太宰府 戒壇院

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今朝(6月15日)の太宰府は梅雨空の雨。
戒壇院にて、「菩提樹の花と笛の音」と題し、「だざいふリコーダーアンサンブル」の演奏会が
ありました。同時に九大コールアカデミーの合唱団員が歌ってくれました。


雨の中、境内では演奏できず、戒壇院の「書院」を開放しての畳の間での演奏会でしたが、
地元の新聞に載ったせいか、200名以上の大勢の人たちが集まってくれ、テレビカメラも3台
も入るなど、大盛会でした。


「九大コールアカデミー」の男性合唱の重厚な響きに魅了され、
又「だざいふリコーダーアンサンブル」の演奏で、「千の風になって」等、
みなで歌って会場がひとつになり暖かい雰囲気に包まれました。

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今朝(6月13日)の太宰府は梅雨の晴れ間か、青空の見えるいい天気になりました。
戒壇院の菩提樹の花が、ほぼ見頃に咲いていることだろうと、カメラを持って出かけました。
最初のブログより、一週間が経過した状態です。


6月6日の菩提樹の花の状態は、ほとんど「蕾」の状態でしたが、まだ満開とはいき
ませんが、7部程度咲いてほぼ見頃の状態となっており、甘い芳香を漂わせておりました。


15日は、「だざいふリコーダーアンサンブル」と九大コールアカデミーの合唱団員が歌って
くれます。丁度その頃は菩提樹の花が見頃となるでしょう。
今年は一昨年の状態より、多く咲いているように感じました。

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今朝(6月10日)の太宰府はどんよりとした曇り空、昼から雨が降るとの予報です。

戒壇院の菩提樹の花が、どの程度咲いているのか、朝の散歩の時、戒壇院まで

足を伸ばしてきました。前回のブログより、4日経過した状態です。

6月6日の菩提樹の花の状態は、ほとんど「蕾」の状態でしたが、「蕾」の一部が

開き始めていました。昨年は咲かずに終わりましたが、今年はうまく咲いてくれて

いるようです。

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2008年6月6日、朝の散歩の時、戒壇院まで足を伸ばしました。
昨年は、害虫の為に花を咲かすことが出来なかった戒壇院の「菩提樹の花」、
今年はうまく咲いてくれるだろうかと、見に行きました。

戒壇院 本堂の横に鎮座する老木全体に、今年は2mmほどのほおずき状の「花芽」が老木全体に、
ぶら下がって付けていました。昨年は咲かずに終わりましたが、今年はうまく咲いてくれます様に。

戒壇院の「菩提樹」は、鑑真和尚が中国から請来したと伝えられている老木。樹齢千年を超えると想像されます。

今年は、菩提樹の開花の頃、この境内で「だざいふリコーダーアンサンブル」の演奏会が開催されます。その時、九大コールアカデミーの合唱団員の何人かもかけつけて、菩提樹の合唱曲を歌ってくれるとか、聞いております。日時は、6月15日(日)11時から開催予定です。

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昨日、5月6日は鑑真が76歳で亡くなった日。それに先立ち、2008年4月27日〜29日、戒壇院の書院では「鑑真忌」・禅画展が行われ、本堂内には『東征伝絵巻』全五巻の複製が展示されていました。4月27日、行ってきました。

『東征伝絵巻』全5巻 複製コピー 唐招提寺蔵(13世紀)
鑑真和一代記
第一巻 少年期、 日本の留学僧の依頼で日本への伝戒の決意 渡航船づくり
第二巻 4回の渡航 失敗と準備のくりかえし
第三巻 5回目の渡航も失敗
第四巻 東林寺竜泉寺巡礼 日本よりの遣唐船に乗り九州着 太宰府に入る
第五巻 東大寺に入る、 唐招提寺を発願、 763年5月6日結跏趺坐し、和上遷化する。

763年(天平宝字7年)5月6日、鑑真は76歳で亡くなられた。

743年、受戒できる高僧を探す為、日本から二人の僧が唐に派遣された。
二人の要請に「鑑真」は渡日を決意する。この時、既に55歳。

その後、「鑑真」は弟子達とともに日本への渡海を5回にわたり試みるが全て失敗。5度目の航海の後、揚州へ戻る途中で両眼を失明、このとき61歳。

そして、藤原清河は帰国の遣唐使船で、「鑑真」を日本に連れていくことを承諾するが、渡航は不許可になる。しかし副使の大伴古麻呂は自船に鑑真をひそかに乗り込ませ、753年11月16日に出航、12月20日、鹿児島の薩摩坊津に到着した。66歳の時である。

今から1225年前、中国の僧「鑑真」により、初めて日本にもたらされたという戒律。
東大寺に戒壇が設けられ、日本三戒壇の一つ、太宰府の観世音寺にも「戒壇院」が設けられました。
太宰府「戒壇院」の起源です。

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