都府楼 朝の散歩

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今朝(4月27日)の太宰府はどんよりとしたうす曇。空は薄っすらとかすんで見えた。
いつものように、7時前ごろから「都府楼跡」までの散歩に出かける。

三笠川に沿いの桜並木は、すっかり葉も茂り、桜並木の下のつつじの赤い花が咲き始
めていた。都府楼跡に通ずる並木道の、木々の新芽が伸び出し、少し赤みを帯び出し
ていた。

都府楼跡で、久しぶりに体操中のMさん夫婦に会い、つい話し込んでしまう。

都府楼跡中央の石碑側の大木の緑が、朝の都府楼後の清清しさを演出していた。

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先日は、「坂本八幡宮」への新たな大伴旅人の万葉歌碑 建立の報告をしたが、
もう一基、前あったところの万葉歌碑が、建て替えられていた。

この場所も、毎朝通る、「坂本八幡宮」のすぐ近くであった。

この歌碑の説明板より

『世の中は 空しきものと 知る時し いよよますます 悲しかりけり』
大宰帥 大伴旅人
大意  ( 世の中は空しいものだとつくづく知る時、いよいよますます
悲哀の感を新たにすることだ))

大宰府赴任後妻を亡くし、不幸を重ね、世の無常を知った時の悲しみの中から、
旅人の風流は生まれていく。万葉筑紫歌群は、この一首に始まるのである。

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朝の散歩でいつもお参りしている都府楼跡横の氏神「坂本八幡宮」に、
新たに大伴旅人の万葉歌碑が、2007年3月末日に建立された。

この歌碑の説明板より

『わが岡に さ男鹿来嗚く 初萩の 花嬬問ひに 来嗚くさ男鹿』
大宰帥 大伴旅人

大意  ( 私の住む岡に男鹿が来て泣いている。今年初めての萩の花が咲き、
男鹿がやってきて妻問をしていることよ。)

このあたりは、大宰帥大伴旅人の邸跡と伝えられいる。
旅人邸は、「万葉集の華」とも言うべき梅の花の宴が開かれた場所としてよく知られているが、
赴任後まもなく妻を亡くした旅人の暮らしは心寂しいものであった。

萩の花が咲き初める初秋、牡鹿が牝鹿を求めて嗚く求婚の甲高い声にも、
妻を想う自分の心を重ねずにはおられないのであった。

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今朝(4月5日)の太宰府は快晴。黄砂現象も無く、空は青く澄み切っていた。
いつものように、6時半のラジオ体操を済ませた後、7時ごろから「都府楼跡」
までの散歩に出かける。

今朝はかなり冷え込んおり、冬用のジャンバーを着て、外に出る。4月はじめと
言うのに、吐く息が白い。

満開だった三笠川に沿いの桜並木は、桜も散り始め、緑の葉が所々伸び出していた。
桜並木の下のつつじの赤い花が咲き始めていた。今年のつつじの開花も早い。

都府楼跡に通ずる並木道の、木々の新芽が伸び出して、少し赤みを帯び出していた。

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今朝(3月17日)の太宰府は、快晴の良い天気であった。
朝のテレビ体操を済まし、7時、都府楼跡までの朝の散歩に出た。

朝の冷え込みはまだ続いている。2月が暖かかったので、2月と3月が逆転
した様相である。2月に暖冬をもたらした「エルニーニョ」現象が終わり、
「ラニーニョ」が現れつつあると、ラジオで伝えていた。

都府楼の万葉詩碑横の梅の花は、すでに盛りを過ぎ散っていた、まもなく
桜の季節に入る。

都府楼跡の「石碑」と「礎石」を、はるか昔、山上憶良らが眺めていたであろう
背景の大野山(四王寺山)が、静かに見つめていた。

今朝の都府楼跡も静かであった。


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