がいじんトーク

人生、迷ってばかり。死ぬまで迷っているのかもしれない。

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 私の会社の談話室の窓からお寺のお墓が見える。お墓を囲むかのように木々が覆い茂っている。
木と木との隙間からお墓がわかる。覆い茂っている木の名前でわかるのは桜の木ぐらいで、他はわからない。かなり高く育ってはいるが、この窓の高さは越えられないでいる。まちがいないことは木の栄養分が、この先端の葉先まで吸い上げているということ。春から夏にかけて緑色が濃くなっていく様子は目で確認できている。もしかしたら現在の高さがこの木々たちの限界なのかもしれない。
 
 人は誰かを幸せにするために仕事をしている。この仕事を通じて誰かを幸せにしている実感を持っている時は、心の中に迷いは発生しない。それは、間接的であっても構わない。その誰かがわからなくなったり、理解してもらえなかったりすると空しさが頭の中を過ぎる。つまり、自分自身の存在感を感じなくなる。そうなると目の前の仕事に働く理由を探しだす。働く理由を求め出していくと矛盾を感じ始める。矛盾を感じ始めると人生の方程式できれいに解き出そうとする。方程式では答えはでない。
そして、純粋に目の前の仕事に取り組んでいた時の姿勢で、今の自分の仕事を見つめられなくなる。
世間はそれをスランプと呼んだりする。一度、頂点を極めた人間や目標を失った人間が再スタートした時にも、そんな感情が芽生えてしまったりするものだ。それは、仕方が無いことなのかもしれない。
 「今、スランプになっている。」・・・・・なんてことを言うと決まって、「お前の場合はスランプなんかではない。ただ、未熟なだけ。もっともっと努力をしないと駄目だ。10年早い!」とキツイ言葉が返ってくる。それで、また頑張れる奴と腐ってしまう奴がいる。その差は何だろう?
どちらもここまで努力してきた結果があるからスランプというものに陥っている。
「これでも駄目なのか」というものがあるから本人には拘りがある。
 
 小学生のころ野球を指導していた子が、今年のドラフト目玉候補になっている。その子はうちの子供と一緒に野球をしていた同級生である。あのころの子供たちの目標はプロ野球選手になること。わが子も例外ではなかった。高校まではお互い野球の名門に入学した。そこから道が分かれた。そして4年の大学生活を東京で終えた彼と名古屋で終えたわが子、来春、あの夢を実現する彼と夢を諦めたわが子が社会人として歩み出すことになる。決してわが子が努力を怠ったとは思いたくない。少なくとも私よりは努力家である。そして、それ以上に彼は努力をしただけ。わが子以上に野球がスキだから、野球というものに取り組めただけだと信じている。
 人間、好きなことには頑張れる。人生を賭けられるぐらい好きになればスランプの時でも頑張れるもの。多少の障害は乗り越えていけるもの。それは単純。それがスキだから。
 スキになることは、奇跡を起こすことに繋がるのかもしれない。ここまでが限界だと決めている境をいともあっさり越えてしまう。そこに予測を超えた成長がみられるのかもしれない。
 
この人と決めた時、親も世間も世界中を敵にまわしても一緒になりたかった恋をした時と似ているのかもしれない。そのエネルギーは計り知れない。
彼とわが子の差は、その差なのかもしれない。・・・・・そこに大きい差である。    
                                          不動堂

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