わらじの大豪邸の密室芸

わらじの優雅な自己満足的ひっそりと行われている一人しゃべり。

プロレス・格闘技

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プロレスや格闘技のお話です。熱く(?)語っておりますよぉ。
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ジョー樋口さんが死去、元全日本プロレスの名レフェリー
 
 プロレスリング・ノアは8日、ノア監査役およびGHCタイトル管理委員長のジョー樋口こと樋口寛治さんが、肺腺がんのため11月8日午前5時38分に死去したと発表した。享年81歳。
 樋口さんは元プロレスラーで、引退後はジャイアント馬場さんとともに全日本プロレス旗揚げに参加。以降、名レフェリーとして人気を博した。1997年にレフェリーを引退。その後はノアのGHCタイトル管理委員長などを務めていた。
 なお、通夜、告別式については、遺族の意向により親族のみで執り行う。
 
〜スポーツナビ〜
 
…昭和のプロレスがまた一つ消えたかなという印象…。ご冥福をお祈りします。
-記-
一部報道でご存知かとは思いますが
私、小橋建太はみずき舞さんと結婚を前提にお付き合いをさせていただいており
秋に結婚の運びとなりましたことをご報告させていただきます。
現在私は、欠場中であり、一日も早い復帰を目指しております。
ファンの皆様にその報告ができるよう、一生懸命トレーニングをしていきますので
これからも応援の程、よろしくお願いします。

2010年6月21日
株式会社プロレスリング・ノア 小橋建太


弊社所属、小橋建太選手が今秋に結婚することになりましたことを、ここに御報告申し上げます。
今後も皆様のご助言を賜り、小橋建太選手、弊社共に一層精進いたす所在でございます。
変わらぬご声援のほど、お願い申し上げます。
末筆ながら皆様のご健康とご多幸をお祈りしつつ、御報告とさせていただきます。

2010年6月21日
株式会社プロレスリング・ノア
 
〜プロレスリングNOAH HP〜
 
…「プロレスと結婚した男」とまで言われていた小橋建太がついに結婚だそうだ。お相手は演歌歌手のみずき舞さん。自分が大学時代にウチの大学の学園祭に来ていた。まだ本名の「細江真由子」のころだったけど…。
 
とにかく末永くお幸せにいてほしいのと同時に小橋はヒジを治してリングでの雄姿をまたみせてほしいものだね(^O^)
三沢光晴さん一周忌興行を開催/ノア
 
 ノアは13日、東京・ディファ有明で昨年6月13日に“マット禍”で亡くなったプロレスラー三沢光晴さん(享年46)の一周忌興行を開催した。会場前には三沢さんの等身大パネルが置かれた献花台が設けられ、会場に駆けつけた1800人のファンの花で埋め尽くされた。
 試合前には三沢さんから社長を引き継いだ田上明(49)がリング上で故人の遺影を持ち、所属選手がリングを囲むなか、1分間の黙とうがささげられた。8月には旗揚げ10周年興行を控える田上は、「区切りの大会になった。きょうからが始まり」と団体の発展を誓っていた。
 
〜サンケイスポーツ〜
 
 
 
 
 
 
…プロレスファンなら忘れることができない、あの「広島」からもう1年か…というのが正直な感想…。その後、7月にディファ有明でお別れ会…9月に武道館と大阪で追悼興行…。NOAHは「主」を失い、紆余曲折あったが…この日のメインをつとめた丸藤正道が試合後語ったコメントの一端が今の…そして未来のNOAHのすべてを示しているように思う。
 
「今日、大きな意味があるのは誰ひとり三沢光晴の技を使わなかったこと。これが新たな出発です。」
 
NOAHは今年10周年を迎える。三沢さんが安心して見守ることのできるようこれからの船出に期待したい。
 
あの事故の直後に発売になった「週刊プロレス」はいまだ取ってある…。
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ラッシャー木村さんが死去、68歳肺炎
 
 国際プロレスをスタートに多くの国内プロレス団体を渡り歩いたラッシャー木村さん(本名・木村政雄=きむら・まさお)が、24日午前5時30分、腎不全による誤嚥(ごえん)性肺炎のため都内の病院で死去した。享年68歳。
 木村さんは大相撲廃業後、日本プロレスに入団し、多くのプロレス団体を渡り歩いた。国際プロレス時代に行った日本初の金網マッチから「金網の鬼」と呼ばれた。全日本プロレスに入ってからは、故ジャイアント馬場さんらを相手にしたマイクパフォーマンスで人気を博した。ノアに移籍後、脳こうそくに倒れ、2004年7月の東京ドーム大会で、ビデオ出演したのを最後にファンの前から姿を消していた。
 通夜、葬儀はご家族の意向により親族のみで執り行う。
 
〜日刊スポーツ〜
 
 
…自分がプロレスを見始めたころはすでに一線を退き、マイクパフォーマンスでおなじみの全日本プロレスの「ファミリー軍団」のころだった…。必ず第三試合あたりでジャイアント馬場さんたちとの6人タッグで永源遙率いる「悪役商会」との対戦だったが…全日本プロレスのキャッチフレーズであった「明るく楽しく激しいプロレス」の「明るく楽しい」部分を充分に見せてくれていた。2000年プロレスリングNOAHに移籍してからもNOAHのロゴの入ったグリーンのエプロンを着て、「江戸の旋風のメインテーマ」にリングに入場しているのを思い出す。
 まだまだ68歳と若すぎる死…ご冥福をお祈りしたい。 

「殺人医師」スティーブ・ウィリアムスさん死去


 1990年代から全日本プロレスで活躍した米国出身のプロレスラー、スティーブ・ウィリアムスさんが30日に咽頭(いんとう)がんで死去した。WWEの公式サイトが伝えた。49歳だった。

 83年にプロレスラーとしてデビューしたウィリアムスさんは、新日本を経て90年から全日本に参戦。強烈すぎる必殺技「デンジャラス・バックドロップ」などを武器に“殺人医師”のニックネームで活躍した。故テリー・ゴディさんとのタッグ「殺人魚雷」では世界タッグ王座に5度君臨。94年には故三沢光晴さんを破り、3冠ヘビー級王座を獲得した。

 ウィリアムスさんは04年にがんであることを告白し、闘病を続けていた。

〜スポーツニッポン〜

…全日本で活躍したスティーブ・ウィリアムスが亡くなったそうだ。殺人バックドロップ、ドクターボム、オクラホマスタンピート…忘れることができない。

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