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ここまで来たら、終わらせてしまわないとね。
正太郎、亡き妻の幽霊に出くわし・・・というか、自分で会いに行ったのだけど、恐怖のあまり気絶。
これで終われば、正太郎、まだラッキーと言えるけど。
物忌みは、訳せないからそのままにした。
家にこもって、精進潔斎して、悪い霊を避けるということでしょう。
似たような展開が「耳なし芳一」にもありますね。
おしまい。
ここはやはり、井澤家からたんまり慰謝料をとって、きっちり別れれば良かった・・・と思うのは現代人か。
ワタクシなんぞ、正太郎を42日間よりもっと長くコワい目にあわせれやればよかったのに〜と思うけど、磯良さんは律儀に魂が中空をさまよう期間だけ、正太郎にイジワルして、一緒につれて行ってしまいました。
純情な子、騙したらあかんよ。後が怖いで、というお話・・・というか、御釜のいうことを聞いていればよかったのでしょうか。
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本棚のホコリ
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いやもう誰も読まないってことは重々承知してはいますけど、やりかけたからほっておくのも気持ち悪くて。
なんて、誰に言い訳しとるんじゃ。
え〜〜上田秋成「吉備津の釜」、ふうちゃんP4ふうに訳してみたら、思ったより長くて3回目。
バカ息子正太郎は、女房騙して、浮気相手の水商売女お袖と出奔、お袖のいとこ彦六のやっかいになるも、なにやらお袖は、原因不明の病にかかり、あっけなく亡くなってしまいました。
10日程前に駆け落ちした相手を亡くした男ですが、浮気の虫のエネルギーってすごいですな。
奥様が美人、由緒ある方の美しい未亡人、つう言葉で、もうすっかり元気になってる正太郎。
スキップしながら侍女のあとをついて行くけど、大丈夫かな〜〜〜
まだ会っていないのに「待ちわびますよ」って少しヘン・・・
出ました。
こわいよう。
いい気味だけどね。
まだ終わらないわ、続く。
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何を思ってこんなこと始めたんだか、自分でもよくわからないけど、ともかく続き。
結婚してからの正太郎と磯良がどうなったか。 と、いそらさん、お育ちが良いからか、人が良すぎるのですが、さらにまたちょっとアホやないかいな、というくらいのお人好しぶりを見せます。 可哀想にもほどかある〜でも、このバカ亭主に有り金を全部渡すのもどうかと思うけど。 当然、こうなってしまいました。 彦六は自分が住むとなりのボロ屋を借りて二人を住まわせ、友達ができたと喜んだ。ところが、袖は気候のせいか、何となく体調を崩して、憑き物でもついたように狂おしい様子で、ここに来て数日のうちにこんなわざわいに合う悲しさに、正太郎も食事も忘れて抱きしめるが、ただ泣くばかりで、胸がさしこんでいかにも苦しそうだが、発作が止むといつもと変わる様子もない。いきすだま、生霊のたたりだろうか。故郷に捨ててきた妻がもしや…とひとり胸苦しい。彦六は、正太郎を諌めて、「どうしてそないなことあるものやら、これまで疫病にかかった人の様子は、いくらでも見てます。熱がさめると、けろっとしますがな」と、気安く言うのが頼もしい。しかしみるみるうちなんの回復の兆しもなく、7日目に亡くなってしまった。正太郎は天を仰ぎ、地を叩いて泣き悲しみ、一緒に逝くと狂おしい有様を、彦六はあれこれと慰めて、この上はもう仕方ないと、ついに荒野の烟、荼毘に付した。骨を拾い、塚を築いて塔婆を立て、僧を呼んで懇ろに菩提を弔ったのだった。 浮気相手のお袖さんが、原因不明の急病で死んでしまったところまでで、また続く。 まだあまり怖くないけど、なんか怖そうな気配が漂ってきてますな。 次も気が向いたら書こう。 |
