都府楼 朝の散歩

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3月11日、戒壇院での「写経」の後、都府楼跡に立ち寄ってみた。

風が強い日であったが、青空の広がる気持ちの良い日であった。

日曜日であったためか、子供たちの姿も見られ、

平和の象徴「鳩」と戯れる子供の姿が印象的であった。

今日(12日)から北日本は、低気圧通過の為荒れ模様との事、地球温暖化の影響かと

すぐに考えてしまう。将来とも美しい地球であってほしいですね。

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昨日の朝(3月1日)の太宰府は、雲ひとつない晴のいい天気であった。
久しぶりに、いつもの都府楼跡までの散歩に出かけた。

放射冷却のためか、朝の冷え込みも大きかったが、昼間はぐんぐん気温も上昇し、
四月上旬の気候となった。

三笠川に着いた頃はすでに真正面の朝日は、昇ぼり、明るく輝いていた。

都府楼跡に着き、南門跡の右手の「万葉歌碑」が建っているところの「梅」を見に行く。
白梅と紅梅の二つが植えてあるが、紅梅はすでに盛りを過ぎ、花はすでに散っていた。

しかし手前の「白梅」はまだ花を咲かせていた。この白梅をよく見ると、所々ピンク色の
「紅梅」が咲いている。これは例の「思いのまま」ではないのか。よくよく観察すると
「思いのまま」の品種に間違いはありませんでした。

朝のブログで、「花と風景」さんの「輪違い(りんちがい)」を見た後、散歩に出て、
都府楼の白梅が「輪違い(りんちがい)」=「思いのまま」である事を確認しました。

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(2007年2月19日西日本新聞記事)
(万葉歌碑 梅 2007年2月11日午後撮影)

昨日(2月19日)の西日本新聞に、「梅花の宴」についての記事が出ました。

「奈良時代の服装を模した衣装を着て和歌を詠む催しが、太宰府市の太宰府館にて、
開かれた」という記事、約100人が和歌を朗唱し、気分は万葉歌人。

都府楼跡の奥の梅園に、「梅花の歌」の万葉歌碑が建っています。
大弐紀卿の「梅花の歌」という題の歌です。

万葉集巻5−815
『正月(むつき)立ち 春の来たらば かくしこそ 梅を招(お)きつつ 楽しき終へめ』
大弐紀卿(だいにきのきゃう)

大意  正月になり春がきたなら、このように梅を招いて楽しい日を過ごそう

『万葉集の中でもっとも華やかな「梅花の宴」が天平2年(730年)正月13日、
大宰帥大伴旅人邸で盛大に催された。九州管内諸国の官人32名は中国渡来の梅
を題材に歌を詠んで、春の一日を楽しんだ。この歌は宴の開始に当たり、主賓の
大弐紀卿(だいにきのきゃう)のあいさつとして、梅を客人のように見立てて歓迎
したお祝いの歌とされている。』―――万葉歌碑の説明文より――

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昨日までの雨模様と打って変わって、今朝(2月19日)の太宰府は快晴。
久しぶりに、都府楼跡までの朝の散歩に出た。

日の出がだんだんと早くなり、ラジオでの福岡の日の出は、6時59分と告げていた。
太宰府は周囲に山並みもあり、それより若干遅くなる。

7時に自宅を出て、三笠川の橋についた頃(7時15分)には、すでに朝日は
昇っていた(写真1、2)。三笠川沿いの道を歩くが、真正面に朝日が見える。

梅の花もあちこちに咲いており、この付近で一番早く花を咲かせる白梅は、
盛りを過ぎて、すでに半分以上散っていた。そのかわり他の紅梅が咲き誇っていた。

2月のなかば頃に、すでに梅の盛りが過ぎつつあるのを感じるのは、
やはり今年の暖冬を強く感じさせます。

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今朝(2月6日)の太宰府は晴のいい天気であった。
今朝は朝の冷え込みもなく暖かい、久しぶりに7時ごろから「都府楼跡」
までの散歩に出かけた。

徐々に朝日が昇る時間も早くなってきたて、三笠川に着いた頃は朝日が昇る
寸前であった。三笠川沿いの公園の「梅」も、ほぼ満開に近いくらいに咲いていた。
今朝も「かも」たちの数羽に出会う。

「都府楼跡」についたころは、すでに朝日も昇り始め、都府楼の礎石群を赤く染めていた。

「都府楼跡」を抜け、「坂本八幡宮」に朝のお参りをする。「坂本八幡宮」にかかる朝日が
まぶしかった。

「坂本八幡宮」は、昭和19年発行の福岡県神社誌によると
『祭神は応神天皇 由緒は不詳となっている。しかしおそらく…・天文、弘治
のころ勧請された。…と言われていると書かれている。明治5年11月3日当時
の制度に基ずく村社と定められた。』
天文、弘治とは、後奈良天皇の1526年から正親町天皇の1586年の範囲。
「坂本八幡宮」の由来は、織田信長が活躍した時代まで。500年近く遡る事になる。

八幡信仰は、大分県宇佐市の宇佐八幡から広まる。6世紀、宇佐神が
「われは応仁天皇である」とお告げ。
11世紀には清和源氏の氏神とされ広く武人の守護神として、
全国に勧請されることになった。
全国では、お稲荷さんについで八幡さまが2番目に多いといわれている。


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