し吹く風が爽やかかなと感じられる
朝ですが、まだまだ暑い日がつづいています。

今朝は、少し遅くなり6時10分ごろ都府楼跡への散歩に出た。

昨日の朝の空は、秋を思わすうろこ雲が、空全体を多い幻想的な風景を醸し出して
いたが、今朝の空は晴れてはいたが、少しどんよりとしていた。

三笠川沿いの道を左折し、都府楼跡が真正面に見えたあたりで、耳のイヤホーンの
NHKラジオから六時半からのラジオ体操の始めの音楽が流れてきた。

都府楼跡に到着する前に、体操の音楽が鳴り出し、歩きながら・手を動かしながらの
散歩になった。第一体操の途中で都府楼入り口の石段を登り、前の広場で第2体操をすることになった。

今朝も、なじみの3、4人の人がいつもの場所で体操を始めていた。
今朝で都府楼跡でのラジオ体操は28日回目になる。

( 写真は、2007年8月18日 6時45分ごろ撮影、中央の本殿跡の石碑と礎石、
朝日の左横の山が宝満山、この宝満山の右側に昇る朝日を拝みながらの朝の
ラジオ体操である )

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今朝(8月10日)の太宰府は晴れ。
連日の猛暑が続いている。朝5時半の室温は、すでに30度を越えていた。
今朝は、6時ごろ都府楼跡への散歩に出た。

朝の風は心地よかったが、歩くうちに少しづつ汗がにじみ出て、首に掛けている
タオルで拭きながらの散歩である。

三笠川沿いの道を左折し、まっすぐに伸びた道を歩くと突き当たりが、都府楼跡の入り口。
いつも今頃の季節、入り口手前の道路わきに芙蓉の花が咲く。その花を見て、入り口の
石段を登り太宰府政庁跡に入る。

丁度その頃、携帯ラジオのイヤホーンが6時30分を知らせる。
NHK朝のラジオ体操の始まりの音楽が聞こえ、中央の石碑の近くの所定の場所に
つく頃、ラジオ体操第一がはじまる。

私は、今年(2007年)7月23日の月曜から、6時半からの朝のラジオ体操を、都府楼跡で始めた。
何日か出来ない日があったが、今日で16回目。
朝日に向かって、四王寺山(大野山)の右、宝満山の右側に昇る朝日を拝みながらの
朝のラジオ体操はまた格別である。

夏休みの時期は、早朝のNHK「全国巡回ラジオ体操」である。
この都府楼跡にも何年か前に、「全国巡回ラジオ体操」の会場になったことがあり、
ここで体操をしたことを思い出す。

この夏の「全国巡回ラジオ体操」がある間は続けるつもりである。

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今朝(7月21日)の太宰府は曇り空。
いつものラジオ体操の後、都府楼跡まで散歩に出かけた。

来週はじめには梅雨も上がりそう、との天気予報だが、まだ梅雨は明けない。
雨で水かさが増した三笠川には、「鷺」が2羽、川中に佇んだり飛んだり。

都府楼跡に着くと、背景の四王子山(大野山)は、霧が立ちこめ、幻想的な姿であった。

都府楼跡・石段手前の「掘り」端に、小学生の子と父親が仲良く、通知表らしきものを
眺めながら座っている姿が目に入った。そういえば今日から夏休みだ。

来週24日からは、子供たちの「朝のラジオ体操」が、各所で見られる。
この都府楼跡ではやっていないが、朝の散歩の途中に、出欠カードを胸にかけた子供たち
に出会うはずだ。


都府楼跡裏の小道を直進すれば、「坂本八幡宮」。その小道の右手には、大伴旅人の
万葉歌碑がお参りに行く人を静かに眺めていた。

『世の中は 空しきものと 知る時し いよよますます 悲しかりけり』
神亀五年六月二三日 大伴旅人 万葉集巻五 七九三

「大宰府赴任後妻を亡くし、不幸を重ね、世の無常を知ったときの悲しみの中から、
旅人の風情は生まれてゆく。万葉筑紫歌群は、この一種に始まるのである。」
(歌碑解説より)

「坂本八幡宮」に朝のお参りを済ませ、帰路につく。
多くの花は盛りを過ぎ、散っていたが、残りの「ノウゼンカズラ」の花が、
彩りを添えていた。

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今朝(7月10日)の太宰府も曇り空。
昨日(7月9日)の朝も降りそうで降らない、時々霧雨が降る中、都府楼跡まで
散歩に出かけた。

三笠川沿いの道を左折し、まっすぐに伸びた道を歩くと突き当たりが、都府楼跡である。
都府楼跡の手前、左手店屋横に、高浜虚子の文学碑が立っている。

『夜都府楼跡に佇む天の川の下に天智天皇と臣虚子と』

昭和28年11月10日の句とインターネットを調べると載っていた。
時あたかも七夕の時期、天の川の虚子の句が目に入ったので、写してきた。

都府楼跡から眺める光景は、梅雨時のせいか、背景の四王子山(大野山)が、霧雨に
かすんで見えなかった。

いつもの「坂本八幡宮」にお参りした後、今は咲いてない合歓の木の下を通り、
例の古い立ち木(後で調べて「榎木」と判明)に朝の挨拶をし、歴史の散歩道をとおり
自宅に帰る。

このごろの季節、途中「花と風景」さんのブログで名前を覚えた「アガパンサス」や
「ノウゼンカズラ」の花が、目を楽しませてくれた。

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