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まあ誰も読まないだろうから、ワタクシ流にテキトーな意訳をしておこうっと。
「吉備津の釜」は、冒頭いきなり みたいな身勝手なことを言う。 なるねんやんか。 と、この後も現代なら炎上間違いなしの、性差別的文言が続きます。 そもそもこの話が、ひどい女性虐待話なのですが。今なら家庭相談センターへ電話するところです。 これからようやく本題。 祖父は播磨の赤松に仕えていたが、去る嘉吉元年の乱の折に、そこを去って吉備に来て、正太夫まで3代、農業を営み、豊かにくらしていた。 その子正太郎つうのが、農業を嫌って、酒は飲むわ女遊びはするわ、両親が嘆いて、本人には内緒で「良いうちの美人のお嬢さんをお嫁にすれば、あの子も落ち着くのやないか」と、国中に良縁を求めると、仲立ちする人が言うには「吉備津の神主香央造酒(かさだ みき、漢字ないからメンドイ)の娘は、美人で親孝行で歌も詠むし、琴も上手。そもそもあの家は吉備の英雄吉備津彦命の子孫で、家柄もよく、お宅とご縁を結べはきっと良いことになりましょう。いかかですか」と。正太夫は大喜びで、「それは良いことを聞かせて下さった。これは我が家には家運長久の基になるでしょうが、あちらさん貴族で、こちらは名もない農家ですから、家格が釣り合わんと、お断りになるでしょう」仲立ちのおじじは笑って「ご謙遜なさらず、わしにお任せ下されば、きっとまとめて高砂を謳うことになりますよ」と、香央に伝えると、彼も喜び、一応妻にも相談すると、妻も乗り気になって言うには「娘も17歳になったので、毎日良い人おらんかな、結婚させな、思て落ち着きませんでしたのよ、早く吉日を選んで結納を交わしましょう」と、強く勧めたので、もう約束して、井澤に返事をした。即立派な結納を送り、吉日を選んで婚礼を急いだ。 これ、誰が読むのか。 まあいいや。 昔の結婚って、いい加減なもんですな。 正太郎がしょうもないバカ息子だと、調べればわかったろうに。 御湯つうのは、神職が祝詞を唱え、湯が湧き上がり、釜から牛の吠えるような音がしたら吉兆、何も音がしなかったら凶兆。これを吉備津の御釜祓という。すると、香央の家のことは、神様が受け入れなさらないか、ただ秋の虫が草むらで鳴くほどの小さな声もない。香央は心配に思い、この結果を妻に話した。妻は全く疑わず「御釜が鳴らなかったのは、神職が身を清めていなかったからでしょう、もう結納してもうたし、夫婦の縁を結んだ以上は、仇だろうが異国だろうが、変えてはいけない、というやないですか。ことに井澤は、元は武士、規律に厳しい家だそうやから、今やめゆうたかて、聞いてくれまへんで。うちの子も、婿さんイケメンらしいと聞いて、指折り数えて待ってるのに、今のこと聞いたら、なんや早まったことしでかすかしらん、その時後悔しても遅いやないですか」と、言葉を尽くして夫を諌めるのは、全く女の言いそうなことだ(原文は「女のこころばえなるべし」だけど、あえてこう訳した)。香央ももとより願ってもないご縁なので深く疑わず、妻の言葉に従い、婚礼を挙げ、両家の親類縁者、夫婦の縁が千年万年幸せに続きますように、と祈り祝った。 えらく長いじゃん。 気が向いたら、続き書きましょ。 ここまでだと、あまり怖くないわね。 |
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本の書庫が全然お留守で、書庫名通りホコリまみれ。
備忘録として、ここ最近読んだ本を書いて置こっと。
忘れちゃたのもあると思うけど、まあそれはそういう内容だったってことでしょう。
読んだ時期は、もう順不同。
トシをとってもあっちの方の欲望は変わらないようだけど、実行力はダウンするぶん、想像力はさらにふくれあがる。
あきれかえるような何でもありの展開。
しかし、主人公の「よい子」は、結局初恋の人と添い遂げてしまう。そこが、「コレラの時代の愛」にも通じる純愛性でしょう。
「ナショナル・ストーリー・プロジェクト」
オースターのラジオ番組で取り上げた、アメリカ市民が実体験を綴ったショートストーリー集。
いかにもオースターらしい選び方で、日常の中に不思議さや驚きや傷みや笑いが隠されている作品群です。
電車の中で読むのに最適。
こういう多様性のあるアメリカであってほしい、と願うのですが・・・
「テロルと映画」スペクタクルとしての暴力
これは今となっては、なんだか空しく辛い感じがします。
四方田さんがこれを書いたのは、9・11後、その衝撃がまだ残っている時期ですが、それから何年も経って、各地でさらに苛烈なテロが頻発している現在、この本の最後の章などを読むと、四方田さんも読み手のわたしも、無力だな〜と感じてしまいます。
それでも、日本ではなかなか大々的には公開されないインドネシアの映画(バリ島でのテロを扱ったもの)などを、見る機会はないものの、そういう映画の存在を知るだけでも、この本の意味はあるだろうと思います。
去年だったか一昨年だったかに亡くなった小川国夫の「襲いかかる聖書」。
この人の若い頃の講演会に行ったことがあるけど、たいそう美丈夫でいらっしゃいました。
そのときも埴谷雄高の話をしていたけど、この本の前半部分は小川国夫が埴谷雄高に出した書簡が収められています。往復書簡の「往」しかないので(埴谷の書簡はなし)、ちょっともどかしい感じもします。
神観念談義などは、面白いけど、やはり埴谷の書簡も読みたい。
後半部分は小川国夫定番、藤枝の海辺で展開する、病み上がりの娘とその兄の物語。
読みながら感じる胸騒ぎ。娘さんは救われたんでしょうか・・・
「囚人のジレンマ」
リチャード・パワーズ。
この人の作品はいつも、読みながらザワザワと胸騒ぎを覚えさせられ、それがなんとなくコワい。
そして、たいていひどく不器用な人々が登場します。
この一家もそれぞれに不器用な生き方をしていますが、特にいつも不器用なのはお父さん。
そのお父さんにはパワーズはしばしば戦争の影を落とします。
胸騒ぎの通りに、恐ろしいことが判明するけど、一家をつなぐ愛情も表されます。
表紙のヘンな絵は、ミッキーの帽子をかぶった、他ならぬウオルト・ディズニー。
彼がこの物語で果たす役割も不思議なんだけど、ここに日系人が絡んでいて、パワーズの目配りというか、視野の広さと洞察の深さを感じます。
スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチの「戦争は女の顔をしていない」
この人の名前、どうしても覚えられないのよね・・・ロシアの名前は難しい。
と言っても、この人はベラルーシの出身だそうです。
旧ソ連で、第2次世界大戦中に従軍した女性たちの経験を聞き書きした、長大なインタビュー集。
看護婦としてだけではなく、戦闘員として参戦した女性が大勢いたそうです。
これでもか、と残酷な悲惨な恐ろしい話が続くのだけど、だんだん読むにつれて、このインタビューの人数の多さにこそ意味があると思えてきました。
寝る前にはとても読めない、恐ろしすぎて。
しかし、戦争にも一人一人の言葉があり、命がある。
男ではなく、女の言葉として、戦争を語ること。
もっと書きたいのだけど、時間がなくなった・・・
最後に。
これについては、別に書くつもり。
追記。
やっぱり一つ忘れてた。
オルハン・パムク「白い城」。
17世紀後半のイスタンブルを舞台に、海賊にさらわれてきたベネチア人と容姿がそっくりのペルシア人との話。
対立する文化と同居を続けながら同化して行く人格とが、史実を織り交ぜながら、スリリング(心理的に)展開して行く。
パムクもいつも読み応えがあります。
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